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ばあちゃんが私を忘れても

「あんたは本当に。やぼったい子ぉでねぇ。眉毛なんて、こ~んなに太くって。ばあちゃん、ほ~んと心配したんよ~」

悪びれもなく。面と向かって孫にそう言い放つのが、私の父方のばあちゃんだった。

高校デビューして、バチバチに化粧をするようになった私。そのコンプレックスだった眉毛をすっかり抜き去ってしまうと、ばあちゃんは私のことを「綺麗、綺麗」と連呼した。それと同時に、昔は言ってこなかった本音をしっかりと伝えてくるのだった。
ばあちゃんよ。黙ってくれててもよかったのに。

だけど、それが、私の愛しいばあちゃんの生態なのだった。

正直者で、パワフルで、明朗快活で、他人でも身内でも、いつでも人のことにあーだこーだと口を出さずにはいられなかった。

そして、人にはアレコレと言わなくていいことを言う割に、人の話はあまり聞いていないという性質も持ち合わせていた。

もう8年ほど前。
当時の私は、結婚し実家を出て、娘ふたりを育てながら仕事をしている真っ最中だった。ある日仕事中に急にばあちゃんから電話がかかってきて、何事かと慌てて電話に出たら「週末にそっち行くわ」というのだ。
いや、私はもう実家にはいないし。オカンも仕事しているし。あまりに急だし……とアレコレいうものの、

「もぉばあちゃん、よお聞こえんわ! 耳ぃ、手術せんといかんもんでな! しいもちゃん、〇ちゃん(私のオカンのこと)に言っといて~!」
と勝手に切れた。
あんなに腹から声が出せるのに、まったく人の話は聞こえていないのだった。

その週末。無理やり名古屋から私の実家にやってきたばあちゃんの強行スケジュールに合わせて、私と長兄も集合した。
当時、寝たきりになったじいちゃんの自宅介護をしながら、未婚のシングルマザーである叔母、そしてその娘である従姉妹と暮らしていたばあちゃん。

「普段はこんなにいないからねえ。若い男がたくさんいて、ばあちゃんうれしいわ~」

そう言って、長兄、次兄、私の夫、長兄の息子たち……と、若い男を順番に近くに寄らせては写真を撮るばあちゃん。

「ばあちゃんはいつまでもずっと、こうして生き生きとしているんだろうな」

ばあちゃんを眺めていると、いつもそう思えた。
そんな、ありもしないことでさえも期待させるのが、ばあちゃんがばあちゃんたる所以だった。


ばあちゃんは、脳梗塞で倒れ、半身まひが残ったじいちゃんを懸命に支えていた。
大好きなじいちゃんが入院した際には、とっくに80歳を超えて危険なのに自転車をかっ飛ばして足繫く病院に通い。「これ好きだったでしょ」と寝たきりのじいちゃんに、勝手に最中をあげて窒息でとどめをさしかけるなどしていた。

────そして。

そのじいちゃんが、ついぞ亡くなってしまったあと。
片りんを見せていたばあちゃんの認知症は、あっという間に進行。自宅から脱走し、警察に保護されることを幾度となく繰り返すようになったばあちゃんは、数年前から介護施設に入ることになった。



ばあちゃんは。
ばあちゃんだけは、違うと思っていた。
いや。そう、信じ続けていたかった。

老いは平等に訪れるだなんて、当たり前のこと。
私は、ばあちゃんを通じて知りたくなかった。


変わってしまったばあちゃんに会うことが、私は、こわくてこわくて。
施設に入ってからは一度も会いに行けていなかった。

大切な人の老いを目の当たりにする勇気が、私には、なかったのだ。

そうして、家庭と仕事の忙しさを口実にしているうちに、ばあちゃんはますます老いていってしまった。

そうやっていつまでもぐずぐずしている私のもとに。今年のはじめ、6人目となる新しい命が宿った。


ああ。会いに行かなきゃ。


私は、真っ先にそう思った。

ばあちゃんに会わなくちゃ。
なぜかはわからない。でも、今しかない、と強く思った。

そして私が安定期に入ってから、叔母とオカンと日時を調整して。名古屋にてオカンと落ちあい、ついに、私たちはばあちゃんの施設に向かうこととなった。

いろんなことを考えだしたら、きっと足がすくんでしまう。だから私は、「生まれる前に」と、それだけを胸に施設へ向かった。




台風が近づき一日中雨予報だったその日。私たちが施設を訪れたその瞬間だけは、曇り空を少しだけかいくぐった陽光が、ほのかに差しこんでいた。
掃除の行き届いた綺麗な玄関に足を踏み入れると、施設の方がたくさんの子どもたちを見て笑顔を向けてくださった。

「まあ、にぎやか! 〇さん(ばあちゃん)、きっと喜びますね。お部屋から連れてきますね~」

うちの5人の子を連れていくと個室は狭いからと、広間にばあちゃんを連れてきてもらえることになった。
設置された大きな水槽に泳ぐ魚を見て、「うおー!」と双子の息子と三男が叫ぶ。「声、小さくして!」と、姉二人がいなしているのを見つめながら、私はその瞬間を待っていた。
しばらくすると、広間に先ほど案内してくれた方の声が響いた。

