【アメリカ音楽史から見たHIPHOP】
長年HIPHOPを苦手としてきた自分が、今年突然HIPHOPに目覚めました。
恥ずかしながら56歳にしてHIPHOPデビューです。
入ってみると実に奥深く、大変興奮する音楽ジャンルなので、HIPHOP 1年生の自分が初心者目線でその魅力を紹介したいと思います。
1.ポピュラー音楽の成り立ち
HIPHOPは過去のレガシーへの尊敬が強く、引用が多用されます。
過去のレガシーを知ることでよりHIPHOPを理解しやすくなるので、まずは現代ポピュラー音楽史の概要に触れておきたいと思います。
なお、ここで記載される内容は、いくつかの文献にあたったとはいえ、あくまで僕の解釈です。
諸説ある中の一つの意見としてとらえてください。
現代ポピュラーミュージックの起源は大きく3つあります。
まず、黒人奴隷が隠れて歌っていた「ニグロ・スピリチュアル」がキリスト教と結びついて生まれた「ゴスペル」。
次に、奴隷解放後のアフリカ系アメリカ人たちが西洋楽器を活用し生み出した「ジャズ」。
そして、黒人奴隷の労働歌(ワーク・ソング、フィールド・ハラー)をベースに、奴隷解放後に生まれた「ブルース」です。
このブルースからR&B(リズム&ブルース)、ポップス、ファンク、ロック、HIPHOPなどへと分化進化していったわけです。
現在われわれが楽しんでいるポピュラーミュージックは、ほぼ全て「ブルース」をその起源としています。
こんなに短期間に音楽が変化した例は人類史上他になく、そしてその分化進化のほぼ全てはアメリカで起こり、そこには黒人が大きく関与しています。
誤解を恐れず言えば、現代ポピュラー音楽の歴史は、ほぼイコールアメリカ音楽史であり黒人音楽史でもあると言えます。
かつてデヴィッド・ボウイが、黒人への尊敬の念を込めて「現在のポピュラー音楽は全て黒人からの搾取に他ならない」と語った通りです。
2.ブルースの誕生
時は19世紀なかば、アメリカ独立戦争(1775〜1783)と英米戦争(1812〜1815)を経て、アメリカは独自の文化を創出しようというナショナリズムの雰囲気に溢れていました。
そのころアメリカの民間層では、ヨーロッパからの植民や黒人奴隷を通じて、ヨーロッパやアフリカの音楽をベースとして土着した音楽が親しまれてきました。
それらの民間音楽を収集してまとめたのが「フォークロア・ミュージック」です。
はじめは白人黒人混淆した音楽だったのですが、やがて音楽出版側のマーケティング戦略として、「白人のカントリー」「黒人のブルース」と分化しました。
この時点で既に人種分断社会からの音楽への影響が見て取れます。
ブルースは、黒人奴隷の労働歌(ワーク・ソング、フィールド・ハラー)などからまとめられました。
アフリカ系アメリカ人の憂鬱(ブルー)を歌った歌が多いことから「ブルース」と名付けられました。
ワーク・ソングは、黒人奴隷が、綿やタバコ栽培などのプランテーションでの労働時に歌った歌です。
白人の奴隷主は、奴隷の反乱を恐れ、黒人が集ったり歌ったりすることを禁止していましたが、労働歌を歌うことで作業効率が上がることに気づき、だんだん規制が緩くなってきました。
ワーク・ソングは、リーダーとグループの「コール&レスポンス」形式で歌われるのが典型となっています。
フィールド・ハラーは一人で歌うものです。
タイミングが重要である集団のワーク・ソングと違い、フィールド・ハラーは自由な、語りのリズムで、訴えかけるように、たたみかけるように歌われました。
憂いを含んだその曲調は、ブルースの重要な起源と考えられています。
「ハラー」には「叫び」という意味があります。
ブルース形成にあたり、数人の白人黒人の有識者、つまり西洋音楽や詩に詳しい人たちが貢献しました。
ブルースは、中世ヨーロッパで流行した「バラッド」という詩形を参考に整えられました。
シェイクスピアとかが劇中でやっていたヤツです。
よって現在でも、ブルースを通じてポピュラー音楽にはバラッド詩形の特徴が内在しています。
《バラッド詩形(対話型)の特徴の一部》
・二行連句と脚韻
・リフレイン
二行連句と脚韻は、「原則として2行セットで脚韻を踏むこと」です。
脚韻とは行のお尻の音を合わせることです。
<例>
