ばあちゃんは、私を忘れる
小さい頃の私は、ばあちゃんがけっこう、苦手だった。
ばあちゃんはいつでも全力で生きているような人だった。座ってのんびり……なんてしていられなくって、その古い小さなトタン屋根の家の中を、眠るまで右往左往していた。
父方の祖母であるその人は名古屋に住んでいたので、私たち三兄妹は「名古屋のばあちゃん」とうちうちに呼んでいた。
我が家に語り継がれるばあちゃんの歴伝は多数ある。
かつて父につくったばあちゃんお手製弁当に白米が詰め込まれすぎてカッチカチになっており、あまりの固さにプラスチックの箸が何度も折れたとか。
名鉄の混み具合を見るたびに「名古屋の人間は電車のマナーを知らんの!?」と憤慨し、ドアが開くと同時に入ってくる名古屋人の波に逆らって、腕をクロスしながら毎回下車していた話とか。
ちょっと、小さい頃の私にはあまりにも刺激的なばあちゃんだった。
小さい頃の私はとにかく大人しかった。
知らない土地に行けば、慣れるまでしばらく父とオカンの傍から離れることができない。だけどオカン(実母)は、実家の長崎でも義実家の名古屋でも、私を放置してわりとせかせかと動き回る人なので、基本的に私は父の膝の上にいた。
そんな私にとって、ばあちゃんのパワフルさはいつも有り余りすぎて、少々重荷に感じていたのだ。
ばあちゃんの大きい声は、いつでもどこでも響き渡る。眠りに落ちるその瞬間まで、その口は閉じることがない。
息子である父は、私を膝の上にのせたまま「あ~うん」とか「そうだよねえ」「ぼちぼちだよ」と、のほほんと言葉を返す。
そのうちにばあちゃんは、息子と孫たちに目一杯のご飯を食べさせるべく、オカンを台所に引き込み、魚をさばいたり料理をしたり、風呂を沸かす。
「お義母さん、違うってば!」
「そんなにいらないよ、ムリムリ!」
オカンは、いつもばあちゃんと、本当の親子のように話をしては、「ああ~もう、おかしい」と涙を出して笑っていた。
当時、オカンとばあちゃんがあまりに自然に話をしているので、オカンと父、どっちがばあちゃんと本当の親子なんだか、よくわかっていなかった。人体の仕組みすらよくわかっていなかったしいも少女は、「名古屋のばあちゃんは、お父さんとお母さんの、お母さん」としばらく本気で思っていたほどだ。
ばあちゃんや、物静かで優しいじいちゃん、いっしょに住んでいた叔母。みんなが温かいその古く小さな家に毎年夏休みに帰省することが、私たち家族の楽しみだった。
でも、ばあちゃんの話の矛先が私に向けられる瞬間だけは。どうにも、その「圧」が強すぎて、いつまでも私は父の膝の上から降りられないのだった。
───しかし。
高校1年生になると、私は変わった。
「高校デビュー」したのだ。
眉毛も剃ったというか、なくなったし、髪は逆立てて、赤いメッシュを入れて、爪にはいつも色をのせていた。とにかく人と被らない派手な格好がしたくて仕方なくて、愛読書「Zipper」を読んでは、柄に柄を合わせて個性的なファッションに身を包んだ。
父は、どんどん派手になっていく娘に「眉毛がないじゃあん」「ちょっと、その爪! 真っ黒じゃない、神経死んでるよお?」と言っては、少し寂しそうだった。
けれど、その変化を誰よりも喜んでくれた人がいた。
名古屋のばあちゃんだ。
「んまあ~! しいもちゃん! もう~美人さんになってえ~!」
「お化粧上手ねえ! ばあちゃんもねえ、けっこうお肌綺麗なのよ? 今度、お化粧してもらおうかねえ!」
