【“適応障害で休職中”を使いすぎてる気がした】病名が自分そのものになっていく怖さ
「適応障害で休職中です」が、自分の説明になっていた
最近、気づいたことがある。
自分のことを説明する時、かなりの頻度でこう言っている。
「適応障害で休職中です」
SNSでも、noteでも、人に近況を聞かれた時でも。
もちろん嘘じゃない。
実際に診断も受けているし、今も休職中だ。
でも、ふと思った。
👉これ、自分そのものを“適応障害”にしてないか?
って。
最初は“自分を守る言葉”だった
休職した直後は、正直かなり混乱していた。
なんで働けなくなったのか。
なんでこんなに苦しいのか。
なんで普通ができないのか。
全部分からなかった。
そんな時に「適応障害」という言葉は、
👉“自分が壊れた理由”を説明してくれるもの
だった。
少しだけ安心したのを覚えている。
でもいつの間にか“ラベル”になっていた
ただ、時間が経つにつれて違和感が出てきた。
本当は、
上司の圧
職場の空気
積み重なったストレス
無理し続けた働き方
そういう“過程”があるはずなのに、
いつの間にか全部まとめて
👉「適応障害だから」
で終わらせるようになっていた。
すると、自分の輪郭までその言葉に飲まれていく感覚があった。
「逃げてるのかもしれない」と思った
ここは正直しんどかった。
休職は必要だったと思う。
限界だったのも事実。
でも同時に、
👉「適応障害だから」
を使うことで、
それ以上考えるのを止めてる感じもあった。
例えば、
何が一番つらかったのか
どこで限界を超えたのか
なぜそこまで我慢したのか
そこに向き合う前に、ラベルで思考が止まる。
それって回復というより、
👉“停止”に近い気がした。
この「ラベルで説明が止まる感じ」は、適応障害だけじゃなくて、別の場面でも似たようなことが起きている気がした。
👉「HSPを自称する人ほど信用できないと言われる理由」
この違和感も、構造としてはかなり近い。
どちらも共通しているのは、
👉“ラベルが説明の終点になってしまうこと”
かもしれない。
この先では、
「逃げ」と「避難」の違い
病名だけで回復が止まる理由
“適応障害の人”になりすぎる怖さ
自分を固定しないための意識
本当に必要だった自己理解
について整理していきます。
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