Living off borrowed time, the clock tick faster
That’d be the hour they knock the slick blaster
例では行のお尻で「ファスター」、「ブラスター」と韻が踏まれています。
これを基本的には2行セットで行っていくのが、バラッド詩からブルースに持ち込まれた基本形です。
リフレインは、バラッドにおいては内容はあまり意味がなく、観客が歌う合いの手だったようです。
ポピュラー音楽においてリフレインは、やがて「サビ」とか「フック」とかいう部分になっていきます。
ブルースが成立したのは19世紀半ばから後半にかけてです。
ブルース成立の時点で既に、「ライミング(2行セットで脚韻)」や「Aメロ+サビの構造」が存在しています。
現在のポピュラー音楽の形が既にできているんですね。
このブルースがいろんな音楽ジャンルに分化発展していくのですが、そのなかでもこの構造はずっと強固に内在していきます。
3.ブルースからHIPHOPまでの概要
ブルースからHIPHOPに至る主要な音楽ジャンルを軽く紹介します。
ジャズやテクノなど、直接HIPHOPに繋がらないジャンル(実はかなり影響しているのですが)は省略しますのでご了承ください。
・ソウル
ブルースにゴスペルの要素が導入されたものです。
歌や感情表現に重きを置いています。
・R&B
ソウル(ブルース+ゴスペル)をベースにリズムを強調したものです。
R&Bが先かソウルが先かについては諸説あります。
ソウルやR&Bは、1940年代までは「レイス・ミュージック」と呼ばれ、黒人の音楽でした。
・ファンク
ブルースのリズムを強化したR&Bから、さらにリズムを強化した音楽ジャンルです。
アフリカのプリミティブなリズムからの影響が大きくあります。
ファンクを生み出したのも黒人です。
・ロック
R&Bの特徴は、「ブルーノートスケール」と言われるブルース由来の音階と、ジャズやアフロビート由来の「跳ねるリズム」ですが、ロックはそれをもっとシンプルかつ開放的にしました。
ブルーノート以外の音階も使い、リズムは原則跳ねません。
ロックの成立は、ポップス(白人中産階級向け)やカントリー&ウエスタン(白人労働者階級向け)からのR&B(黒人向け)へのクロスオーバーの結果と言われています。
ロックを生み出したのは黒人ですが、スタイルは黒人音楽に白人性が融合した感じです。
・HIPHOP(ラップ・ミュージック)
音楽的にはファンクやジャズをベースに、ドラムを強調したビート偏重のサウンドと、ラップと呼ばれる語るような歌唱法を特徴としています。
黒人貧困層のコミュニティから生まれたのが特徴で、貧困からの成り上がりや、分断社会への課題提起などをテーマとした歌詞が多いです。
4.HIPHOPの成り立ち
HIPHOPは、DJ(Disk Jockey)、ブレイクダンス、ラップ、グラフィティ(壁書きアート)の4要素を統合したカルチャーです。
HIPHOPの発祥は1970年代後期の「ブロック・パーティ」です。
クラブで踊るにはお金もドレスコードも厳しかった貧困層が、ニューヨークの街角の空き地でレコードをかけて踊るようになったのがブロック・パーティです。
DJがレコードをかけ、客としてのダンサーがいて、MCが客を仕切り、そこにグラフィティが合流した感じで成り立ちました。
また、HIPHOPは狭義で音楽ジャンルを表すものでもあります。
音楽としてのHIPHOPは、ビートとラップ(または歌)で構成されます。
まずビートですが、ブロック・パーティでレコードを流していたDJが起源です。
DJが2つのターンテーブル(レコードを乗せる部分)を音響システムにつなぎ、カッコいい部分だけを切り取って繰り返しかけた事から始まります。
イケてるDJは有名なサビの部分など使わず、ブレイクと呼ばれる繋ぎ部分から、隠れたカッコいい部分を切り取りつなぎ合わせます。
ここからHIPHOPのビートは「ブレイク・ビーツ」とも呼ばれます。
現在ではレコードだけでなくシンセやドラムマシンからもビートメイクをするため「プロデューサー」と呼ばれます。
ラッパーはMCが進化したものです。
はじめMCは司会をしたり客を煽っていたりしたのですが、その煽りやコール&レスポンスが進化してラップとなりました。
