「歯の健康は国次第?」—知られざる“政策と予防”の関係:The Relationship between Oral Health and National Politics【⑭Another view 医療システムの過去・未来・海外】
歯の健康は、「個人の習慣」だけでは守れない…。
——そんな事実が、海外の研究者によって明らかになりました。
“国の制度”が子どもたちの歯の健康を大きく左右しているのです。
今回は、アメリカや北欧諸国の制度と日本の立ち位置を比較。
よく言われる「日本はスウェーデンなどに比べて歯の健康度合いが低い!」という誤解を解くとともに、あまり知られていない「政策と歯科予防の関係」をひもといていきます。
1.予防を推進する制度の有無が健康を左右
「小児への歯科医療給付などの支援制度」
「強制力のある予防体制」
この2つがある国の方が、そうでない国よりも歯が健康!―ということが、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)歯学部などの研究者らによって明らかにされました。
これによると、スウェーデンなど北欧諸国と同様、日本は「小児の歯について、強制力のある予防制度を持つ国」に分類されている上に、歯科の健康度合いを示す平均DMFTの数値も非常に良好で、小児の歯科疾患に対する予防の費用対効果が高い国とされています(下図)。

しばしば、「日本は遅れていて、(歯科先進国である)スウェーデンなどに学ぶべき」とされますが、実際には大きな差がないということです。
いずれにせよ、「予防を推進する制度」の有無が、それぞれの国の口腔保健の達成度合いに大きく関わることは事実のようです。
2.「砂糖摂取制限」が国の事業から削除?
歴史上、歯科疾患の予防には各国ともに頭を悩ませてきました。
特に、日本を含む先進諸国では1970年代に小児う蝕が爆発的に流行。
いわゆる「う蝕の洪水時代」と言われる時期には、歯科医師の養成や、予防のための方策が急がれました。
その一つが、アメリカ・国立歯科研究所(NIDR)によって1970年代初頭に全米で実施された「国家むし歯予防プログラム」(=NCP)です。
NCPの特徴は、18世紀から現在まで、むし歯の主なリスク要因の一つとされる「砂糖摂取の制限」について、あえて言及されていない点です。
砂糖のリスクを認識しながら、砂糖業界への配慮から「砂糖を摂らないように」と明記しなかったと考えられます。
近年、UCSFのクリスティアン・ケアンズ准教授(予防・修復歯科)らが、当時のNCPに関わる人々が交わした書簡を調査。NCP立案の中心的存在だったイリノイ大学のロジャー・アダムス教授(有機化学)と、製糖業界が水面下で話し合い、砂糖摂取制限をNCPに入れることを意図的に回避した可能性を明らかにしました。
砂糖業界は、プログラムの立案に当たる専門家へのロビー活動を盛んに展開したということです。
3.砂糖に代わり「フッ化物応用」「むし歯ワクチン」を明記
その結果、砂糖のリスクについてNCPで言及することを避けた代わりに、「フッ化物応用とプラーク分解酵素開発の促進」「むし歯ワクチンの開発」などが記載されました。
当時のNCPで挙げられた施策のうち、現在までに、むし歯ワクチンの開発以外は実現。
フッ化物応用は定着しており、プラーク分解酵素を含む歯磨剤も実用化されています。
2015年以降、う蝕だけでなく糖尿病の予防の観点から砂糖の過剰摂取を見直すようになり、世界保健機関(WHO)も対応に乗り出しています。
その間、先進国の小児う蝕はコントロールされるようになっていますから、小児う蝕との関係だけを見れば、行政の側で砂糖摂取を制限しなくても、う蝕予防は可能だったと言えるかもしれません。
4.予防策を歴史的に見ると…
予防策について、フィリップ・P・フジョー氏(※)が、1930~50年代にかけての文献を精査した結果をもとに、さらにさかのぼった過去の流れを見てみます。
(※)歯科における疫学的アプローチの第一人者とされるワシントン大学歯学部(公衆衛生)の教授
■ 1930 ~40年代:ビタミンDに着目!
