いつかの、真っ当な母親になりたかった
3月。長女の小学3年生は、もうすぐ終わる。
この1年間トータルで考えても、1か月も学校には行けていないと思う。
昨年の4月。育休から仕事に復帰した私が長女と次女を学校に見送ったとき、昇降口をくぐれなくって彼女は泣いた。
私はというと、復帰したばかりの手前遅れていくこともできずに、夫にお迎えの連絡をしつつも急いで自分の職場に向かう他なかった。
ああ。あの日。
仕事なんて捨てて、傍にいてあげたらよかった。
今でもそう思っている。
そこから、あれよあれよという間に、彼女は教室に入ることができなくなっていった。
クラスの友達のことや、教室の環境のこと、自分の体調が悪くなったらどうしようってこと。
教室に入れなくなるまでの過程には、きっといろんな要素もあったと思う。
けれど最も彼女を苦しめたのは、「学校で泣いてしまった」という事実なのではないか。親として彼女を見ていて、思う。
学校で泣いてしまった。
弱いところを見られてしまった。
みんなに心配されてしまった。
また心配かけるかもしれない。
注目を集めてしまうかもしれない。
そしたらまた泣いてしまうかもしれない。
わかる。
わかるよ。
私もそうだった。
体温計を何度も何度も脇に挟んで、熱よあがれと願ってばかりの日々があった。でも結局私は健康優良児で、嘘だって上手ではなくって。諦めてしぶしぶと学校に行った。
学校に行けばいろんな子がいて。
楽しいこともあったし、むかつく奴に言い返せなくって悔しくて、トイレにこもって泣いたこともあった。
どうしてだろう。
泣いたら負けだと思っていた。
家では、兄たちのちょっとした小言で反射的に泣いては家族を困らせていたくせに。
他人に見せる涙と、家族に見せる涙は違う。
そのときから私は、知っていたはずなのに。
守るべき人の涙をぬぐう時間は、もっと大切にしないといけないのだ。
それに気づくまで、ずいぶんと時間がかかった。
必要な時間ではあったのだと思う。
家族のことを何度も想い、未来を考えて、これでいいのか、子どもに気を遣わせているんじゃないか、考えては立ち止まる。
立ち止まるたびに家族を抱きしめ抱きしめ返され、こうしてきっと私の家族はゆっくりと歩いていく。
体のいい話で済ませられれば、ここで私の物語は完結だ。
でも、私はそれで終わらせることができない。
この家族を愛しているからこそ、別の形が本当はあったのかもしれないと、真っ当な家族の形を思わずにはいられないのだ。
*
「よろしくお願いしまあす……」
うやうやしくお辞儀をしあう。お互いの関係値をどこまで深めていくべきかを推し量るように目配せしながら、地域の子ども会の役員会がはじまった。
子ども会のイベントやお祭り行事に参加することは、すっかり減った。長女はもう参加もできないし、弟や妹が気が向いたときに、お菓子が出るイベントに参加するだけ。でも、なんとなく退会するタイミングを逃していたら、役員がまわってきてしまったのだ。
役員の取り決めでは、さっさと書記を申し出た。議事録を取る役目があれば、どうしてここにいるんだろうという自分の存在意義を問うこともないだろうと思ったからだ。
習い事が同じだったり、幼稚園が同じママたちは、知り合い同士で話をしている。駅の反対側、離れた小さな保育園に5人とも通わせてきている私は、休日に公園で話をするようなママ友もここにはいない。ただ粛々と、書記の仕事を全うする。
「○○ちゃん、最近送り迎えしてないの?」
「うん、うん。なんかひとりで行くとか言ってて。時間も遅いから心配だけど、自転車でさっと行ける距離だしねえ」
「今のところですけど、今年の夏にはまた、例年のお祭りがあります。その準備なんですけど、そのあたりで修学旅行とかもあって、すいませんが少し役員会の参加は難しい可能性も……」
「あれ、そうだっけ。もう予定出てる?」
「うち、ほら学区違うから」
「そっかそっか。その時期にはまた相談しよ。会長がいなくたって別に準備はいる人でできるからさ」
みんなが子どものことを話している横で、無意味にPCのスペースキーをたたいた。別にコミュ障な私ではない。なるほどねえとか、大変ですねえとか言って笑いながら、今後何度も顔を合わせても支障がないような関係構築には励んでいた。
そんな「いい人」でい続けようと努める自分がむなしい。
「じゃあ私、この班のメールは担当します」
私は、お互いの探り合いをすることが嫌で、先んじてメール担当を引き受けることにした。もう一人の方とは量が4倍くらい違うのだけど、もうそれを交渉することもなんだか無理と思った。
