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あんたみたいになりたかった


「どうしてあなたは、スーコさんのようにできないの?」


 コーチの叱責を前に、私は床の白線を見つめて「はい、はい」と小さく返事をするしかなかった。
 バドミントン部が練習する体育館は、その日もすべてのドアが締め切られていた。肩をゆらして息を呑むたび、暑さが体内に押し寄せる。

 ああ。苦しい。

「返事は一回!」
 コーチの怒号は止まない。

 はい、と細く細くささやきながら、私はフラフラとその場を離れた。
 どうせどうせ。
 どうせ私はスーコのように素直になれない。スーコのように強くなれない。だから私は怒られる。いやわかってる。こんなにも捻くれてるから私は弱いだけ。そんなこと。本当は誰よりもわかってる。

 逃げるように引き下がったコートの端から、おじいちゃんコーチが「すばらしい」とほめ倒すスーコがかすんで見える。そんな彼女の視線が、心配そうに私をとらえていることは、視界がじんとぼやけていてもよくわかった。




 ねえスーコ。

 そんな風に見ないでよ。

 スーコ。

 あんたみたいな才能がほしくて苦しい。

 私は。
 私は。

 あんたみたいに、なりたかった。




 中学生からはじめたバドミントンでは、ダブルス・団体戦において地区大会で3位入賞するなど、「そこそこ」としか言いようのない程度の成績をおさめた。100人近い部員がいた大きなそのバドミントン部で副部長を務めた私は、高校でも迷わずバドミントン部に入部。しかし、その高校のバドミントン部はびっくりするぐらい人気がなく、仮入部期間を終えてみれば同期は女子ふたりしかいなかった。
 それが、鈴木(仮)と、スーコ(仮)だ。

 いつでものんびり穏やかで、小動物のようなかわいい鈴木。やさしくてマジメで実は人一倍熱い、すらりとした美人のスーコ。そして高校デビューを果たし、見掛け倒しのギャルに染まった私。私たちは見た目も性格もまったく違った。だからこそいつでも居心地がよかったのだと思う。つらい練習を支えあい乗りこえる日々を過ごしていく中で、私たちが最高の仲間になるのにそう時間はかからなかった。

 互いに切磋琢磨する中で、真っ先にバドミントンの才能を開花させたのが、スーコだった。

 スーコの腕前はメキメキと目に見えて成長した。先輩とのペアに抜擢されて、早々に県大会にも出場。団体戦のレギュラー入りも果たした。顧問やコーチは彼女のそのセンスに一目置き、その比較対象になる鈴木と私はたびたび叱責を受けた。
 仲間の成長に焦った私は自分のフォームを見失い、無理に練習を続けた結果、肩を外しかけて1年生で早々にリハビリ生活になる始末。

 ダセえな。なんなんだよ、これ。

 私はひとり筋トレを重ねながら、ますますスーコを羨んだ。そんな私にスーコは、「大丈夫?」「しいも、焦らないで。無理しないでね」といつでも、そっと寄り添った。

 その、絡まることを知らない長い黒髪。適した位置にパーツが配分された小さい顔。愛されて健やかに育った高い身長、長い手足。抜群の運動神経。書道で培った美しい文字。それらをひけらかさない、控えめでやさしい性格。そして中学から付き合っているイケメンの高身長彼氏。

 私からしたら。スーコはなんでも持っていた。だけどスーコはたびたび、こんな自分が嫌だと言った。

「しいものような人になりたいよ」

 練習後の部室。そこが私たちが一番、本音をこぼせる場所だった。自分たちの全力をお互いに出し切ったあとの部室でしか言えない本音が、思春期の私たちには有り余るほどあった。

「またまたあ」

 いつもの定位置に荷物を広げたままで、私は言った。汗拭きシートのせっけんの香りが、部活後の分厚く濃い空気を満たしている。先輩もいなくなった部室の中で、スーコはきちんと正座をしていた。

「自分でもイヤなの。こんな、ちょっとしたことで泣いちゃって、バカみたい。でも恥ずかしいと思ったら、どうしようもないの」

 その日。練習前からずっと「前髪が短くなりすぎちゃったの」と、スーコは気にしていた。たしかに、普段よりも1センチばかり短くて、薄い眉毛が露わにはなっていたけど、私たちはちっとも気にしなかった。でも、スーコにとっては由々しき事態なようだ。