ばあちゃんは、私の顔を見つめるたびにそう言ってくれるようになった。私も、中学・高校と、バドミントン部での交流関係の広がりもあり、ばあちゃんの「おもしれえ女」の部分がわかるようになっていた。
「あんたはねえ。もう本当にねえ、生まれたときから地味イ~~~でねえ。ほんとにねえ。もう、おばあちゃん、どうしたもんかって思ってたのよ! ああでも、ほんとにねえ、よかったわあ~~~」
余計なことも言っちゃうのが、ばあちゃんが「おもしれえ女」である所以だ。
「なに、そんな心配してたの? てか、それ言わなくていいから」
私も、そんなばあちゃんの発言を笑って返すくらいの女になっていた。
名古屋のばあちゃんの味がわかってからが、人生、おもしれえということに、ようやく気づいたのだ。
そんな、高校デビュー間もない高校1年生のとき。
愛知県で「愛・地球博」が開催された。
2005年のことだ。
父は、いつのまにかチケットをゲットしていた。
真面目な父のことだ。不正入手ではないはずである。
「しいも! 愛・地球博に行こうよ! 名古屋のばあちゃんといっしょに!」
私は、次兄と父とともに、愛・地球博開催の地へと赴いた。チケットの枚数の関係だったのかはよく覚えていないが、オカンと長兄はお留守番で、父・次兄・私・ばあちゃんという異色4人のメンバーとなった。
「しいもちゃん。かわいい恰好だねえ。帽子も素敵ねえ。髪も真っ黒でねえ、ここちょっとだけ赤いのね、そこがまたいいのよねえ」
ばあちゃんは、高校デビューしたの私のありとあらゆる部分を褒めてくれる。
「もうねえ。本当にねえ。あんたはもう~地味やったのにねえ。眉毛もねえ、こーんなに太くってねえ。野暮ったくってね〜。今はもう本当にねえ、綺麗よ。素敵! 眉毛も整えてねえ。それくらいでいいわよねえ、うん」
ばあちゃんはいつでもどこでも、余計なひとことは忘れなかった。
愛・地球博で、どのパビリオンに行って、なにを見たのかは正直、あんまり覚えていない。
覚えているのは。初めて、トルコアイスを食べたこと。
ばあちゃんが、アイスがくっついてなかなか渡してくれないという、あのトルコアイスのパフォーマンスをじっと見つめて、「んまあ~、ようできとるね! どうなっとるの?!」といたく感心していたこと。
長い階段を登っていると。
「しいもちゃあん、待って~!」
そう言って。軽やかに階段を駆け上ってきたばあちゃんが、私の腕をつかんだこと。
「ああ可愛いね。おばあちゃん、いっしょに来れて幸せ!」
ばあちゃんが、私の腕に抱きついて、何度もそう言って笑ったこと。
「私も。ばあちゃんが好きだよ。来てよかったよ」
私は言った。
それまでも私はもちろん、ばあちゃんは好きだった。
でもその日。ばあちゃんが絡めてくれたその腕の力強さを受け止めた日から。
私は本気で、ばあちゃんという「人」が大好きになった。
私たちは顔を見合わせて、ぴたりと添うように歩いた。
そんなふたりを見て、父が優しく笑っていた。
父といっしょに名古屋に行ったのは、それが最後になった。
翌年。
父は、亡くなった。
遠い地で。
知らないうちに、息子を亡くしたばあちゃんの気持ち。
私には、想像もできない。
父が亡くなったとき。ばあちゃんは、連絡をしたらすぐに名古屋から神奈川の端っこの私の家に、じいちゃんと飛んできて。到着してすぐに、オカンのことを力強く抱きしめた。
オカンは、泣いていた。
…………ばあちゃんは、泣いていたのかな。
わからない。
ばあちゃん。
あのとき、オカンに、なんて言ったの?
