私の次兄がクズすぎる
今回は、タイトルを美しい文字背景にすることで、言葉の印象をやわらげる実験をかねている。
多分失敗しているとわかっているので、このまま進めていく。
私にはふたりの兄がいる。
5つ上の長兄は、ちょっと見た目厳ちい。
そんな彼は、高校では学級委員をやっていたり、先日まで小学校のPTA会長をしていたり、職場では役職についていたり、高校生から付き合った彼女との愛を貫いて結婚し、3人の息子を育てていたりする。
友人も多く、愛される人間だと思う。
ただ、口は悪い。怒るとヤベエ。(ゴクリ…)
私の口が悪いのは兄たちの影響だろう。
そうでないと、こーんなに真面目な私の口が悪いことについて説明がつかないのである。
さて。問題は3つ上の次兄である。
彼は昔から、血を分け合ったはずの妹からしても驚くほどの「クズ」である。
一歩譲ってかわいめに表現するならば、彼は「ダメ人間」である。
もひとつオマケにかわいく言えば
「クズ~No No Boy~」となる。
ちゃんみなに申し訳ないので、もう二度と言わないこととする。
その次兄、クズにつき
「ねえ。ゲーム返さないの?」
見知らぬゲームがいつの間にか、我が家に増えていることに私は気がついていた。
当時、私は小学生。同じく小学生だった次兄は、ゲームだけが生きがいだった。
と、勝手に言っても差し障りないはずだ。
「パクった」
次兄はゲームの画面……PlayStationのプレイ画面から顔を動かさずにそう言った。
真面目な私には考えられないことだ。
「返しなよ。怒られるよ」
「別に。これ借りた奴、友達じゃなくなっても別にいいし」
「そ……」
そういう問題じゃ、なくない?
幼いなりに、私は思った。
衝撃だった。
言葉をつなぐことすらできない。絶句。
極めつけはそのあとのセリフだ。
「クリアしたら売ろうかな、これ。別のゲーム欲しいし」
悪びれた様子もなく、ゲームを淡々と進めながら、彼は言った。
───そのとき、人類は思い出した。
そうだ。コイツはこういう奴だった……
どう考えても。
「友達になりたくない人間No1」の座を、悠々と勝ち取れる人間だったこととを。
私はそのとき、思い出したのだった。
次兄は、そう言って自室でただただ、ゲームを続けた。
私はため息を吐いてそのままその場に座り、膝の上で漫画雑誌を広げた。
当時大好きだった「少年ジャンプ」の『WILD HALF』を、何度も何度も読んでいた。
次兄と私の部屋は当時同室だった。毎日ゲームをする次兄の後ろで漫画を読むのが、私のいつもの時間。
リビングに行けばソファもあるのに。
私が進めていた任天堂64の「ゼルダの伝説~ムジュラの仮面」も、自分がクリアしたからと勝手に売られたりして泣いたのに。
私は次兄のゲームの腕前だけは認めていたので、そのプレイを横目に見るあの時間は好きだった。
つまり当時の私も、きっと頭がどうかしていたのだ。
ニワトリとひいばあちゃんと棒と
毎年。父の養護学校での仕事が夏休みに入ると、長崎のオカン(実母)の実家に帰省した。ワゴンの車でまる2日間かけて、神奈川の端っこから我々は旅をしたものだ。
オカンの実家は昔からいちご農家を営んでいて、いちご以外にもたくさんの畑を持っていた。今はやめたけど、牛も飼っていたとかで、牛舎も残されている。ときには牛舎の隅にある檻に、ニワトリや、カモや、ウズラがやってきていた。
その鳥たちに、私はよくキャベツの周りの固い葉の部分を与えたりして楽しんでいた。コツさえつかんだら、ニワトリの勢いのあるくちばしも怖くない。
一方の長兄と次兄は、放牧されているニワトリに手を伸ばして、暴れるその子たちを鷲掴みにして遊んでいた。
「俺はもう、アイツらを捕まえられるんだぜ!」
次兄はイキってそう言った。
「嫌がるからダメなんだよ」