そんなわけで、現在もプロデューサーとラッパーは分業が多いです。
ブルースにはバラッド詩形が持ち込まれ、それが分化進化してHIPHOPに至りました。
HIPHOPにおけるラップでは、文字数が増え語り口調であることからより詩に近づき、それまで薄れてきたバラッド詩形の特徴が顕著に再浮上しています。
「ライミング(2行セットで脚韻)」と「Aメロ+サビ(HIPHOPにおいてはヴァース+フック)の構造」がそれです。
また、隠喩、ワードプレイ、ダブルミーニングなど、詩の技術的なな部分が重要視される文化も、よりバラッド詩に近いものと言えます。
そして何より需要なのは、アーティストではない人々、それも貧困層を中心に出来上がった、はじめての音楽ジャンルだと言うことです。
それまでのジャンルは、アーティストまたは出版側から生み出されていたので、これは着目すべきポイントです。
そのため、体制や良識に対抗するカウンターカルチャーとしての側面を併せ持ちます。
同時に、HIPHOPは貧困層のリアルから目を背けられません。
HIPHOPほど頻繁に、暴力、薬物、カーストワード(使っちゃいけない言葉:Nig*a、Fu*k、…)などが語られる音楽は他に類を見ません。
でもそれが彼らのリアルなのです。
5.ラップとは何か
ラップというのは歌唱法の一種です。
たまにラップが音楽ジャンルとして表現されることがありますが、厳密には違います。あくまで歌い方です。
音楽ジャンルで言う場合は「ラップ・ミュージック」なんて言ったりもします。
ラップの定義として、下記の3つを満たす必要があります。
① 語り口調に近い歌い方であること
② リズムに乗っていること
③ ライミングをしていること
例えば、メロディーを歌ってしまえばラップではありません。
また、リズムに乗っていなければラップではありません。
その場合は「ポエトリーリーディング」になります。
ライミングとは「原則として2行セットで脚韻(rhyme)を踏むこと」です。
脚韻とは行のお尻の音を合わせることです。
例>Madvilan「accordion」より
Living off borrowed time, the clock tick faster
That’d be the hour they knock the slick blaster
例では行のお尻で「ファスター」、「ブラスター」と韻が踏まれています。
これを基本的には2行セットで行っていくことで「ライムが成立」します。
ライミングは、ブルース成立時にバラッド詩形から持ち込まれました。
ブルースがR&Bやポップスに発展する中で、ライミングはだんだん希薄になってきましたが、より詩の詠唱に近いラップが誕生した時、ライミングという技法が再び重要視されるようになったのです。
ライミングとは、中世ヨーロッパから綿々と引き継がれてきた英語詩のエッセンスです。
「ライミングが成立していなければラップにあらず」は、英語圏のDNAがそう言わせるのでしょう。
英語圏の人が、ライミングが成立していないラップを聴くと、とても気持ちが悪いそうです。
日本人が5・7・5からズレた俳句を聴くと気持ちが悪いのと同じです。
さらに、頭韻(alliteration:行の頭で韻を踏む)、中間韻(internal rhym:行中で韻を踏む)、あえて韻を踏まない、などの派生技法がありますが、これらはライミングが出来た上でのことです。
ラップの定義から一つでも外れた場合、ラップではなく「スポークンワード」とか「ポエトリーリーディング」とかいう別唱法になります。
例えばボブ・ディランとかルー・リードの唱法ですが、語り口調に近くリズムに乗っているものの、ライミングがされていないので定義上ラップとは言えません。
スポークンワードに近い独特な歌い方と言うことになります。
ちなみに「フック」や「サビ」では原則としてライミングをしません。
もちろんする事もあります。
これは、「フック」の源流がバラッド詩の「リフレイン」である為だと思われます。
バラッドの「リフレイン」は、元々は観客が歌う合いの手でした。
6.ラップを楽しむポイント
我々は歌モノを楽しむときに、メロディーだけでなく、歌詞の内容や言い回し、言葉のチョイスや響きなどを評価します。
