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あなたの「こえ」のその先で、会えたら|短編小説


四十九日を終えても、私の体はあの人がいない世界に慣れやしない。
この手は米を2合研ぎ、
この目はあの人に合う新しい服を探し、
この耳はあの人の低くかすれた声を求めた。

――あの人のところに、いきたい。

この心の叫びを消化させるための無心の掃除の最中。
ふと、リビングの飾り棚にあった巻き貝の貝殻が目に入る。


――すごい。この世のものじゃない『こえ』がするよ。


ふたりきりの、目的地が海しかなかった、なんでもない旅行の果てで。彼はその貝殻を耳にあてて言った。

なに、ばかなこと言ってるの。
若かった私は笑って彼の声を聞き流した。


彼は。導かれたのだろうか。
でもこんなの、忘れ去っていた昔の話。

だけど……


薄汚れた雑巾を早々にゴミ箱に放り投げ、しっかり念入りに手を洗う。その手で貝殻をそうっと持ち上げ、愛用するハンカチで丁寧に磨いた。大切にそれを胸に抱え、あの人の寝室のベッドに向かう。
あの人の匂いが消え去っても、このシーツを洗いかえる気にはまだなれない。夏用のそのシーツは、初冬の気候に馴染みつつある私の肌をひやりと刺激する。私が身を横たえると、ギシリと懐かしい音がして、目に見えて埃が舞った。むせかえるような霞む白の世界で、数々の夜にここで肌を重ね合わせた日々を想った。

きわめてそうっと、その白い貝殻の空洞を耳に押しあてる。

もう一方の手のひらで高鳴る胸を撫でつけ、期待はするなと自分に言い聞かせ、全身の神経を聴覚に集中させた。
右耳に押しあてた貝殻からは、外界を遮断した、まるで世界が違う冷たい空気が流れ込む。
その右奥深くの遠い世界から、なにかが少しずつ近づいてくるのを感じた。

それは、たしかに『こえ』だった。
厚い窓ガラスの向こうからなにかを訴えるような遠い叫び。

「そこに……いるの?」

それはあまりにも儚く、細く、小さい。
けれど、私は信じようと思った。
ここであの人は。待っているのかもしれない。



あの世にいつでも飛び込む覚悟で、私は一日を彼のベッドで過ごす。右耳に貝殻を食い込ませ、あの人が「それいいね」と言った白い小花柄のワンピースを身に着けて。

日を追うごとに、こえは近くに感じる。でも、その言葉はわからない。こえと私の間には、厚い窓ガラスが邪魔をしている。
それでも私はその貝殻にすがりついた。


「愛しているよ」とか。
「ずっと一緒にいよう」とか。


あの人は、いつだって大切なことは声に出しては言ってくれなかった。
それは。今も変わらないの?

私は問いかけ、そのこえを追い求めた。
それに追いつけたなら。
「一緒にいこう」
今度こそ、そう言ってくれる気がして。


その日の彼の寝室は、ぐっと冷え込んで、とても静かだった。散り積もった埃のひとつひとつにさえ彼を感じながら、私は小花柄の身体をベッドに横たえる。

—――今夜。会いに来てくれる気がする。

私は震える手で、そうっと、右耳にその空洞を押しあてる。
目を閉じて、全身で、彼のこえに耳を傾けた。

こえは、聞こえなかった。
けれど、瞼の奥に、在りし日の彼がうつっていた。
あの日一緒に海に行った日の、若くて逞しい腕をしたあの人の後ろ姿だ。少しだけ前を行く彼を追いかけ、私は走り出した。
もう少しで飛びつける。
そんな距離まで近づいたとき、彼が振り返った。

やさしい顔。眉毛をぐっと下げる、あの人の笑顔。

「—―――」

こえはやっぱり、聞こえなかった。

代わりに意識の遠くで、かすかなサイレンの音と、
「母さん」
と、私を呼んでいる声がした。



白く清潔な天井と、薄いカーテンが視界に入る。次に、ピッピッピ……という規則正しい機械音が耳に響いた。

「母さん」

その声があまりにも自分に似ていて、ドキリとしながら私は目線を左に動かす。
海外で仕事をしているはずの一人娘が、そこにはいた。

どうして?

私はうまく声が出せずに、視線で彼女に問う。娘は私の頬に、大切そうに触れた。

「母さん、ごめんね。さみしかったよね」

娘の手のひらは、とても熱かった。

「大丈夫って。……言った、のに」

かろうじて絞り出した醜い声。だけど、娘にはきっと届くはず。そう思って、私は言った。娘は笑って、でも怒ったように言う。

「あの時の電話でしょ?もう、母さんの『大丈夫』は、大丈夫じゃないよ。そんなの、声でわかるよ」

娘なんだもの。
彼女はそう言って、私の手をとった。強く握られてはじめて、自分の手がとても細くなっていることに気づいた。

「母さん。私と一緒にいこう。まだ、母さんの人生は長いんだよ。私と一緒に、外の世界で生きてみようよ」

その少し甘い声は。
浅黒い肌は。
いつの間にか、若いころの私にそっくりだった。
けれどこの強く私を引き寄せる魂の中には、あの人の血が確かに通っている。

娘の声に、そっと微笑んで、私は応えた。




ねえ。





あなたのところには、もう少し、お土産を持ってから行くことにする。

次に会ったその時は。
私にあの時、なんて言ったのか。
素直に、言ってよね。








(文字数:1,993文字)


#モノカキングダム2024

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