私はそんなことを言いながら、彼のその様子を見て過ごした。
1~2週間滞在しているうちに、その鳥たちはだんだん少なくなっていき、いつしかいなくなるのが常だった。
「ニワトリ、どこいっちゃったの?」
私はひいばあちゃんに聞いた。
95を超えてもシャキシャキと動き回る元気な人だった。
「もう、絞めて食うたったい!」
ひいばあちゃんはケロッとした顔で言った。
私は、ひいばあちゃんの長崎弁がときにまったく理解できなかったけれど、そのセリフはばっちりとわかってしまった。
「……ウ、ウズラは? ウズラもいたよね?」
「ウズラ……んあ~、蛇に食われたと」
「へ、蛇……」
山奥に位置するその広大な敷地の家には、猫も蛇もでっけえ蜘蛛もヤモリもクワガタもカブトムシも。いつでもなにかしらの生き物がやってくるのだった。
ウズラがいた檻を確認しに行くと、ちょうど蛇だけは入れそうなくらいの穴が開いていて、小さな羽根が一面に散っていた。朝にいつも取りに来ていた卵は、ひとつも残っていなかった。
「うへえ。やべえ~!」
兄たちは興奮したように言った。
私はいたたまれず、今度はニワトリがいた檻を見に行った。
そこは当然空っぽだった。私は立ち尽くして、そこにあったはずの命のかけらを探したが、なにもない。牛舎の天井からはなにかを引っかける杭のようなものが伸びているのに気付いた。
「ニワトリん首ばポキッてやってな。羽と皮ばはいで、ここさ、ぶら下げとったとよ。血ィ抜かんばいかん」
頼んでもいないが、ひいばあちゃんはニワトリの最期のときを教えてくれたのだった。小学生の私にとって、その事実はあまりにも衝撃的だった。そのときの、空っぽの檻を見つめていたときの心の隙間がどれくらいだったのかを、私は今でも覚えている。杭の下には、水で洗い流しきれなかった血の跡が残されていた。
───それでも。
あの衝撃は、私に大切なものを心に残してくれたように思う。毎日のように食べていたそれらは、「命をいただいている」という事実を、まざまざと見せつけられたのだった。
「ええーーー蛇出てこねえかなあ」
次兄はその頃、いい感じの棒を拾って、牛舎中をカンカン言わせながら暇を持て余していた。
命の重み < いい感じの棒 < 蛇との遭遇
こんなときにこのありさま。
次兄はとんでもねえ奴だということも、ひしと実感した出来事だった。
───まあ。
本当はなにを考えていたのか、なんて。
実際、わかりもしないけど。
ニワトリを見たら。兄ちゃんもこのこと、思い出したりすんの?
べつに。どっちでも、いいけどさ。
猫の恨みは後からやってくる
長崎のその実家には、たくさんの猫がいた。
飼っているわけでもなく、朝、昼、夕方になると、どこからともなく、近くの野良猫がたくさん集まってくるのだ。ひいばあちゃんは、ご飯の支度をして残った魚の切れ端や骨、みそ汁の残りとご飯をごちゃまぜにして、猫まんまをたっぷり作る。
台所の勝手口を開けると、たくさんの猫がご飯を求めてむらがってくる。
たくさん置いてある皿にひいばあちゃんがご飯をよそうのを、私は後ろから見ているのが好きだった。
ひいばあちゃんが歩くたびに、猫がわらわらと集まってくる。ときに集まりすぎて、邪魔だと言わんばかりに杖をふるうひいばあちゃん(怖)に、猫たちは負けじと食らいつくさまは、なんだか羨ましくもあった。
私は「野良猫だからあんまり触っちゃだめよ」とオカンに言われていたから、そっとそれを眺めるだけ。
たまに懐っこい子が足元に絡みついてくることがあったけれど、「ごめんね」と言ってその場を離れる。
私。言われたことを守るタイプの人間なので。
───その頃、次兄が猫に対してどうしていたかというと。
「見てろよ! いくぞーーー!!!」
家の前の通路にあるため池に、猫を捕まえては放り込んでいた。
バッシャアアーーーン!!!
