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ACAねが万博で「大赤字」を覚悟した理由を、芝生エリアのゆる観客が教えてくれた話

電車の席で万博のパンフレットを眺めながら、まさかここでずとまよのライブを見ることになるなんて想像もしていなかった。9月2日、大阪・関西万博のEXPOアリーナ「Matsuri」。チケット代はゼロ円。でも、そこで体験したのは、どんな有料ライブよりも価値のある75分間だった。

会場に到着して驚いたのは、観客層の多様さだった。PREMIUMエリアには見慣れたSHAMOJIを握りしめたずとまろたちがいる一方で、芝生エリアには「たまたま万博に来てた」という感じの家族連れや、座り込んでゆるく音楽を楽しんでいる人たちの姿があった。これが無料ライブの力なのだと実感した瞬間だった。

この光景を見て、私は「ああ、これがACAねの狙いだったんだ」と確信した。大阪・関西万博で初となるアーティスト自主制作による無料ライブという形で、普段ずとまよを知らない人たちにも音楽を届ける──それは単なる集客戦略ではなく、もっと根深い想いがあったのだと思う。

なぜACAねは「大赤字」を覚悟してまで万博にこだわったのか:ウラからオモテへの必然性

最後のMCでACAねが語った「大赤字で実現した」という言葉が、今でも私の心に響いている。本公演は大阪・関西万博サイドに交渉し、時間がないなかご協力いただき実現した、ずっと真夜中でいいのに。自主制作のイベントだったという事実を知ると、このライブがどれほど特別な意味を持っていたかが分かる。

今年3月から開催された「永遠深夜万博『名巧は愚なるが如し』」は、1970年の大阪万博を「太陽のウラ」として再解釈したアリーナツアーだった。そのツアーの大阪城ホール公演が万博開催期間中に行われたことから「ウラ万博」と銘打たれていた。

でも今回の「オモテEXPO」は、それとは全く異なる意味を持っていた。日進月歩、非効率を排斥し、まだ見ぬ空想の実現を疑わない太陽の表。相対するウラでは、一見無駄な非効率に拘り、心にある些細な疑問を問い、今を純粋に抗う愚か者達がいたという公式サイトの文章が、すべてを物語っている。

ACAねにとって万博は、単なるイベント会場ではない。それは「効率」と「非効率」、「オモテ」と「ウラ」、そして「太陽」と「深夜」という対立する概念を統合する象徴的な場所だったのだ。だからこそ、赤字を覚悟してでもここでライブをやる意味があった。

芝生エリアの「ゆるい観客」が教えてくれた、音楽の本質

私がこのライブで最も感動したのは、実は芝生エリアでゆるく座って音楽を聴いている人たちの存在だった。彼らの多くは、おそらくずとまよのことをよく知らない。それでも、ACAねの歌声とバンドの演奏に自然と体を揺らし、時には手拍子をしている姿を見て、音楽の持つ純粋な力を再認識した。

これこそが、ACAねが求めていた光景だったのではないだろうか。ファンクラブ会員だけでなく、たまたま万博に来た家族連れや、音楽にそれほど詳しくない人たちにも、等しく音楽を届ける。それは諦めない愚か者達が辿り着いた実験の博覧会という言葉に込められた、ACAねの音楽への根本的な想いの表れだったのだと思う。

ずとまよの楽曲は、しばしば複雑で実験的だと言われる。でも、万博の芝生で気持ちよさそうに音楽に身を委ねている人たちを見ていると、本当に良い音楽は理屈を超えて人の心に届くのだということを改めて実感した。

史上最高の「正義」が示した、ACAねの新しい境地

そして何より印象的だったのが、ラストに披露された「正義」だった。私はこれまで数え切れないほど「正義」を聴いてきた。ライブ映像も、配信も、もちろん生でも何度も。でも、万博で聴いた「正義」は、今まで体験したどの「正義」とも違っていた。

ステージセットの持ち込みは無く、アリーナツアー公演での楽曲を抜粋したフェス出演形態に近いLIVEだったにも関わらず、その「正義」には特別な重みがあった。それは、万博という特別な場所で、無料で、多様な観客に向けて歌われたからこその重みだったのだと思う。

歌詞の「正しさ」を問う内容が、まさに「オモテ」と「ウラ」、「効率」と「非効率」を行き来するこのライブの文脈と重なって、新しい意味を帯びていた。ACAねは、万博という「進歩」と「未来」の象徴的な場所で、「正しさとは何か」を改めて問いかけていたのだ。

ずとまよの未来を照らす「愚か者の実験」

今回のオモテEXPOを体験して、私はずとまよの今後についてより確信を持てるようになった。ACAねは、単に音楽を作って既存のファンに届けるだけでは満足しない。常に新しい実験を続け、音楽の可能性を広げ続けようとしている。

ライブの終盤では特報として、日本&アジアツアー『ZUTOMAYO INTENSE II』の開催がサプライズ発表されたというニュースも、その延長線上にある。海外展開も含めて、ずとまよは確実に新しいステージに向かっている。

でも、それは決して「大きくなる」ことだけが目的ではない。万博の芝生で気持ちよさそうに音楽を聴いている家族連れを見て感じたように、ACAねが目指しているのは、より多くの人に音楽の本質的な喜びを届けることなのだと思う。

効率を重視する現代社会の「オモテ」で、あえて「非効率」で「愚か」な実験を続けること。それが、ずとまよという音楽プロジェクトの核心にあるものなのだと、今回のライブを通して改めて理解できた。

9月2日の夜、万博会場を後にしながら、私は確信していた。ACAねはこれからも、私たちの想像を超える場所で、想像を超える音楽体験を作り続けてくれるだろう。それがたとえ「大赤字」になろうとも、きっと彼女は止まらない。

なぜなら、それこそが「諦めない愚か者」としての、ACAねの生き方だから。

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