息子を亡くして。もっともっと、泣いて泣いてそれでも涙が枯れないくらい、悲しくって仕方ないだろうに。
どうしてあんなに、ばあちゃんは強かったんだろう。
父が亡くなって数年後。
じいちゃんが、自宅で倒れた。
脳梗塞だった。
じいちゃんは半身麻痺で入院。
ほとんど、寝たきりになった。
弱っていくじいちゃんのため、ばあちゃんは毎日のように病院に通い、いつものように楽しそうに話しかけていたそうだ。
そして、寝たきりなのに勝手に最中をあげて、じいちゃんを窒息で殺しかけたりした。
「じいさんが好きだから、元気になると思ってあげたのに」と、看護師さんに注意されたばあちゃんは憤慨していたそうだが。そのばあちゃんの行いに何度も病院へ謝罪に出向く叔母は、大変に疲れているようだった。
離れて暮らしていることが、申し訳なかった。
それでも。
忙しい中でがんばってくれた叔母のケアと、その娘である従姉妹の存在。
そして最新医療の進歩と、医療従事者の方の日々の献身。
そして、ばあちゃんが勝手に最中をあげることがなくなったおかげもあって。じいちゃんの症状は徐々に回復。
数年後には、私の結婚式にも、車いすで参加することができた。
結婚式の日。ばあちゃんはじいちゃんの車いすを押しながら
「ほら。じいさん。しいも、ものすごい綺麗よねえ」と言った。
じいちゃんは、にっこりと笑っていた。父にそっくりなその笑顔を見つめると、私の胸にも幸せが溢れた。

控え目に笑うじいちゃん。
じいちゃんはその後。自宅介護を経たのちに、介護施設へと移った。
じいちゃんが介護施設に移った頃、私は3度目の出産で双子を産んだ。
そして、オカン、長兄家族、次兄、夫と子ども4人を引き連れてじいちゃんに会いに行った。1年遅れの、父の十三回忌もかねて。
2019年の秋のことだった。
「じいさん! しいもだよ! み~んな、じいさんに会いに来たのよ~」
いっしょに施設にやって来たばあちゃんは、じいちゃんの耳元で大声で説明した。あわや大きなショックを与えすぎなのではと思われるも、じいちゃんはすっかり固まった顔の筋肉を動かして、うん、と頷いて、笑い。
静かに、静かに、泣いていた。
私は、抱っこしていた次女の手のひらで、その涙をぬぐった。
じいちゃんの姿を、私はじっと、この目に焼きつけた。
ばあちゃんはその間、何度も「私もね、もうすぐあっちに行くんよ」と私にささやいた。
「しいもちゃん、きっと写真も上手に撮ってくれるでしょう。おばあちゃんの遺影とって! ね!?」
じいちゃんの施設で、私に耳打ちするようにそう言った。
「しいもちゃん、おばあちゃんの遺影撮って! そんでねえ、○○(叔母)に送っといて! ね!」と繰り返す。
じいちゃんの姿を見てすぐにそんな、遺影なんて……とごまかすものの、ついにはトイレに連れ込まれ
「ここの壁は綺麗だわ! はい、しいもちゃん、撮って!」
と、キュートなキメ顔をされてしまったので、致し方なく介護施設のトイレで遺影写真(候補)を撮ることとなったりした。


あと帽子も取るの忘れとった。
ということで、別の現場で遺影TAKE2も撮影した。
やっぱり、トイレで。
私は、自分のカメラロールに残る遺影写真を眺めた。ばあちゃんは、とても姿勢がよく、美しい人だ。80代だと言っても他人には信じてもらえないほどに綺麗にしている。そして、若い時から大層苦労してきた人だそうだ。
遺影を撮っておこう。美しい壁の前で。
来るべき歳になったと悟ったとき。私はそんなこと、言えるだろうか。
少なくとも、トイレで撮ろうとは言えないよな。
「んま~、本当に、いい男ねえ。夫くん。やっぱり若い男はいいわよねえ」
トイレから出て、道を間違って真反対に向かうばあちゃんを引き留めた私の夫に腕を絡めながら、スキップするように歩くその後ろ姿を見て。
私はそんなことを思った。
───そのあと間もなく。
コロナが蔓延して、じいちゃんには会えなくなって。
次に会えた時には。
じいちゃんは棺桶の中で眠るように横たわっていた。