池に落とされた猫は声も上げられないままに慌てて這い上がり、身体を大きく揺さぶると、そのまま勢いよく走り去っていく。
「はえーーー!!!」
その様を見つめて、次兄はゲラゲラと笑っていた。
悪魔みたいな男だと思った。
───ちなみに、彼は猫アレルギーだった。
調子に乗って猫をぶん投げ続けた結果じんましんを発症し、
「かゆいよ~」と急に子どもに戻って涙目になっていたが、当然誰一人として同情する余地はなかった。
オカンと父に全力で怒られている様を見ながら。
「私はこういう人間にはならん」と、いつも心に誓っていた。
そういう意味では、今ならちょっとは感謝してやってもいい。
おかげさまでまともな大人になれた気がする。
───いや。やっぱり。感謝するのはやめておこう。

感情を相殺する作戦
ハゲって言う方がハゲだし
小学生~中学生の私は、お小遣いやお年玉を少しずつ貯めて、それらのほとんどを漫画に費やした。おもに、「ONE PIECE」や「NARUTO」や「いちご100%」「BLEACH」といったものたち。(全部少年ジャンプ。全部バイブル)
それらを、次兄は当然のごとく読み漁る。私が買ってきた漫画を、あとでじっくり読もうと思って置いておくと、なにも言わずに読みだすわけだ。
それだけならまぁ。ギリ許す。……いや許せんけど。なんで買ってきた方が読み終わるの待たないかんねん。やっぱやめるわ許すの。
とりあえず。何より問題なのは、次兄の持っている漫画やゲームについては、必ず事前許可が必要だということだ。
「おい、オメエ、なんで俺の『たけし』読んでんだよ!」
「『ハガレン』俺のだし!!!」
私が「世紀末リーダー伝たけし!」「鋼の錬金術師」といったそれらの漫画を読むと、とんでもない反射神経を発揮して、次兄はジャイアンマインドを発動してくる。
「だって、アタシのは勝手に読んでんじゃん」
私が言えば
「だってよお。それはお前……こっちは俺のだから」
中学生になった次兄は、英語の小文字のbとdの違いがわからずに「これってどっち?」と当時小学生の私に聞くくらいにはアホだったので、言い訳もアホだった。
「意味わかんない」というとだいたい
「おま、この……ハゲ!」と言ってきた。
いや、ハゲてねえし。
ハゲてねえ人に向かって、次兄はとにかくハゲボケアホハゲと言っていた。オカンにも父にも長兄にも、必ず怒られると「ハゲ!」と泣きべそかいて言っていた。侮辱する言葉のバリエーションすらも少ないアホっぷりだった。
たけしやエルリック兄弟から、こいつは一体なにを学んでいるんだろうと思った。あんなに主人公たちがめちゃくちゃいいこと言ってるのを理解していないんだろうか。もう一度よく読んでみろ。この治外法権ジャイアンめ。
我が家の法律に従わず、勝手なルールを作り上げ自分の国のルールを持ち出すこの男は一体、どうしてこの家に生まれながらにしてこんな男になったのか、理解できなかった。
とりあえず、「『ハガレン』読むからねえ!?」と、若干キレながら確認することとした。
次兄は「ウン」と言ったり、たまに無視したりした。
痛みを伴わない教訓には意義がない。
人は何かの犠牲なしには何も得ることはできないのだから。
次兄へ。
もう一度この意味を理解できるよう、「鋼の錬金術師」を読みなおしておいてください。あなたの信念に対する犠牲はなにかあるのでしょうか。今度この意味をもう一度確認します。
私も答え合わせのために確認しておきます。
だから
「『ハガレン』読むからねえ!!??」

いいか。必ずだ。
自己中の血は何色だ
……治外法権といえば。(治外法権といえば???)