1930 ~40年代のアメリカでは、特に子どものむし歯はビタミンD不足が原因とされていました。
そのため、歯科医院などで「ビタミンDを多く含むキノコ類、サケ、卵などをたくさん食べましょう」「ビタミンDの取り込みを良くするように日光浴をしましょう」などと指導することが珍しくありませんでした。
急速な都市化によって食生活が変化した結果、低カルシウム状態の子どもが増加。くる病、骨粗鬆症、う蝕が広く認められました。
そこで、「タラの油由来のビタミンDサプリメントを推奨」(1930年アメリカ歯科医師会(ADA)科学委員会)、「ビタミンDの摂取を公的に支持」(1932年ADA年次報告)との施策を打ち出していたのです(下図)。
この時代、むし歯予防に歯科だけでなく、医科も関わっていると認識されていたようです。ビタミンD不足は、歯だけでなく骨の発達にも影響するからだと考えられます。

■ 1940年代以降:フッ化物に方針転換
しかし、1940年代になると、ADAはビタミンDの効果に懐疑的な姿勢を示すようになり(※)、ビタミンDの歯科処方箋への記載をやめ、フッ化物に方針転換していくことになります。
※「1944年ADA歯科治療審議会声明」を翌年の機関誌(JADA)に掲載
フジョ―氏によると、これはビタミンD補充療法の効果がないと実証されたためではなく、フッ化物応用に重点施策を転換した結果とのこと。
当時、フッ化物の有効性、安全性に懸念があった時代ですから、フッ化物応用を推進するためには、それ以外の可能性を自ら否定する必要があったものと考えられる、ということです。
5.医科との分離を進めた「ビタミンD騒ぎ」
当時のADAの「ビタミンD推し」では、医科と歯科が連携していたようです。
当初、ビタミンDと小児う蝕との関係に関心を持たなかったアメリカ医師会(AMA)ですが、1944年以降、「むし歯の予防になる」として、医師もビタミンDの処方を推進することになったのです。
しかし、ADAがフッ化物に重点を移すようになると、「むし歯予防」のために、歯科医師と医師が共同歩調を取ることは無くなっていきます。
フジョ―氏によると、当時は「医科との業務範囲の争いに歯科が勝利した」と見なされたようですが、結果、医学部で歯科疾患に関する教育・研究は行われなくなり、医師が歯みがきを推奨することも、長く行われなくなったとされます。
ビタミンDのような栄養補充療法であれば、医師にも理解できますが、フッ化物は、歯科領域以外の疾患には効果が指摘されていない(むしろ、毒だと認識)上に、う蝕予防の機序も明確に説明しにくいことから、現在に至るまで、医師の「出る幕」がないという面もあるようです。
こうして、ビタミンDを巡る騒動をきっかけにして、医科と歯科の区別がさらに進んだと言えるかもしれません。
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6.「フッ化物推し」のその後
1940年代以降、世界中で、むし歯予防の切り札としてフッ化物応用に期待が寄せられます。
1,048人の小児を対象にした疫学調査により、フッ化物の摂取によるう蝕抑制の関連性を示唆する結果が発表されたのが、信頼性の高い医学雑誌に掲載されたフッ化物の予防効果を示す最初期の研究と考えられます。
同時期には、すでに歯のフッ素症について言及する研究が歯科矯正学の専門雑誌に掲載されており、当初からリスクを考慮した慎重な対応が進められていたことが分かります。
現在までに「う蝕予防を目的としたフッ化物応用」は各国に広がっており、歯科医療現場で広く使用される他、歯みがき粉や洗口液の有効成分にしたり、水道水に添加する取り組みも行われています。
歯科医療従事者の国際団体である世界歯科連盟(FDI)などでは、「フッ化物を必須医薬品や栄養素として扱うべきだ」との主張も(全体とは言えないものの)見られます。
特に先進諸国では、小児う蝕は低所得層や一人親家庭などの子どもに集中して見られるなど「格差疾患」の側面が強く、低コストなフッ化物応用を公衆衛生の手段として期待する歯科医療従事者が多いのも頷けます。
一方、「フッ素は毒だ」という反対論も根強く、フッ化物応用は純粋に科学の領域を超えて政治的な意味合いの強いテーマともなっています。
そうした中、2016年、アメリカでフッ化物応用に反対の立場を取る団体が「フッ化物には神経毒性があり、飲料水へのフッ化物添加を止めるべき」と、環境保護庁(EPA)に請願しました。これが却下された翌2017年には、EPAを相手取って連邦裁判所に訴訟を提起しました。
2024年9月の判決では、現行の濃度でのフッ化物添加を「子どもの健康に対する不合理なリスク」と認め、EPAに規制を求めました。
これに対して、いくつかの歯科関係団体は「科学的でない」と反発。
反証となる疫学研究を発表したり、各地の歯科医師会が食品医薬品局(FDA)に「フッ素サプリを市場から排除しないでほしい」と要求したりしています。
長年、むし歯予防の手段として広く行われていたフッ化物応用の土台が揺らいだ背景には、第二次トランプ政権で保健大臣に就任したロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が、ワクチンやフッ化物などの効果や安全性に疑義を示してきた政治家だという事実があります。
保健大臣が変わっただけで司法判断に影響するとは考えにくいものの、これまで「フッ素推し」をけん引してきた感のあるアメリカ社会の空気が、微妙に変わりつつあるのも事実かもしれません。
【まとめ】 “歯の健康”は個人任せにできない社会の課題
歯科疾患の予防は、単なる生活習慣の問題にとどまらず、制度や政策に大きく左右されることが見えてきました。
時代によって着目される方法は変化してきましたが、それらの背景にあるのは、意外に政治的な選択と判断だと言えます。
そして、日本は、予防制度において決して後れを取っているわけではなく、むしろ成果を上げている側面もあることを忘れてはならないでしょう。
医科と歯科の距離、産業構造との駆け引き、そして社会的な合意形成。
——歯の健康を守るというテーマは、意外にも多くの利害関係が絡み合う複雑なものなのです。
だからこそ、「予防」を本人や専門職の努力のみに依存せず、社会のしくみに着目することが、今後さらに求められていくのかもしれません。
〈参考文献〉
・Tess Foote et al, International Dental Journal, 73, 449-455, 2023.
・Christin E. Keans et al, PLOS Medicine, Mar., 2015.
・Phillippe p. Hujoel, Nutrients, 2021, 13, 4361.
・水谷惟紗久、18世紀からの長い論争 食べ物、栄養と歯科の関係とは?、『アポロニア21』2022年4月号
・Dagmar Curel Willson, The Lancet,237,1941.
・H. Trendley, The Journal of Orthodontics, 16(6), 1940.
【書き手:水谷惟紗久】
歯科医院経営専門誌『アポロニア21』編集長/日本医史学会会員/日本国際保健医療学会会員
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