「すいません、助かります」
「○○さんも上の子受験だもんね」
他のママ友が挟む。
「そう……あっという間にねえ」
少し遠くを見るようにして、その人が言った。
いえいえ。と言いながら、私は決まり事を打ち込んでいく。
私だって、忙しいです。
そんな言葉を飲み込んで笑った。
うちの子は誰も習い事もしていない。
修学旅行にはきっと長女は行けない。
自転車の練習に外に出ることもやめた。
送り迎えもなにも、そもそも離れることができない。
将来の話もできない。
中学受験だなんて。
学校にも塾にも行けず、小学4年生になるのに九九も知らない彼女の将来は、私にも彼女にもわからない。
公園近くに大きな戸建てを構えるあのママさんは、小綺麗で素敵だな。お子さんもいつも、アイロンがパリッときいた服を着ている。
会長を引き受けてくれたあの人も、とてもやさしくていい人だな。よくこのあたりを、自転車の前後にお子さんを乗せて走っているのを見る。自転車をこぎつつ声を張り上げながら会話しているのを見かけるたびに、いいお母さん、て感じだなあと思う。
あの人もこの人も。
人並みの忙しさがあり、家族への少しの不満と日々の疲れ。そしてその深いところに、愛がある。それを感じ取りながら、私は業務を静かにこなすことに専念した。
私の家族も。きっと幸せだと、思う。
子どもが5人いて、贅沢は難しくても、いつも誰かが笑っていて。誰かの声に疲れたら別の誰かが私を癒してくれる。
夫は家事に積極的で子どもを愛し、私に「愛している」と伝えてくれる。
困ったときにはオカンや義母が飛んできてくれる。
幸せだなあとささやきながら
それでも私は
別の未来を想像することをやめられない。
あの人たちのように。
不登校に悩まない家族だったら、どうだったのだろう。
子どもを療育に連れて行ったこともなくて。
児童精神科には縁がなく。
家族人数に見合った大きな戸建てに住んで。
庭で長女の好きな植物をたくさん育てて。
小学校から走って帰ってくる彼女たちに、家で笑顔で「おかえり」って、毎日言えたなら。
あの人たちのように。
あの人たちのように。
心の中の私が毎日呪文のように唱えているのを、私は気がつかないようにして生きている。
*
「眠れないの?」
その言葉をきっと、期待して。
昨夜も長女は、みんなが寝静まったあとのリビングに、ひとり。自分のねんねを持って、降りてきた。
とことことこ…と、少し気を使った足音で、もう私はこれが寝かしつけから生還した夫ではなく、長女だということがわかってしまった。
「また?」
彼女の姿を視認するやいなや、私の口からはため息とともに、そんな言葉が出てしまっていたと思う。
長女は黙ってソファに移動した。
いつもならYouTubeを見て好き勝手過ごしている母が、PCだけに向かってシンとした面持ちでいる。公募に向けた小説をいざ書こうと、母はちょうど、真剣だったのだ。そんな空気を感じ取り、彼女はきっと「どうしよう」「まずい」と思ったんだろう。
私は、別にYouTubeを勝手につけてくれてよかった。きっとこれが次女や双子たちであれば、そうしただろう。でも彼女は、黙っていた。
そのうち、申し訳なさそうに、ねんねの中で小さく泣いているのが、聞こえた。
ああ。
私はまたやってしまっている。
そう思った。
不登校の私の娘が、誰よりも繊細で、私の顔色をいつでも伺っていること。
不登校になってしまったことを口にはしなくっても、いつでも「ごめんね」という気持ちでいること。
他の誰よりも私は、知っているはずなのに。
誰よりも私が、いつも励ましてあげる存在であるべきなのに。
私は、思うような母になれない。
「ごめんね」とも言えない。
「YouTubeを観てもいいよ」
「いつもみたいにしててどうぞ」
「ママはちょっと、忙しいだけ」
「……もう、寝る?」
彼女がほしい言葉は、それじゃない。
多分私は、わかってて言っている。
───「ごめんね」と言える人間に、母親に、なりたいのに。
そうやって、理想の母親像を勝手につくりあげ、勝手にそれに嫉妬しているのは、私なのだ。
いつだって笑って彼女を受け止める。
そんな母親に私はなりたかったのだ。
でもそんなの。無理なんだ。
私は手を止めて、でも時間がないと焦っていて、余計に心が波打っているのを収めることができない。でももう寝るしかないか、とすっかり諦めることにして、歯磨きをして、彼女の隣に座った。
「ママもう寝るよ」
ねんねに隠れて泣いていた長女が、ちょっぴり顔を出した。