「スーコちゃん、前髪切ったんだね、かわいい!」

 基礎打ちの前。みんなで集合し準備体操を始めた頃に、ひとりの先輩がそう言った。もちろん全く嫌味ではなく、言葉そのものの意味で。
 瞬間、スーコは体育館を後にして、トイレにこもってしまった。私が先輩とともにあとを追いかけると、すんすんと、スーコが小さく鼻をすする音がする。先輩ごめんなさい、本当に気にしないでください。と小さな声が聞こえた。

 スーコは。そういう子なのだ。

「気にしすぎちゃうの。そんなこと気にしなくっていいってわかってるのに、ダメなの。泣いちゃって。もうほんと最悪だよ、先輩にも迷惑かけて……」

 そんなことないよー。と、鈴木が本当になにも問題なさそうに言った。

「そういうとこが、スーコたんのかわいいとこだよ! いいんじゃないの、あはは。かわいかったよ~」

 鈴木とは逆で、私はあえてスーコをそう言って、笑ってイジる。もう。そういうとこ。と、スーコは眉毛を下げて笑った。私はスーコにこの顔をさせるのが好きだった。誰がどうみても優等生で、勉強も運動もそつなくこなし、性格もいい。でもその評価を本人は嫌がる。ものすごく。

「私ってそんなマジメな人間に見えるの?」

 スーコはいつもそうやって寂しそうにつぶやくのだ。
 だからそんなスーコを私はいつでもイジったし、彼女はそれが嬉しいと言った。

 ああどこまでも素直なスーコよ。
 かわいくて憎らしい。

「別にずっとそれくらいでもいいと思うけど」
「ちょっと、ほんとにやめて。ああイヤだイヤだ」

 その日。小さい顔のベストポジションに位置する薄い眉毛がしっかり下がるのが、短い前髪のおかげでよく見えた。




 スーコと私はペアを組んで、地区大会優勝、県大会出場などのそれなりの戦果を出した。スーコのおかげだ。それでも、泣きながら努力した自分のことも、けっこう好きになれた時期でもある。高校の練習中に大きな怪我をした鈴木は、バドミントンから泣く泣く退いた。それでも卒業してからもずっと、3人で会うなど関係は続いた。

 高校卒業後。私とスーコは同じ社会人チームに所属した。平日は別々の大学で練習、週末はチームで練習に月一で試合出場と、あいかわらずバドミントンに明け暮れていた。

「はぁ。しいもは、本当にすごいな。こういうのは無理。私には……」

 ワイワイと喧騒にまみれた空気の中で、スーコのか細い声に神経を全集中し、私は耳を澄ませた。近くにいても遠くにいるようなさみしそうな表情から、私は彼女が言いたいことをすぐに感じ取る。
 先輩にしごかれたあとの飲み会。スーコは飲み会が盛り上がれば盛り上がるほど、部屋の隅から動きもせずに、そう言うようになった。

 同じチームだけではなく、他のチームの人と合流して飲むなんてこともザラな環境だった。その状況下でいろんな大人たちの輪に自ら入っていき、その話に喜んで耳を傾ける。今度うちのチーム練習来なよ。と言われたら、嬉しいです、ありがとうございます! と笑ってお酌する。
 この分野において、圧倒的に私の方が有利であったのは、たしかにそうだった。それが実力に関係するかどうかにおいては自分ではなんとも言えないが。先輩からの可愛がられ方をわかっていたのは、多分、私の方だった。

「大丈夫だよ。私といっしょにいればいいんだよ」

 私は言った。スーコは、ありがとう、と私の肩に頭をのせる。酔ってもないのに。

「でも、それも申し訳ない。私だと人に気を遣わせるし……私って。つまんないもん」

 そんなことを言いながら、1次会の後半に存在をフェードアウトさせはじめ。2次会あたりで急にお酒をあおりだし。3次会あたりでわんわんと泣き出すのだ。子どもみたいに。

「私はしいもがうらやましい」と。
 まっすぐな、熱い瞳で。

「また言ってるわ~」

 私は笑って、彼女を引き寄せた。小さな私に寄り添う彼女の身体は大きく曲がり、その姿勢はなんとも愛おしい曲線を描いた。


 ねえスーコ。
 そんなの。ずるいじゃん。


 私は、その曲線をそっとなぜるようにして支えながら、いつも思う。

 結局私は昔から、こんな立ち回りばっかり上手で。
 実際、今だって試合に抜擢されるのは、いつもあんたじゃないか。
 不器用でもなんでもいいじゃないか。
 私は本当は。知ってるよ。
 他にふさわしいペアがいるってこと。
 私にはあんたなんて、もったいないこと。
 スーコは知らないでしょう。
 帰ったら私は、ひとりで悔しくて泣いていること。
 だけど。だけどさ。

「次の試合は勝とうね」

 解散場所まで彼女を送ると、決まってスーコは私に言った。酔っぱらった頃には、すっかりバドミントンのことなんて頭から抜けている私と、次の試合を見据えているスーコ。
 こんなにも近くにいて。こんなにも違う。

「うん。がんばろうね」

 彼女の温もりが離れると、とたんに心の隙間が大きくなる気がする。

 ───次は。他の人と組んで出たら?