私の家族は、次兄以外みんなB型である。
次兄だけは、解せないのだが、O型である。
当然、B型とB型の親の子がO型であることに、今ならば特になんの疑問も抱かない。
しかし当時の私は考えたのだ。
「どうして、ひとりだけ血液型が違うんだろ……しかも性格一番悪い次兄だけO型なんて……アリエナイ……」
「B型だけ『自己中』と言われるのに、この家族の中で最も自己中な次兄がO型なんて……なにかの間違い……では……?」
「てか(腹の立つ話だが)顔も3兄弟の中で唯一ぱっちり二重だし、くせ毛家族の中でひとりだけ髪もドストレートだし……」
「ってことはもしかして……血もつながっていないのでは……?」
「んま、んまさかあ……次兄は……次兄は……橋の下で拾われた、とか……実は海外からやってきた孤児……とか……」
ここまででおわかりだろうが。
私は漫画脳だったので、妄想癖がたいそうひどかった。
自分の勝手な妄想による一抹の不安に駆られた私は、家に誰もいないある日、恐る恐る母子手帳入れに手を伸ばした。
オカンが手作りで作った母子手帳入れからそれを取り出し、そっと次兄の記録を読む。
次兄は、オカンが実家の長崎に里帰りをして産んだと聞いていた。最初の方のページ……出生記録を確認する。
そこには確かに、長崎県にある病院の名前があり、当時の記録が詳細に記載されていた。兄弟3人分の記録を読み返すと、次兄は最も体重も少なく、小さな赤ちゃんだった。
見慣れたオカンのきれいな文字で、生まれる前から生まれた後の日々まで。数々の記録がつづられていた。
なので、まあ。
ふつうに、彼はオカンから産まれていたし、紛れもない私の兄ということが、ただ単にひそやかに、証明されたのだった。

できない割にちょづくマグロ男
ここまででご理解いただけたように、彼は勉強はからっきしだ。
たまに漢字テストだけ100点を取ってきては、これ見よがしに自慢した。
「俺って、できるけど、やらないだけなんだよね」
次兄の口癖だった。いちいち腹の立つ男だった。そういう意味では才能が開花していた。
そんな彼は、高校では「水産系の高校に行く」と言い出した。
「普通の勉強するよりも楽しそうだから」という理由だ。夢もへったくれもない。でも、確かに彼には合っている気がした。
ただし、そこに入るまでの工程でも、彼はやらかしていた。
入試の日。次兄はそれをすっかり忘れて、普通にクラスで授業を受けていたのだ。
「おい! 今日、面接だぞ!」
面接会場からの電話を受けた先生が、真っ青な顔をして言いに来たらしい。入試の日なんて、本人はもちろんだが、先生や親も確認していそうなものだが、こんな事態が起きてしまうのが次兄のなせる技なのだ。
これから来てくれれば面接するという高校からの返事に、慌てて会場に向かった次兄。遅れてきたからには、ちゃんとした応対が試されるところであるが……。
「遅れて行った面接で。なんて言ったの?」
面接に行ったその日。今後の参考にもならないだろうが、私は揶揄うように聞いた。
「『マグロの缶詰を作りたいです』って言った」
彼は言った。
「……は?」
「マグロとかみかんとか、いろんな缶詰つくったりするんだよ。船に乗って海に行ったりとか。それが楽しそうだから」
ダメだこりゃ。
私は思った。きっと私だけではなく、オカンも父も長兄も先生も誰もが思っていた。
しかし。次兄は受かった。(なんでや)
「ほらな~。俺はやればできるんだよ」
次兄はちょづいた。わかりやすく調子に乗っていた。
どうやら、その年その高校は定員割れしていたようだったが。せめてもの情けで、それは伏せておいた。
当時の彼の自尊心を保ったことについて、私の眼前にて、ひれ伏して感謝してほしい。

自分じゃ絶対買わないけど
感謝の気持ちとして買ってくれるなら
ぜひ付けてみたいネイルチップのリンクつけておくので
あとで見ておくように
マグロ男が地上に帰ったら
次兄は高校で、マグロの缶詰を作ったり、船に乗って航海ししばらく家を空けたり、包丁の練習のためにリンゴの皮を剥いてばかりいた結果、最後まで切らずにリンゴの皮を剥ききるという特技を身につけるなどした。
「見ろよこれ」
うまく切れたリンゴの皮をぶら下げて、彼は誇らしげに言った。なんか知らんけど、楽しそうで大変よろしいんじゃないでしょうか。と、私は思った。いつも無気力にゲームばかりだった次兄が楽しく通っているのを見て、オカンも父もうれしそうだった。
高校を卒業後。彼は横浜のみなとみらいの大きなビルで、料理人の見習いとして就職した。彼が社会人になって働きだすなんて、想像もできなかったことだった。
───そして。半年と経たずに、彼は退職した。
朝5時起きという環境が過酷だったと、オカンには言っていたそうだが。
もっと頑張れよ。熱くなれよ!