ラップも同じなのですが、その優先順位が歌モノとは少々異なります。
ラップの要素に「リリック」「ライム」「フロー」の3つがあります。
「リリック」は詩の内容や技法。
「ライム」は原則として2行セットで脚韻を踏む(行のお尻で音を合わせる)こと。
「フロー」はリズムや音程など文字通りラップの「流れ」ですが、声色や言い回しなども含みます。
現代のポピュラー音楽には、中世ヨーロッパの「バラッド詩形式」が大きく関与しており、ラップにはその要素が色濃く出ています。
ラップには、ライミング(2行連句と脚韻)だけでなく、隠喩、ワードプレイ(言葉遊び)、ダブルミーニングなどの詩の技法が顕著です。
詩というのは、そうしたテクニカルな面にも重きがあり、時にはリリックの内容以上に評価されます。
ラップ・ミュージックの1/3くらい(いや半分?)は、実はたいしたことは言っていません。
大半は「金、女、酒、暴力、薬、俺って悪くて凄いぜ!」てな感じです。
リアルを語る文化から、どうしてもそういうテーマになりがちです。
ラップは、リリックの内容より技法やフローを楽しむ、というのがまず第一です。
例えば、「スキルが高い」などという場合は、高速なだけでなく、発音、響き、韻の踏み方、ワードプレイ、隠喩、ダブルミーニングなどが論理的に関連している状態を言います。
ちなみにラップで「スキル」と言う場合、発音、響き、声色、ブレス、ケイデンス(ラップのリズムパターン)、速度など「フローのスキル」を指す場合と、ライム、ワードプレイ、隠喩、ダブルミーニングなど「リリックのスキル」を指す場合とがあります。
そして「フローが良い」といえば、発音、響き、声色、ブレス、ケイデンスなど、ビートに対してのラップの流れが気持ち良い状態です。
スキルとフローが強力に噛み合うと、リリックの内容を超えてそれはそれはすごいカタルシスがあるのです。
例え「金と女と酒」のことしか歌っていなかったとしても十分感動できるし、もともとブルースってのはそういうものです。
そして中には、本当に素晴らしいテーマのリリックを書くラッパーがいます。
社会問題に意識的(コンシャス)だったり、精神性(スピリチュアル)が高かったり、いろいろです。
もともとが、差別分断社会であるアメリカで生まれた音楽ジャンルであるため、素晴らしいリリシストの詩は、フォークナー(※1)やストウ(※2)の様な社会派米文学と同じ匂いがします。
(※1)ウィリアム・フォークナー:奴隷制という負の遺産を引き受け、土地と歴史に縛られて生きる人々の情念や、退廃的で暴力的な現実を描いた。ノーベル文学賞受賞。
(※2) ハリエット・ビーチャー・ストウ:黒人奴隷のおかれた状況を愛情を持って描き、奴隷解放運動の高揚をもたらした。
そこに中世から磨かれてきた英語詩の技術とスピリットが加わることで、良いリリシストによる内容のある詩はとんでもなく良いです、深いです、痛いです。
そんなわけでラップ・ミュージックは、フロウ&ライム(気持ち良さ、感心)を楽しみ、リリックを知ってより深い感動を味わえる、人類最高の芸術形態なのです。
7.HIPHOPの音楽性
HIPHOP(音楽)ではボーカル以外の部分を「ビート」と呼びます。
ビートは、DJが2つのターンテーブルを音響システムにつなぎ、カッコいい部分だけを切り取って繰り返しかけた事から始まります。
現在のビートメイカーは、レコード以外のシンセやドラムマシンなどからもビートメイクを行うため、DJでなく「プロデューサー」と呼ばれます。
こうした成り立ちから、現代でもビートにはサンプリングが多用され、ラッパーとの分業になっていることが多いです。
HIPHOPビートの大きな特徴は、ドラムとベースが強調されて、他のインストロメンツが極端に少ないことです。
下手したらTR-808というドラムマシンだけでなりたっているビートもあります。
TR-808は音源がシンセなので、ドラムはもちろん、バスドラム音のアタックを弱めてサスティンを伸ばすとそれだけでローエンドなサブベース(エレキベースより低音域のベース音)になります。
トラップやレイジというHIPHOPのサブジャンルでは、この808ベースがよく使われます。