「は~い、おばあちゃん来たよ~」

車いすをおしてもらって、ばあちゃんがやってきた。
絹のやわらかそうなパジャマに、手編みの帽子。いつも色を入れて短く整えていた短い髪は、すっかり白髪になって首元まで伸びていた。
80歳を超えてもシャキッと姿勢がよく、いつも誰よりも先に勝手に足を進めては、道を間違えていたばあちゃん。

ばあちゃんは、今、車いすの上で少し右に傾きながら、じっとしていた。
ずいぶん、痩せて、ちいさくちいさく、なっていた。

「ばあちゃん……」

私は、車いすを置いてくれたその場所にすぐに椅子を持ってきて、隣に座った。

「しいもたち来てくれたよ~。って、私もわかる~? ……今日は微妙やね、ちょっと、寝起きかな?」

叔母がそう言って、手慣れた様子でばあちゃんの目の前にかがんで、声をかける。従姉妹も「久しぶり~」とその隣で声をかけた。ばあちゃんは、首を前に少し傾けて、挨拶をするようなそぶりを見せた。

「…………ばあちゃん。しいも、だよ。わかる?」

私は、自分の顔を指さして、口を大きく開いてアピールした。ばあちゃんは、はて……とした顔をして、目線だけゆっくり、こちらに動かした。
その瞳は、色素が薄くなって透明な青色をしていた。施設の玄関に咲いていたアジサイのように、淡く儚い色。
いくつかの感情を失ったはずの瞳がこんなにも美しいことに、私はなんだか、涙が零れ落ちそうになる。

「……わからない、よね。だけど、よかった。やっと、会えたね」

私は、ばあちゃんの手をそっと握りながら言った。握られた手のひらをばあちゃんは、じい、と見つめる。すっかり肉が落ちて、硬直している手は開かなかった。爪が伸びてきていて、ああ、切ってあげたいなあ、とふと思う。

子どもたちは本能的に、なにかを感じたのだろう。まだ、どうしたらいいかわからない様子で、遠巻きにばあちゃんの様子を見ていた。

まるで小さな赤ん坊のように、ぼう、と開いている口からでてくる涎を、ティッシュでそっとぬぐう。普段は3歳児の口をぬぐっているこの手で、かつては私の口を拭いてくれたであろうばあちゃんのお世話をしている。側には、そっとその様子を見守る、ばあちゃんの嫁であるオカンがいて。娘である叔母と、孫である私と従姉妹。私のお腹の中の新しい命は、この世に芽吹くそのときを待っている。ばあちゃんは小さな赤ちゃんのように揺らめきながら、その空間の空気を感じているようだった。

「ばあちゃん。私、また妊娠したんよ」

私は、硬くなったその手のひらをとって、私のお腹にそっとあててみた。
ばあちゃんは、虚空を見つめたまま、ぴんと来ていないようだった。

人は、赤ん坊として生まれて、やがて赤ん坊へともどっていく。

そんな、どこかで聞いたような話を、ふと思い出す。

「三男くん、おいで」

私は、ばあちゃんに気づかずにすっかり水槽の中の魚に夢中になっている三男を呼んだ。
「でっかいさかな!!!」と何度も報告してくれる彼に、うんうん、さかなだね。と言いながら、私の膝の上に乗せた。

「ばあちゃん。三男くんだよ。ばあちゃんの8人目のひ孫だよ~」

私は、少しでもこっちを見てくれて反応がもらえたらいいな、なんて思っていた。

「やっほ~」

まだ何も怖いものがない三男は、ばあちゃんに向かって無邪気に手をふる。


ふと、ばあちゃんが、三男に気づいた。


────その瞬間。


「っっんっまあ…………!」


ばあちゃんの透き通った瞳に、きらりと閃光がはしり、光が宿った。
カッと目を開いて、ぼう、と開けていた口を大きく開けて、歯を見せて、笑った。

ばあちゃんが。
ニッカー! と、笑ったのだ。

「かわいい、ねえ……!」

声帯がすっかり後退しているばあちゃんの口から洩れたのは、ほとんどが息だったけど。
私にはわかった。
ばあちゃんが、すごくすごく喜んでいるって。
三男のことを、心の底から、かわいいって、言っているって。

そしてばあちゃんは、膝の上に乗せたまま微動だにしなかった腕を、懸命に動かして見せた。ぽん。ぽん。と、硬くなった手のひらを膝の上で揺らして、三男に向かってなにかを伝えていた。


「ここに」
「おいで」


体温が下がらないように毛布を巻かれたその細い膝に、三男を誘導するばあちゃん。ここ。ここ。と、ばあちゃんは何度も、何度も、繰り返す。
叔母や、従姉妹や、オカン、施設の方も。その様子を見て、「わあ」「うれしそうやね」と、感嘆の声をあげた。

一方で。その様子を見る私の耳には、かつての元気なばあちゃんの声が、遠く響いていた。



────まあ、かわいい! おいでおいで、ばあちゃんのお膝においで!