当時高校生としてバドミントンに燃えてすっかり松岡修造脳だった私は、そんなことを思った。
でももはや、彼に直接、なにか言おうとも思わない。
なにを言おうと、彼が変わろうとすることはないと。それまでの人生でわかりきってしまったからだ。
たとえば。
次兄があまりにもスパスパたばこを吸うので
「ガンになって死ぬよ」と私は言った。
「別に長生きしたくねえ。俺はすぐに死んだっていい」
彼はそう言った。
こういうヤツなのだ。
泳ぐ海を失い、地上に戻ったマグロから足と手が生えてくることはなかったのだ。たばこだけはふかすクセに。
───そこから今現在に至るまで。
彼は就職したことはない。
ちなみに、間もなく39歳になろうとしている今も、だ。
ニート時代も長く、フリーター……といえど、彼はフリーターですべてをまかなっていけるような稼ぎもない。
「昼ごはん代ちょうだい」
「交通費ちょうだい」
アルバイトに行くたびに、そう言ってオカンに金をせびる。
一体、金をもらって何をしに行くのかわからない。
これが彼がクズたる所以だ。
お酒も飲むし、金はないのに飲み会には参加するし、たばこも吸う。たまに風呂の換気扇の元でたばこを吸い、そのあとに風呂に入る私はあまりの臭さにブチ切れた。
あるときは突然ホストみたいなファーがギラついたコートを着て帰ってきて「なにそれ」と聞くと「彼女に買ってもらった」という。
しばらくすると、あまりにも毎日家にいるので「デートくらい行けば」と言うと
「俺、もう彼女とかいいわ。金かかるじゃん?」と言ってのけた。
クズ以外に表現する言葉がこんなに見つからないこと、ある?
でも、もう本人に「いいかげんにしろ」と伝えるのも諦めていた。
だってもう、こういう人間だから。って。
マグロ男は人間にはもう、戻れないって。

クズ男、オジサンになる
私は24歳で結婚し、25歳で子どもを出産。
初めての出産では、里帰り出産をした。
実家には今も家計を支えるべく働くオカンと、週に2回ほどフラリとお小遣いを握りしめて働きに行き、それ以外はずっと家でたばこをふかしてゲームをしている次兄がいた。
「仕事は、探しているんだけどね」
オカンは次兄をかばうようにそう言った。
昔は毎日のように次兄を叱り飛ばしていたものだが、今はここにふたりきり。暴言もなくなり大人しくなった次兄と、日々過ごしている。
これでもし働き出して家でも出れば。オカンはひとりきり。でも、ここでこうしていても、お金がただただかかるだけ。
次兄は今。なにを考えているんだろう。ふと思った。
「お風呂行くから。ちょっと、長女みてて」
里帰り中の、オカンが仕事で不在の夜。私は次兄に言った。
次兄は、リビングでテレビを眺めながら「ウン」と言った。
私は高速でお風呂に入り、髪もびしょ濡れのまま飛び出す。
「泣いてるぞ」
ベビーベッドで、ふええ……と小さな声をあげている長女を真横で見ながら、彼は直立不動で言った。確かに、「見ている」。見ているけども。
「はいはい……」
私は自分の濡れた髪もそのままに、長女を抱っこした。
当時は私も初めての育児。育児は私がするものと思っていたから、そのまま特に疑問も抱かなかったけど。

翌年。年子の妹を私は出産し、また実家にもどってきた。
次兄がリビングを独占してその場でたばこをふかすようになってから、リビングの壁がひどく汚くなっていた。
「もうここでは吸うなよ吸ったらわかってんだろうな」
私はそんな無言の圧を持って、長女を連れて実家に舞い戻った。
次兄は、キッチンの換気扇の下でたばこを吸うようになった。
長女は、次兄を見て泣いた。でもそれも最初だけ。
じきに、慣れて彼の元におもちゃを持っていくようになった。
「おう……」
次兄は、不慣れな手つきで、そのおもちゃの車をぶーんと動かす。
長女は笑った。次兄はウンウン、と頷いた。
次女の出産後。夫とオカンとともに産院から実家に戻ると、次兄がいた。
「おつかれさん」と、彼は言った。
「はい。次女」
私は彼に、次女を渡す。