 怖くて怖くて。私はその言葉を、いつまでも言い出せない。




 その日。私とスーコは地元のバドミントン大会に出場した。遠い会場だったこともあり、同じく試合に出場予定だった当時の彼氏のお父さんが、朝から車を出してくれた。ちなみにその彼氏は、のちの夫となる。当時の私たちは大学生。お父さんはいつものように、いつでも走り出せるくらいの軽装をしていた。

「頑張ってな! 俺はこれから、ちょっくら山に登ってくるから」

 いってらっしゃい。気をつけて。ありがとう。と言いながら、私たちはラケットバッグを背負い、車をあとにした。

 当日の戦績は覚えてない。悪くなかった気もするし、またしょうもないミスをしてスーコに迷惑をかけていたような気もする。

 覚えているのは。彼氏が試合中に足をくじいてしまい、棄権したこと。体育館に突然鳴り響いた、彼氏を呼び出すアナウンス。胸騒ぎがして。スーコを連れて、その体育館の電話を終えて彼氏が事務所から出てくるのを待っていた、あの長い長い時間。
 電話を終え出てきた彼の、真っ白な顔。




「……親父が…………」




 私は。その場でスーコにしがみついて泣いた。たった今受けた悲しみが、誰よりも大きすぎる彼氏に。すがりつくだなんて、できなかった。

 山は、容赦なく人間の足元をさらい、連れていく。それは彼氏のお父さんも、例外ではなかった。

 あまりにも大きな現実を前に、彼は「先輩に、言って、くる……これから迎えがくるみたいだから、準備する……」と心ここにあらずの状態でささやきながら、観客席に消えていく。その背中を目線で追いながら、私は運命やら神やらというやつらを恨んだ。
 そんな私を、スーコは背中と頭に腕を回して、ぎゅうと強く、そのやさしく逞しい腕で支えてくれた。

 励ましも慰めもなかった。当然だ。そんなこと、今この瞬間、誰にもできやしないのだから。
 それでもその日、そのとき、そこに、私にはスーコがいてくれた。
 長く大きな手で、私の崩れ落ちる心を、引き留めてくれていた。


 彼がお父さんの元に向かうのを見届けたあとで。私はどうしようもなく、そのまま体育館に取り残された。いっしょにお父さんの元に駆けつける資格もなかった、当時の私。まだ家族でもなんでもない、ただのひとりの女。その事実は、余計に私を悲しくさせた。そんな私をみかねて、スーコは私を家まで送ってくれた。


 その帰り道。私は、あの秋の日を思い出していた。

「私のお父さんのこと。……話してもいいかな」

 大通りから、遠くに山を望む裏道に入ったところで、私はささやいた。スーコはなにも言わずに、私が差し出した手を強く握ってくれた。ピアノを長年たしなんだその長い指が、私の太くて短い指をきゅ、とあたたかく包んでいた。


 父は、私が高校2年生の秋の日に亡くなった。
 その秋の日の夜。私はボロボロと泣きながら、スーコにメールを打っていた。翌日、県大会を間近に控えたスーコの練習相手になる約束があったからだ。

『ごめんね』と。
『お父さんが、亡くなって。学校には、行けません。鈴木と練習をしてください』と、連絡した。
 その翌日。スーコからは、返事がなかった。数日経って、告別式の連絡をしたあたりで、そっと返信が返ってきた。

『ごめんね』と。

『どうやって言葉にしたらいいのか、わからない』と。

 ───あの日。私が泣きながらメールを打つまでに起こったことを。自分の彼のお父さんを失ったその日に、私はスーコに話していた。
 なんて女だろう。そんなの、困らせるしかないことをわかっていたはずなのに。どうして私は……

 いや。ほんとうは、わかってる。

 あの夜の私の孤独を。私は、スーコに知ってほしかった。

 スーコだから、聞いてほしかった。


「急にこんなこと。ごめん」

 私が、そう言ったとき。スーコはなんて言っていたかな。忘れてしまった。でも。家の前のバス停で別れたとき。バスの中から、姿が見えなくなるまで私を心配そうに見つめていた、あの瞳を覚えている。