TR-808というドラムマシンは、日本のローランドというメーカーの機器ですが、発売当時はそのクセのある音色によりあまり売れませんでした。
販売期間は僅か3年弱、製造台数約12,000台で、売上的には大成功とは言えませんでした。
ところがHIPHOPやテクノ畑から再評価され、今ではHIPHOPの主要なサブジャンルである「トラップ」では欠かせない機器となっています。
今はプラグインなんでしょうが、40年後の今も現役って凄い。
僕がはじめてTR-808のサウンドを聴いたのは、YMOの"BGM(1981)"というアルバムです。
この時TR-808はまだ発売前で、ローランドが試作機をYMOに貸し出していたものでした。
当時中学生だった僕は、TR-808の太いバスドラムと、ハンド・クラップのブライトな響きに完全にヤラれました。
僕だけでなく、多くの人が衝撃を受けたはずです。
当時マヌケと言われた(僕だけ?)あの電子カウベル音が、プリセットで現在も鳴り響いている(ケンドリック・ラマーやプレイボーイ・カーティの最新作でも聴けます)のはなかなか感慨深いです。
話が逸れました。
HIPHOPは、リズム重視のかなりシンプルな構造である分、バウンシーで快楽性が高く、とても中毒性があります。
サンプリングやマシンビート主体でありながら、ファンクにつながるプリミティブな熱量を感じます。
また、コード展開が少なく、ここにラップというソロが乗る自由度の高い構造は、モードジャズに近い構造と言えます。
さらに、ポストモダンな考え方もモードジャズに近いです。
過去のレガシーを時系列に捉えその先に目的を置く(垂直指向)のではなく、歴史もジャンルも超えてアセットをフラットに活用する(水平指向)考え方がポストモダンです。
この考え方の音楽は自由度が高く、時にはとんでもないキメラを生み出します。
モードジャズ以降のジャズがジャンルレス化して行ったように、HIPHOPも振り幅の大きいサブジャンルを生み出します。
ドラスティックでリスナーの受け皿が大きいのも、HIPHOPの魅力の一つです。
例えばThe Rootsが「生演奏HIPHOP」を生み出して、批判を浴びながら新境地を開拓していったのが良い例です。
カニエ・ウェストの「オートチューンの活用」「ミニマル・インダストリアルの導入」なども同様ですね。
HIPHOPでは、「こんなのHIPHOPじゃねえ!」からの普遍化、という論争が常に巻き起こっています。
ポストモダン、つまり水平化についてもう少し触れましょう。
マイルス・デイビスが「カインド・オブ・ブルー」で目指したのは、それまでの西洋音楽の構造の核である「コード」からの脱却です。
それまでのビバップでは、ソリストはコード内の音だけを使うのがセオリーでしたが、マイルスが「カインド・オブ・ブルー」で完成させたモード奏法では、その縛りをスケール(音階)にまで緩めています。
ピアノで言えば、右手(ソロ)の演奏は左手(伴奏:コード)に縛られていた垂直構造であったのに対し、右手で扱える音階を拡大して水平化を図ったのです。
そのために「カインド・オブ・ブルー」では、コード展開がほとんどありません。
同じ考えがファンクにおいてふたたびおこります。
ファンク以前のバンド・スタイルは、ドラムとベースのリズム隊、中間層のギターやキーボード、その上に乗るボーカルという垂直型でした。
ジェームス・ブラウンは、すべての楽器をリズム楽器とする(水平型)ことでファンクを生み出しました。
HIPHOPは、音階構造的にも楽器編成的にも、明らかにこれら水平化の文脈を受け継いでいます。
もう一つのHIPHOPの特徴として、ビートはレコードの繋ぎをその起源としていることから、いかに過去の音楽を良く知っているか、それをどうセンス良く活用するか、といったマニアックなオタク気質が内在しています。
サンプリングや引用という形で、1曲の中に過去のレガシーが沢山潜んでいるのがHIPHOPの奥深さです。
そのため、リスナーは自然と過去の遺産に触れ、深く潜る楽しみに満ちています。
またそうした背景から、HIPHOPのアーティストは皆、過去のレガシーや偉人へのリスペクトが強いのが特徴です。
8.HIPHOPで歌われていること
HIPHOPで歌われる歌詞は何故あんなに荒々しいのでしょう?
