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その、足。|2011年、掌編小説

大学生時代に使用していたUSBから、2011年当時に書いた短編小説のデータが出てきた。
文章が荒々しいし、いったい当時何があったのかと思われる内容だけど、これも記念だなと思って掲載してみる。当時もバリバリ元気でした。
が、今の私とはおおよそ別人ですのであしからず…




その、足。


豚足。

ああ、これが生き物の足であるとは。煮詰めてやわらかくなったそれを見つめるたびに、朝子は愕然とするのだ。なんて醜い形。肉付き。指。爪。これが食べ物なのか。口に入れる前にはいつもそんな不安が一瞬朝子の脳裏をかすめる。しかしひとたび口に入れると、疑いはすぐさま至福の時に変わるのだ。

うまい。
こりこり。
どろどろ。

ああ。

月に一度は、この醜い豚の足を通販で手に入れて朝子は自ら調理することにしている。みりんと醤油、料理酒を入れて鍋で三時間以上煮込み一晩寝かせておけば、翌日にはその見た目からは予想もつかないような、美味な足ができあがるのだ。

そう、美味な足が。

いい響きだ、と朝子は笑みをこぼす。
これを食しているとき、彼女は優越感とも、充実感とも言い難い、なんとも言えない感情を一緒に飲みこんでいるのを感じる。

そこにあるのは、「私は足を食しているのだ」という事実。今、この口で、あの土にまみれて育っていく醜く汚い豚の、ぷりぷりとした足の肉を、溶け出したコラーゲンを、私は噛みしめて消化するのだ。

「おいしくなさそうに食べるよね」と朝子は他人によく言われる。
しかしそれは自分でも実感していることだったので、まるで気にしてはいなかった。食べることに元々興味がないし、正直そんな時間はもったいない。食べずに人間が生きていけるのならば、それほど楽なことはないとさえ朝子は思う。それでもこれは別だ。この豚足だけは、まるで断食を諦めて我慢していたケーキに貪りつく女子大生のような食べ方を強いられる。コラーゲンと肉汁でぎらぎらと濡れて光るこの唇。

なんて醜い。汚い。それが、いい。

 豚足をぺろりと平らげてしまった後、朝子はティッシュを二枚抜き取って、無造作にぐしゃぐしゃと唇を拭った。本当ならば、足をむさぼった後の油で濡れたままにしておきたいと思ってはいるが、大学へ行く前に口紅をのせるため、朝子はしぶしぶその油をふき取る。新しく買ったサーモンピンクの口紅は、色の白い朝子の肌に良く映えた。リップラインを綺麗に整えて、ラメ入りのグロスを上から薄めにのせる。口角をあげて鏡に微笑んだその顔は薄化粧ではあるが、どことなく色気を感じさせた。

──この口紅、あのCMの女優より、私の方が似合っているんじゃない?

 そんな傲慢な想いが朝子に湧き上がってしまうのも無理はなかった。肩までのびる茶色い髪は、色素が薄くやわらかで、かつ毛先まで細やかに手入れが行き届いている。白い肌にはくすみもにきびもまるでなく、ファンデーションも必要ないほどの透明感。たまご型の小さな顔にあるふたつの目は、一重ではあるが、切れ長で流し目の似合う妖艶な輝きを秘めていた。

朝子は、美しかった。

「もう準備はできたの」

鏡の中で微笑む朝子の後ろに、エプロンを外す母の疲れた表情が映りこんだ。テーブルにそのままになっていた豚足の皿を流し台に下げながら、よく朝から食べれるわねこんなの、と母がつぶやく。朝子は、ん、と適当な相槌をうち、たいして道具も揃っていない化粧ポーチをかばんにしまいこんだ。朝八時。母の運転する車に乗って、朝子は最寄りの駅へと向かう。

朝の忙しい街並みを規定速度ぎりぎりで駆け抜ける車の中から、朝子はいつものように思い思いに歩いていく足を見つめていた。早足で通勤するサラリーマン。制服姿の初々しい学生。スカートを翻して歩く若い女。朝から活動する足、足、足。

──足は本当に、純粋な想いで見つめていられる。いつでも。誰のものでも。

朝子はいつもの「足並み」にうっとりしながら、そんな想いを心の中で口にした。男の足だとか、女の足だとか、若い足とか。そんなことはどうでもいいのだ、と朝子は今一度自分自身に確認するように言い聞かせる。
太ももからくるぶしにかけてのライン。膝小僧のかわいらしい浮き上がり。ふくらはぎの健康的なふくらみ。足の美しい部分を見つけることが、朝子の日々の楽しみだった。足は「足」であり、その持ち主の性格も地位もレッテルもなにも関係ない。

「美しいか否か」

それが朝子にとっての「足」であり、人間の価値そのものなのである。足こそがこの世で最も、絶対的存在なんじゃないか。朝子の歪んだ熱は、たびたびそんな想いをも浮かび上がらせていた。