 スーコ。
 スーコ。


 私は、スーコの乗ったバスが見えなくなってからも、その場から動けずにいた。寒い冬の日だった。手がこわばっていた彼に自分の手袋を渡してしまった私の手のひらは、冷たかったけど。
 右手には、ほんの少しの温もりがまだ、残っていた。





 スーコと出会ってから、20年以上の時が過ぎた。

 私は当時の彼氏と結婚して、5人の子どもの母親に。スーコはその後、大学でバカみたいに明るい旦那さんに出会い結婚。3人の子どもの母親になった。私たちは相変わらず練習で毎週のように顔を合わせ、家族ぐるみで毎年、旅行にも行くようになった。数年前に年上の穏やかな旦那さんと第1子をもうけた鈴木もいっしょに、3家族で遊べるようにもなった。
 時の流れは確実に早くなっていき、私たちの会話はもっぱら家庭の話になっていく。

 私たちは、すっかり嫉妬を飼いならして生きることに、慣れた。

「もう、しいもは、さすがだなあ!」

 私たちは年末年始に、3人で飲み会をするのが恒例になっていた。ほどほどに飲んだ後に、家族のもとへと幸せそうにその場をあとにする鈴木をしり目に、私たちは2次会で浴びるように酒を飲む。

「なあに言ってんだよ。スーコたん、あんたはもう、かわいくってすばらしいじゃないの」

 そう言って、もう後半はずっと褒めあいながら、「出会いに感謝」とか言っている、しっかりと厄介なアラフォーだ。

 嫉妬はなくなっていない。
 私はお酒の力をかりて「あんたはやっぱりすごい」と言いながら、その才能と努力と、包み込むやさしさが永遠に羨ましい。

 スーコは、マジメ過ぎて、子育てで思い悩む自分と比較して。なんやかんやで適当に見えながらそつなくこなす私が羨ましいという。

「もう本当に、子どもがかわいくないと思ってしまうことがあって、つらい。私って保育士なのに、自分の子どものことになったら、なんにも勉強した通りにはいかないの。どうしてうまくいかないんだろう。考えすぎ? しいもは5人もいるのに、のびのびやっていけてるよね」

 そう言ってはまた、まるで水のようにレモンサワーを飲み干し「おかわりください」なんてご丁寧に申し上げる。

「やば。この、アル中め」
 私が笑って言うと「もうほんと、やめてよ! てか、しいも、足りてないんじゃないの?」だなんて、マジメだとは程遠い姿を見せてくる。


 私はもう。スーコになりたいとは、思わない。
「しいものようになりたい」と、スーコも泣かない。


「今は子育てが中心でなかなか、難しいけどさ。ずっとずっと組んで、組み続けて。いつか全国でいっしょに、勝ち進もうね」
「うん。40代、50代。ぜったい行けるよ。やり続けよう」

 代わりに私たちは何度も、何度も、約束する。

 私はスーコにはなれないし、スーコは私にはなれない。

 だからこそ、ずっといっしょにいようと。

 スーコにないものが私にはあり、私が求めるものをスーコは持ち続けている。だからこそ、私たちはいっしょにやってこれたのだ。



 すっかり酔いつぶれたスーコと、朝までカラオケに居座って夜を明かす。私の夫も、スーコの夫も、この流れを予見しているので「楽しそうでなにより」と言ってくれる。そんな夫と子どもたちに、コンビニでせめてものお土産を買い込んで。私たちはあの頃よりもはるかに老け込んだ顔で、朝の街で解散する。

「じゃあまたね」

 二日酔いの余韻を残していても、スーコはしゃんとして見えて、ああやはり美しいなと思う。

「気をつけて」

 私は言い、スーコの長い髪の毛の揺れを見届けて、その場をあとにする。

 右手にぶら下がるお土産のアイスとジュースは、ひんやりとして冷たい。それでもいつでも。私の右手には、あの日の温もりが残り続けている。

 スーコ。

 いつかの大きな舞台で、コートの上でハイタッチをしよう。
 勝利を胸に手と手がふれたそのときに。
 この温もりをまた、あんたへと返す。







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髙塚しいも|5児の母 もしこのような記事をサポートしたいという稀有な方がいらっしゃいましたら、ぜひともよろしくお願いいたします。5児の食費・学費にさせていただきます!