その背景を知るために、ここでアメリカの人種分断に触れておきます。
アメリカはその建国前から、黒人奴隷により発展してきた国です。
ヨーロッパからアメリカへ移住して来た人々は、西アフリカで購入(人身売買)した黒人をアメリカに連れてきて、綿やタバコのプランテーションの労働力として使役しました。
綿やタバコはヨーロッパに売られ、その利益でまた人身売買をします。
これが三角貿易であり、ヨーロッパによるアメリカの植民地経営の実態です。
1776年のアメリカ建国を経て、黒人奴隷の人権問題が沸き起こり、1861年〜1865年の南北戦争をきっかけに奴隷解放宣言が出されました。
1863年に奴隷解放宣言後が出されたものの、経済基盤のない黒人たちはそのままプランテーションで働く以外にありません。
名称が「奴隷」から搾取される「労働者」に変わっただけで待遇は変わらなかったのです。
さらに、1964年の公民権法制定までは人種によって公共機関や施設を「人種分離」することが合法でした。ジム・クロウ法という法律群です。
ジム・クロウ法(Jim Crow laws)は、黒人に対する公的な人種隔離と差別を合法化・制度化した州法群の総称です。
この法律群は、学校、バス、トイレ、水飲み場などの公共施設を白人用と黒人用に分離することを規定します。
また、白人と黒人の結婚・交際を禁止し、黒人の投票権を制限します。
こうした人種分断は、1964年の公民憲法制定まで続きました。
一方視点を変えて、黒人への暴力という点にも目を向けてみましょう。
黒人奴隷は、白人市民から暴力やリンチをされるのが常態でした。
鞭打たれたり、時には木に吊るされて殺されたり、古タイヤを首に掛けて焼き殺されたりします。
1862年の奴隷解放宣言後もこうしたリンチは依然として続きました。
1939年にビリー・ホリディが発表した「ストレンジ・フルーツ」というジャズ・ソングがあります。
これは、南部の木々に吊るされた黒人の死体を「奇妙な果実」として描写し、アメリカにおける人種差別と暴力の現実を告発した凄まじい歌です。
やがて公民権運動がおこり、1964年に公民化法が制定され、実質上ジム・クロウ法は撤廃されました。
しかし公民権法制定後も、黒人に対するリンチは依然として存在していました。
リンチを行うのが市民から警察に変わっただけです。
警官がアフリカ系アメリカ人を殺害しても無罪となるケースが多くありました。
アメリカ連邦政府で反リンチ法が成立したのは2022年です。
驚くべきことに、2022年まではアフリカ系アメリカ人に対するリンチは犯罪ではなかったのです。
こうした背景から、法律上は平等になったものの、現在でもアフリカ系アメリカ人は社会的、経済的に人種差別を受けています。
現代でもアフリカ系アメリカ人は職業選択の幅が極端に狭く、貧困に閉じ込められているのです。
極端な貧困層であるということは、犯罪に手を染めギャング・メンバーになり、殺されるか刑務所に入るために、多くの家庭には父親がいません。
子供に教育を受けさせることすら難しいことから、アフリカ系アメリカ人の職業選択の幅はさらに狭まります。悪循環です。
アフリカ系アメリカ人に生まれるということは、日本人の我々が想像するよりもはるかに過酷でストレスフルなのです。
HIPHOPで歌われるのは、こうした背景からの社会課題であり、リアルなストリートライフであり、成功した自分を誇示するフレックスであり、自分が成功しても元の仲間たちは悲惨なままなので負うサバイバーズ・ギルト(生き残りの罪悪感)なのです。
9.ラッパーは何故喧嘩するのか?