とても穏やかな優しい顔をしていた。
じいちゃんの告別式の、前の晩。
親族のみの小さな葬式。通夜のあと、斎場に併設した宿泊施設でそのまま、眠るじいちゃんと、家族最後の一夜を共にしていた。
真夜中になると、叔母が突然、私たちを起こした。
「ばあさんが、おらん。脱走したかも」
私たちは跳び起きた。
じいちゃんが寝たきりになってから。ばあちゃんが度々、勝手に外に出ては家に帰れなくなって、警察のお世話になっていることは聞いていた。だから、その日も必ず誰かがばあちゃんの傍にいるようにしていたのに。
寝静まったその部屋から、音もなくばあちゃんがいなくなってしまったのだ。最悪のケースも頭をよぎり、私たちは慌てた。
「あれ……?」
ふと、みんながバタバタと、外に出て探しに行く準備をしだしているときに。私は、視界の隅に見覚えのある姿を捉えた。
そっとその影を追いかける。
斎場の奥。座布団やいすが並んだ、その小さな控室のような場所で、ばあちゃんが居心地悪そうにウロウロしていた。
「ああ……ばあちゃん……」
私はホッとして、気の抜けた声を出した。
「もう。どうしてここにいるの?」
私がそう言って一歩近づくと、ばあちゃんがこちらに気づいた。
「あっ。どうも…………」
ばあちゃんは。
……そう言いかけてから、私の顔をじっと見つめて、フリーズした。
その顔には、愛想がよく誰にでも笑顔を振りまく、懐っこい、「外向け」のばあちゃんの笑顔があった。
「……しいもちゃん! やだ、おばあちゃんねえ、おトイレしたかったのよ。どこかねえ? ここはなにかしらねえ」
ばあちゃんは、すぐに私のことを思い出したかのようにハキハキとしゃべりだした。そのフリーズ時間は、ほんの2秒くらいだったと思う。
でも私は。
「……いや……はは、ここは物置き、じゃ、ないの……? トイレは、こっちだよ」
───私は。
大好きなばあちゃんに。他人に会ったみたいな顔をされたそのショックから、抜け出せないまま。
小さな赤子の手を引くように、その人をみんなの元に連れて帰った。
だめ。
だめだよ。ばあちゃん。
愛・地球博のあの日みたいに。
ちゃんと私の腕を、しっかりと掴んでいないとだめだよ。
だから、すぐにどっかに行っちゃうんだよ、ばあちゃん。
まだ、だめ。忘れるには、早いよ。
早すぎる。
告別式の日は、よく晴れていた。
ずっと同居していた従姉妹が、じいちゃんに向けて最後の手紙を読みあげた。夫は、慣れない空気に泣き喚く双子を連れて外に出ていってくれた。
長い長い、お経の最中。
「どうしてここにいるのかしら」
とでもいうように。時折ふと、遠くを見つめるばあちゃんの様子が、私は終始気がかりだった。
それでもなんとか脱走することなく、告別式は粛々と進んだ。
出棺の直前。じいちゃんの棺の中に、色とりどりの花たちとともに、たくさんの思い出を詰め込む。私は、自宅で印刷してきた写真や、書いてきたお手紙を、そっとじいちゃんの手元に添えた。あちらに向かうときに、すぐに手にして見れるように。
娘や甥っ子たちは、昨晩いっしょに折った折り紙をたくさん入れた。
「ばあさんも。はい。……これが、最後だよ」
叔母にそう促されて。ばあちゃんは、一番大きな花束を手に取った。白く美しい百合の花を胸の前に抱えて、ばあちゃんはそっと、じいちゃんの頭側にまわった。
その花の意味を。
「これが最後」の意味を。
ばあちゃんはわかるのだろうか。
私は思いながら、ばあちゃんとじいちゃんの最後のときを見守った。
「じいさ~ん」
ばあちゃんは、棺に花を添えながら。
じいちゃんの穏やかな顔の耳元に向かって大きな声で呼びかけた。
「じいさん! ありがとうねえ。私ねえ。とーっても、幸せでした~!」
そう言って。
ばあちゃんは、じいちゃんの頭に触れて、笑った。
涙があふれて止まらなかった。
その場にいたみんなが、泣いていた。
ばあちゃんだけが。
愛する人をまっすぐに見つめて、笑っていた。
悲しくて、寂しくて。
でも、あたたかなその余韻をのこして。
じいちゃんをのせた黒い車は、すべるように晴れた空の下を走っていった。