ああ、いい足が多いな。今日は、いいことがありそう。朝子はひとりほくそ笑んだ。

もちろん、窓の外をしきりに見つめてはニヤついている娘に、母親が怪訝な目つきをバックミラー越しに投げかけていることに朝子は気づいてはいない。そのまま車は緩やかにスピードを落として、駅前の駐車スペースへと入っていく。



大教室での授業は、朝子にとって目の保養になる憩いの場である。教室に入ってそのまま奥へと進み、いつもの窓際最後列に座る。その席からならば、ノートをとる格好のまま教室にある足を垣間見ることができるのだ。その日も朝子はいつものように特等席に進み、教室全体を見渡した。今日はどんな足がこの教室にひしめいているのだろう。朝子は湧き上がる興奮を冷静に抑えながら、その場からよさそうな足の選別を開始する。
むちむちした白い太ももを恥ずかしげもなく出しているギャルの足。妙に膝小僧が浮き上がった細い男の足。男顔負けの立派なふくらはぎを持ったミュールの足。組まれていたり、靴から解放されて投げ出されていたり、それぞれの時を過ごす足たちを見つめながら、朝子は理想の足を頭の中で思い描いていた。

そのとき朝子はあまりにぼう、としていたため、自分の手の中からシャーペンが抜け落ちたことにも全く気づかなかった。

「落ちたよ」

隣にいた男子学生にそう声をかけられた時にも見向きもしなかったほどである。とん、と肩を叩かれて、朝子はようやく我に返った。振り向いた瞬間、はいこれ、と差し出された自分のシャーペンが視界に入る。その次に目に入ったのはいつも見つめる部分だった。
瞬間、広い教室にチャイムが鳴り響く。

じゃあ、とかなんとか言って彼は去っていったような気がする。朝子はその男の顔を思い出そうとしたが、それは不可能だった。それよりも衝撃的なものが目に焼きついて離れないのだ。
もう、たった今授業が終わってしまうことが残念でならなかった。このときばかりは。


ああ、来週……! 来週のこの時間よ! 必ずまたこの授業に来なくては。逃してはいけない。あの足を逃しては、逃しては……。

朝子は、堅く決意した。


よくよく見てみたら、まあなんてことない顔の男だと朝子は思った。まあ顔はどうでもいい。先週のことをきっかけに朝子は話しかけ、一緒に駅まで向かい、ちょっと新宿まで出ないと誘い、居酒屋に入り、その流れで上手くホテルまでやって来た。私が少し甘く話しかけてみればこんなものだ。朝子は静かに笑う。

最初こそ警戒していた男も、酒が入れば何のことはない。欲望剥き出し。醜いものだ。しかしそれも、あの足の美しさの前には関係ない。

閉鎖的なロビーで男が鍵を受け取っている間も、朝子の瞳はそこに釘付けだった。体が、全身がそれを求めていた。

エレベーターに乗り込んだ瞬間、男は我慢できないとばかりに急に後ろから朝子を抱きしめた。それは朝子にとって計算外であったが、最早我慢しきれないのは、彼女の方だった。

腕を振りほどき、よろめいた男の足元に膝をついて、震える手でズボンのベルトを外した。エレベーターは目的の駅に着いたが、ふたりは気づかない。ふたりの荒い息遣いだけがそこにあった。朝子ちゃん、とやけに興奮した男の声が上から降る中で、遂に朝子は対面した。

「ああ!」

薄い脛の毛。固く膨らんだふくらはぎ。膝小僧のかわいらしい浮き上がり。思わず頬ずりをしながら、そのラインを朝子は感じた。美しい。こんな足に会えるなんて。

わけが分からずに困惑の表情を浮かべた男に、朝子は感動と切実さとで涙しながら、哀願した。

「ああ、綺麗……。こんな、こんな足に、踏みつけられたなら、私は、私、なにも、いらないっああ……お願いお願い! その足で、私を、その、足で、私、私を……!」



ホテルの従業員に起こされた時には、朝子は古びたエレベーターにひとり横たわっていた。ゆっくりと身体を起こすと、身体中に鈍い痛みが伝わる。

「大丈夫? すぐ、警察に連絡するわ」

その清掃員らしき女性が朝子を心配そうに見つめた。朝子は手の甲で鼻をこすりながら、いいんです、とつぶやいた。

「……いいんですよ。これで、いいんですよ。ふふ。いいの。ふふ、ふ」

その声を聞いた女性は、さっと顔色を変えてその場を足早に去っていった。

手の甲にべっとりとついた朝子の血の色はどす黒く光り、恐ろしく醜かった。血痕が無数に広がるその小さな個室を満足そうに見渡して、朝子はゆっくりと立ち上がる。

鼻からしたたり落ちる血が、唇を濡らした。
「うまい」
と、その唇に自分で舌を這わせて、朝子はつぶやく。

朝子はそのまま、豚足を求めて夜の街に消えていった。







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