HIPHOPには「ビーフ」という文化があります。
ビーフとは、ラッパーが楽曲を通じて相手をDisる(非難したり罵倒したりする)口喧嘩です。
ビーフのルーツは、1862年の奴隷解放宣言まで遡ります。
黒人たちは「奴隷制度が終わっても白人たちが平等に扱ってくれるはずはない」と考え「ロースティング」を始めました。
ロースティングとは、夜な夜な白人たちの目を盗んで集まり、円陣を組み、真ん中に立たせたひとりに向けて全員で悪口や罵声を浴びせる、というゲームです。
これは奴隷制度廃止後も受けるであろう白人たちからの仕打ちを見込んで「理不尽な罵声に慣れておく」ためのトレーニングでした。
ロースティングでは怒ったら負けです。
ビーフの語源は、1984年のファストフード店「ウェンディーズ」のCMで、ハンバーガーの肉が小さいことを揶揄した「Where's the beef?(肉はどこ?)」という挑発的なキャッチフレーズから来ています。
前述のロースティング文化と相まって、牛肉(Beef)を焼く(Roast)と引っ掛けてビーフと呼ばれる様になりました。
ロースティングは、アメリカ社会、特に黒人コミュニティに根付いています。
例えば、アカデミー賞の授賞式で、司会のコメディアンに妻を馬鹿にされる形でイジられたウィル・スミスが、コメディアンを平手打ちした事件がありました。
あれは日本では「当然だ、ウィル・スミスよくやった」と言った感じですが、アメリカではウィル・スミスの過剰反応を非難する声が多かった様です。
むしろ、ビンタされた後も態度を崩さず笑顔で対応したコメディアンが評価されました。
コメディアンは相手をイジると言う自らの仕事を貫いた、と言うわけです。
HIPHOPにおけるビーフは、お互いのスキルを向上させる競技の様なものとして捉えられています。
どれだけ巧みな言い回しで攻撃力の高いDisをするか、と言うのを競う感じです。
HIPHOPにおいて、楽曲でDisられたら楽曲でDisり返すのがルールです。
相手を訴えたり暴力で報復したりするのは無しです。
とはいえ、実際にビーフが暴力や殺人事件に発展した例もありました。
オーディエンス側もビーフはエンタテインメントとして捉えています。
分断社会が生み出した、野蛮で捻れたエンタテインメントですが、そのワイルドさが魅力でもあります。
最後にダズンズ(The dozens)にも触れておきましょう。
ダズンズとは、観客がいるところで、1対1で互いに相手の母親に関する罵りの言葉を言いあって、先に怒ったり言い返せなくなったほうが負け、というゲームです。
これが、ラップバトルの源流となっています。
ダズンズの語源は今となっては不明ですが、ニューオーリンズの奴隷の競売市場で、年老いたり働く力の無い奴隷がダース単位で売られた(sold by the dozen)のが起源ではないかと言われています。
公衆の面前で屈辱的な想いをすることから来てるんですかね。
10.HIPHOPの現在の立ち位置
僕(1969年生まれ)より上の世代はHIPHOPを聴く人が少ないように思います。
僕も長年、HIPHOPを聴かないどころか苦手として来ました。
僕がHIPHOPを好んで聴く様になったのは2025年(56歳)からです。
僕が洋楽を中心に音楽を聴き始めたのは13歳、1980年代前半でした。
そのころHIPHOPは黎明期で、存在は知っていましたが自分とは関係のないものと思っていました。
一時的な流行りのジャンル、閉じたコミュニティのニッチな音楽、と認識していました。
ビート偏重のマニアックな音楽性や、野卑な歌詞といかつい雰囲気が苦手だなぁ、と感じていたのです。
ところが、HIPHOPはその誕生から約50年が経ち、今やロックやR&Bを超えて世界で最も聴かれている音楽ジャンルへと成長しました。
黒人や好きモノだけでなく、いろんな人種が楽しむ音楽へと、いつの間にか成熟していたのです。
英語圏だけではありません、J-POPやK-POPなどにも取り入れられ、アジア圏でもHIPHOPのプレゼンスは大きくなっています。
日本語ラップは、今や日本の若者に大変人気のジャンルです。