じいちゃんがいなくなってしまうと、ばあちゃんの認知症はどんどん進行した。
そして。
叔母と従姉妹の負担があまりに大きいこともあり、ついにばあちゃんは介護施設に入居した。
入居当初は「帰りたい」と騒いだり、勝手に帰ろうとしたりしたそうだ。
でも今や、ばあちゃんはすっかり別人のように穏やかだという。
娘である叔母に会ってもなかなか思い出せなかったり、従姉妹のことを叔母だと思ったりしているらしい。
だけど。ずっとずっと両親の介護で苦労してきた叔母は。
ばあちゃんの足をもんで「ありがとうねえ」と拝まれながら感謝される、そんな時間が過ごせるようになったことを喜んだ。
静かで寂しくて、だけど優しいその時間を、最期まで大事にしてあげたいという。
ばあちゃんは今も、名古屋の介護施設にいる。
私は、そこに入居してからのばあちゃんに、会えていない。
三男を生んだこともあるし、その後長女も不登校になって、遠出が難しくなっていったこともある。
でも本当は、私は。
大好きなばあちゃんにまた、他人に向けたような顔をされるのが、怖いだけなのかもしれない。
「ばあちゃんに会いたいな」
数年後。叔母と従姉妹が我が家に泊まりに来てくれたとき、私は叔母に言った。
「でもさ、もう、きっと会ってもわからないよね」
私は、半ば理由をこじつけるように言った。会いに行けない理由を探すだなんて、愚かなことだとわかりながら。
そんな私の気持ちを、叔母は気づいていたと思う。
うんうん、と私の話を聞きながら、彼女は言った。
「いろんなこと忘れてるし。私のことも、ようわからんって顔することもあるけどね。周りの人に言ってるらしいよ。『自慢の、ようできた孫がいる』って。『かわいい孫たちがいるのよ』って。だから孫のことはさ、ちゃんと忘れてないんよ、あの人は」
───私は、それを聞いて。
「そっか。……そうなんだ……」
そう答えた。
「じゃあ。行けるうちに。話せるうちに。会いに行かないとね」
「うん。そうしてあげて」
叔母は言った。
従姉妹は、三男を膝にのせて、ニコニコと笑っていた。
年の離れた高校生の従姉妹は、若い頃の叔母にとてもそっくりだった。
あのね。
ばあちゃん。
結局。今も、会いに行けなくってごめんね。
ねえ。まだ、覚えてる?
お父さんの膝の上から降りられなかった、野暮ったい地味な私。
高校デビューして、一気に「かわいい孫」に昇格した私。
愛・地球博の広い会場を、ばあちゃんといっしょに歩き回った私。
「いい男ね」と言ってくれた、私の夫。
「あんたはお父さんにそっくりだわ」といつも言っていた、長兄。
「綺麗な顔はしとるのにねえ」と心配していた、次兄。
娘みたいな、友達みたいな嫁姑関係だった、オカン。
ご飯と愛をたっぷり詰め込んで。
大きく大きく育てた、あなたの息子。
───覚えて、ないかもね。
だけど私は覚えてるよ。
すぐに知らない人に話しかけて、家族に怒られていたばあちゃんの後ろ姿。
「これが一番効くのよ」と言って、塩で歯を磨いていたばあちゃんのでっかくて、ゴワゴワの歯ブラシ。
私が散歩で遠出しすぎて、道に迷った日にお迎えに来てくれた、ばあちゃんのかっこいい自転車の降り方。
「しいもちゃ~ん」
愛・地球博の長い長いあの階段で、私の腕をつかんだ細くて力強い手。
ばあちゃん。悔しいよ。
覚えているのが、私ばっかりでさ。ずるいよね。
本当はさみしいよ。どうして忘れちゃうのって、悔しいんだよ。
でもね、ばあちゃん。
もう忘れてもいいよ。
その代わり、私がずうっと、忘れないから。
ばあちゃんの生き方。
ばあちゃんのまなざし。
ばあちゃんの豪快さ。
まるっとまとめてぜんぶ、
大好きだよってこと。

私の夫に腕を絡める、ばあちゃんを。

って言っても、隣のオカンに話しかけ続ける、ばあちゃんを。

「自慢の孫よ」と言ってくれた、ばあちゃんを。
ずっとずっと。
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