それは。
かつて、幼かった私に再会したときの、大きくて元気な声。
あるいは、強行スケジュールで突然実家にやってきたあの日の、幼かった私の娘たちに向けた、優しい声。

ばあちゃんは、子どもが本当に大好きだった。
その愛は底を知れず、かつて、従姉妹が保育園や小学校でいじめにあっていたときも、叔母を差し置いて単身乗り込んでいくほどだった。

「ばあちゃん、許せんかったからね。相手見つけ出してよ。こう、ぎゅ!ってね。コッソリつねってやったんよ。仕返ししたったわ」

愛ゆえに、とんでもねぇこともしでかしていた、ばあちゃん。

ばあちゃんの愛はいつだって、まっすぐで、まぎれもない本物なのだった。



「ここに」「おいで」

三男を前にそう繰り返すばあちゃんの膝は、すっかり細くなっていて。とてもじゃないが、15キロもある三男を乗せることはできなかった。代わりに、何度も何度も、三男とばあちゃんは触れ合い、ハイタッチをした。その様子を見て、徐々に上の子たちも、ばあちゃんにそっと近づいた。子どもたちが視界に入ると、ばあちゃんはまた、ニッカー! という効果音がばっちりフィットする、抜群の笑顔を見せてくれた。

「わあ~。今日はほんとうに素敵な表情してるよね。普段はどうしてもね、じっとしているしかないからね」

でも、みんなね。好きなもんはやっぱり、忘れんの。覚えとんのよ。

施設の方がそう言って、その様子を写真におさめてくれた。

ばあちゃん。よかったね。
ばあちゃん。うれしい?

私は何度も、ばあちゃんを呼んだ。

私の隣に、次男である双子弟が並んだ。緊張がとけた彼は、そっと手を差し伸べて、ばあちゃんの視界に入るように「おーい」と手を振った。

まぁ。と、ばあちゃんがそれに気づいて、それから、双子弟、私、双子弟、私、と、顔を見比べた。そして、震える右手をゆっくりと掲げて。


「そっくり」
「かわいいね」

と、言った。


「……わかる? そうなの。この子は一番、私にそっくりでさ。わかるんだね」


うん。かわいい。
ばあちゃんは私と視線を合わせて、ふ、と微笑んだ。


かわいいね。

かつて、何度も言ってくれたその言葉を胸にしまいこんで。ばあちゃんの手をもう一度、ぎゅう、と握りしめた。ただの孫にもどった私の肩に左手をまわしながら、長女がそっと右手を重ねる。

そのツヤツヤの手の甲。
私の荒れた指。
ばあちゃんの伸びた爪。


そこにはただ。
巡りゆく命の波が、静かにたたずんでいた。






翌日。私たちは、父とじいちゃんの墓前にやってきた。

じいちゃんが施設に入る前に、ばあちゃんが勝手に突然購入してきたお墓。今は、父とじいちゃんがふたりで眠っている。ここに来たのは、じいちゃんの納骨以来だろうか。ずいぶん、待たせてしまった。

綺麗な花を買って、ふたりの眠りを妨げるかのように大騒ぎしながら。子どもたちと雑草を抜き、墓を磨き、むせかえるくらいたくさんの線香に火をつけた。

「じいじはここにいるの?」

双子が不思議そうに、その墓石を磨きながらたずねる。

「そうだよ」

私は、それ以上は言わずに、洗った花筒に買ってきた花を供えた。墓石からもよく見えるように、そっと花弁を内側に向ける。きれいだね。と双子弟が笑い、「もう一個は俺がやる」というので、彼に任せた。

ぎゅうぎゅうと墓石の前に並び、みんなで手を合わせる。

「兄貴とお父さん、何事やってびっくりしとるやろね」

叔母がその様子を笑って見守っていた。


私は、誰よりも長く手をあわせ、墓前から動かなかった。

「ママ。まだお願いしてるの?」

双子が不思議そうに私の顔を覗き込んでからも、ずっとずっと。




「じゃあまた。生まれたら、連絡するね」
「うん。楽しみにしとるね。気をつけてな〜帰り道」

叔母と従姉妹と私たちは、父とじいちゃんの墓前で別れた。

「また遊ぼうね~!」

優しいふたりにすっかり懐いた子どもたちが、車の窓から大きな声を響かせる。

台風はすっかり過ぎ去り、雨もあがった。


「またね~!」


小さな墓地に不釣り合いなほどのにぎやかさを残して、車はゆっくりと走り出した。





















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髙塚しいも|5児の母 もしこのような記事をサポートしたいという稀有な方がいらっしゃいましたら、ぜひともよろしくお願いいたします。5児の食費・学費にさせていただきます!