2回目ともなると、赤ちゃんがちょっとやそっと泣いたって私はかまわなかった。
彼は、ええ、と戸惑いながらも、ぎこちなく次女を抱っこする。
「うわ……かるっ……」
次兄は言った。少し、笑って。
「お風呂入るから。ちょっと、次女見てて」
夫も自宅に戻り、オカンも夜シフトの日。私は長女とともにお風呂に入った。次女はベビーベッドで静かにしていた。次兄はいつものように「ウン」と、テレビを眺めながら答えた。
古くて勢いが少なくなったシャワーで長女を洗い、ワンワンとうーたんのお風呂グッズでひとしきり遊んでから、リビングに戻る。
「泣いてたぞ」
次兄はそう言って、ベビーベッドの傍に立っていた。
その手には、おくるみでぐるぐる巻きにされた次女がいた。眉間に皺が寄っていたけれど、静かにすやすやと寝息をたてている。
「……さんきゅ」
私は言った。
長女は次兄を見て、くすくすと笑っていた。
驚いて、写真すら撮れなかった光景だった。
ヤンキーにもなれない次兄は、地上に戻れるか
「次兄~!!! いるのかあ! 遊ぶぞ~!!!」
現在。
うちの双子は、実家に戻るとすぐに次兄の部屋に行く。
私の次兄にた対する態度もちゃんと見えてしまうんだろう。彼らにとって次兄には伯父の威厳はまったくなく、「ゲームがうまい兄ちゃん」としてのポジションだけを確立していた。それだけでも、男児からは十二分にどうやら尊敬されているらしいので、まあいっか。
しかしながら、「次兄はだいたい家にいる」ということに、とっくに彼らは気がついている。
ばあばの家に行こう。というと
「次兄いるかな? ゲームできるかな」
「どうかなあ」
「まあ。どうせいるよね」
「うん。いるいる」
そうやって、我が子たちは結論づける。
結果、当然のごとく次兄がいる。
時にはいなくってもいいのに。つまらん奴だ。


ヤンキーが雨で濡れそぼった子猫にやさしくしているのを見ると、人は
「アイツ……いいとこあんじゃん……」
と、トゥンク……するのは常である。
では、クズでどうしようもなくフリーターのアラフォー兄が、妹の子にはわりと優しい場合はどうか。
……いやそれくらいは当たり前ェだろ。
しかし……なんとも、解せぬ。
こんなにダメ人間な次兄は、当たり前のことをしてくれるだけでもなんだか良いヤツに見えてしまう。ヤンキー×子猫の方式とは、似たようで異なるはずなのに。
そう、思うのに。
やっぱり、次兄が私の子どもたちを慈しむように見つめてくれることに。
よかったなって思ってしまうのは、私が妹だからなんだろうか。
「お前らはいつでもいっしょにいたな」と長兄は言う。
小さな頃の思い出の中では、確かにいつも、次兄と私は喧嘩ばかりする癖にいつもいっしょにいた。次兄のゲームを傍らに眺めながら、私が漫画を読むあの時間は、人生の中で最もくだらなく、最も平和な時間だった。
感謝されることはあれど。特に感謝することはない。
ただ。
私は”妹”でよかったな。とは、思わなくもないかもな。
───先日。
私が父のことを記事に書き、それがきっかけで朝日新聞に取材をしてもらったと、家族LINEで伝えた。叔母や長兄は「おめでとう」「親父のダビングデータ送って」と言った。
次兄は。


いやなんでよくわからんねん。
朝日新聞くらいはわかるやろ。
なにに「了解」したんやコイツ。
ってことで、やっぱり次兄はアホだった。
アホだけど。
まぎれもなく、これが私の次兄なのだった。
そんな彼は知り合いの紹介の話を受けて、近いうち、農家の仕事を手伝う算段になっているらしい。
とりあえず。
猫を見つけても、池に放り込まないように。
いい感じの棒を持って、あたり一面をカンカンしないように。
マグロの缶詰を作りたいですなんて言い出さないように。
しっかり手と足を生やし、前を向いて地上を歩いて生き、多少は長生きするように。
それだけは改めて、伝えておこうと思う。

ちなみにバージンロードは長兄とだった

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