自分はまだUS-HIPHOPにしか手を出していませんが、そこだけでもすごく多彩な音楽性があって刺激的です。
沢山のサブジャンルも生まれました。
HIPHOPが持つ、開放的で自由度の高い楽曲構造がそうさせるのでしょう。
また、HIPHOPを聴くということは、R&B、ソウル、ジャズ、ファンクなど、多くのブラック・ミュージックのレガシーに触れることにもなります。
HIPHOPを通じて、過去の偉大な音楽への憧憬が広がるのです
僕はHIPHOPを聴き始めたことで、ソウル、R&B、などをさらに広く深く聴くようになりました。
HIPHOPはそのいかつい雰囲気とは裏腹に、実に芸術的で奥深く、豊かな音楽ジャンルだと認識した次第です。
11.言葉に対する日米の感覚の違い
YouTubeなどで、MV(ミュージックビデオ)を見て感想を言う、いわゆる「リアクション動画」をよく見るのですが、日米の違いで気付いたことがあります。
例えばHIPHOP(英語)のMVへの感想を言う場合、英語圏コメンテーターはやたらライミングや発音が気になる様に見えます。
一方日本人はたとえ英語が流暢な人でも、むしろリリックの内容に着目しがちです。
これは言語に対する感覚の違いなんでしょう。
以前、「アメリカは口、日本は目」という話を聞いたことがあります。
忍者やキャシャーンなど日本のマスクヒーローは目を出して他を隠しますが、キャプテンアメリカやバットマンなどアメリカでは口を出して他を隠します。
また、日本のアニメにおいては目の演技が重要視されますが、アメリカのアニメではリップシンク(セリフと口の動きが合っていること)が重要視されます。
さらに、日本語はハイコンテクスト言語なので主語が省略されたりしますが、英語はローコンテクスト言語なのでSVOを明確に表現する必要があります。
思えば英語圏は「はじめに言葉ありき(聖書)」の民です。
我々日本人が思う以上に、発音、文法、ライミングなどに敏感な様です。
そういえば、かつて高橋幸宏が雑誌(「サウンドール」かなんかだったと思う)のインタビューで語っていたのを思い出しました。
「NEUROMANTIC(1981)のロンドンレコーディング時に、エンジニアとして入ってくれたスティーヴ・ナイ(本業は音楽プロデューサー)の英語の発音指導がしつこくて参った。きっちりブリティッシュの発音しないと許してくれないんだよね。」
確かに英語圏の評価の高いボーカリストは、皆発音や発声が美しくノーブルです。
カレン・カーペンターやマイケル・ジャクソンなどを思い出して下さい。
デスボイスで歌うヘヴィメタルでさえ発音はクリアです。
以前日本人のジャズボーカルに関するエッセイを読んだことがありますが、日本人がジャズを歌うのはかなりハードルが高いとありました。
理由は「英語の発音が出来ていない」からです。
日本語と英語は、響き的には最も遠い位置にある言語です。
英語圏の人にとって、日本人の英語の響きは「えげつない」そうです。
正確でクリアな発音が出来てこそ、その先に歌の評価があります。
多くの日本人ジャズ・ボーカリストは、評価の土俵にすら立てていないので残念だ、と書かれていました。
DJやダンサーなど、ノンバーバルな分野で日本人が英語圏で活躍しているのはよく見かけますが、ボーカルやラッパーではまだ少ない様に思います。
それはもしかしたら、こうした言語に対する感覚の違いが大きいんじゃないかと思います。
日本のラップの中にも素晴らしモノがあります。
特に英語と日本語を織り交ぜたリリックは、他の国では見られない素晴らしい独自性です。
現在アメリカで「日本のシティポップ」が評価され始めているように、いずれ日本のラップも世界から「発見」される日が来ます。
日本人のラッパー、ボーカリストは、今からこの辺を意識しておいた方が良いと思います。
英語圏のリスナーは、発音やライミングに対しフェティッシュな程厳しい耳を持っているぞ、と。
言葉に対する感覚の違いというものが、音楽性や文化、果ては戦略にまで大きく影響するものなんだなぁ、とHIPHOPを聴き始めたことで改めて認識しました。
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