その手にはYouTubeをつけるプロジェクターのリモコンが握られていた。
いつものように過ごしてほしい。
そういう、彼女のメッセージだった。
いつものように過ごしているママの、隣にいるだけでいい。
そうは言わないけれど。それを望んでいることが、私には、わかった。
「……じゃあ、つけてどうぞ」
私は、感情の落としどころをすっかり見失って、彼女の隣で布団にくるまった。長男である双子兄が使っているリビング用の布団はくたびれて、ほこりっぽい。それでもよかった。そのままの姿で彼女の隣にいることさえ、ためらわれた。
真っ当な母親になりたい。
やさしい母親がうらやましい。
私もいつだってそうありたい。
私は布団のほこりにまみれて泣いていた。
理想の。憧れの。やさしい。真っ当な母親。
そうはなれない自分への悔しさで苦しくて、泣いていた。
*
朝を迎えたら、嫉妬の波が少し穏やかになっていた。
3人の弟たちを保育園に送り、今日は長女の先生との面談もある。あわただしく準備をしながら、次女を起こす。発達障がいのため、個別支援級に通う彼女は、最近教室の居心地がよくないといって、1週間近く休んでいた。
「長女ちゃんは今日学校に行くよ。いっしょに行って、遅刻して教室に入る?」
寝坊してゆっくり起床した彼女に、私は言う。
次女は「そうする」と言って、パンを食べた。
寝坊じゃない。本当はずっと前に起きていた。
気づいていたけれど、なにも言わなかった。
学校に行くと、遅刻している子どもたちに向けて、先生たちは笑顔で挨拶をしてくれる。
「おはようございます」
「あ、次女ちゃん、待ってたよ!」
「長女ちゃん久しぶり」
そして私にも笑顔で言ってくれる。
「お母さん、ありがとうございます!」
私は会釈して、その場を通り過ぎていく。
子どもの感情を優先している、「真っ当な母親」に見えているのだろうか。みんなには。そんなことを考える。
長女の担任の先生との面談では、長女も次女も少しはにかんで、少しはしゃいだ。うれしそうだった。
そのあといっしょに、次女の教室に行った。
「待ってたよ」
「おはよう」
「長女ちゃんもいる~」
クラスのみんなが、先生が、たくさん声をかけてくれて、次女はスムーズに教室に入ることができた。
「お母さん。ありがとうございます」
次女の担任の先生は言って、持ち帰るものを整えて持たせてくれた。
ピアニカ、工作の道具の残り、絵の具セット。
大荷物を抱えながら、長女と一足先に帰った。
「ママとやっと、ふたりだ」
長女はそう言って笑った。
お昼には、いつもの目玉焼きふたつと、ご飯と夕飯の残りの味噌汁をあっためて出した。
「わーい」
いつもと同じメニューを、長女はたいそう喜んでくれる。
そのうちお昼には次女が帰ってきて、「次女ちゃんのワンピースをつくったよ」と、ふたりであつ森を始めた。
次女ちゃんと、ママに。
そう言って、長女はプレゼントを作ってくれる。
ときにはイラストを。
ときにはお手紙を。
今日は、この前買ってあげた、自宅での工作用の花を小瓶に詰めてくれた。
自宅で暇な彼女にあげたものだ。
それを、誰かのために使う長女のやさしさに触れると、
ああ、この子の母親になってよかった。
そう素直に思える私が、まだいることに安堵する。

私の心はまた少しだけ穏やかさを取り戻し、また明日に向かって母親を続けていくことをそっと決意する。
この日々は正しいだろうか?
正しくはないだろうか。
変わっているのか?
じゃあ、正しい日々ってなんなのか。
私にはわからない。
私にもわからないし、きっとそれは誰にもわからない。
もしこの日々が例え「正しい」としても、きっと私は
「なにか」に
「だれか」に
「いつかの自分」に
嫉妬することをやめない。
やめることはできない。
それはきっと、あの大きな家に住んでいるあの人も、いつも笑っているあのママも、きっとそうなんだろう。
だから私は今日も、ひたすらに這いつくばって、この日々を続けていく。
「真っ当な母親」になれる日はもう、こないのかもしれない。
けれど、可愛い我が子たちの目の前で、怒ったり笑ったりしているこの自分は、たしかに「母親」なのだと思う。
だから私よ。粛々と生きなさい。
いつかの理想の家族ではなく
目の前の家族を見つめなさい。
いつかの自分にそうやって説教されながら、私は母親を続けていく。
醜く嫉妬深いこの感情を、いつでも内側に、大切に、隠し持ちながら。
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