「会いに行く画家」に会いに行ったお話

2022年1月30日。
それはそれは特別な1日でした。


誰もが「会うこと」に躊躇を感じながら過ごしてきた、約2年間。こんなにそわそわした朝があっただろうか。

たまにしかつけないイヤリングを揺らし辿り着いたのは、原宿。

初めてはどんな時もドキドキするけれど、「原宿の母」の看板を目にした時にはもう、なんだかこの先に進んでも大丈夫な気がした。


がちゃ。


扉を開けてすぐ「志麻さん?」と声をかけられた。

声の主は、ガチョウを愛するnolyさん。
母がどうしても届けたいものがあると会いたがっていたnoterさんだ。

続けてみなさんに迎えられ、その先へと進んだ。


2022年1月30日の日曜日。
私は母と連れ立って「会いに行く画家」に会いにきた。

準備段階からずっと手元の画面で見てきた世界。
ようやく肌で感じることができた。

「生」の空気感自体が久々で、私はそのライブ感に密かに高揚した。



思えば、高校生の頃。
似たような経験をしたことがあった。

母がブログをやっていたつながりで、全国のお友達と一堂に会する機会があったのだ。いわゆるオフ会。

画面上でしか知らない人たちとの生の出会いは、「知っているのに初めまして」という不思議な空間。画面越しに思い描いていた空気感との答え合わせは、楽しくてそわそわした。


今回もそのそわそわした気持ちがどこかありながら、生の空気・声・存在感を存分に味わった。想像以上の壁のなさにあっという間にその空気に溶け込まされてしまった(随分長居してしまってすみませんでした…汗)。

絵と、お菓子と、お茶と。
そして何より人との時間。

人の集まりとは、どこか疎外感を感じた瞬間に居心地の悪さを覚えやすい。
訪れた人が一人にならないよう、でも絵の世界に浸る邪魔はしないよう、清世組の皆さんが常に気を回してくださったおかげで、そんなことを感じる瞬間は一度もなかった。

いろいろな得意の集まったチームでの展覧会だからこそ、かもしれない。


***


今回様々な参加のかたちを用意してくれた中、私は来場を選択した。

ただ、もし会場が遠方だったら来場という形は選べなかった。同じように会場から遠かったり、都合が合わなかったり、様々な理由で来場しないという選択をされた方も多いと思う。でも、どちらが良いということはない。


私の好きなバンドはよく、「魂組」という言葉を使う。
これはライブに来れないファンたちを指している。

例えライブ会場にいなくても「想い」はあって、その想いはちゃんと届いてるぞ、その想いごとステージに立ってるぞ、という気持ちを表してくれた言葉。

その場にいること、チケットを買うこと、グッズを買うことはもちろん直接的な応援になる。けれど、あくまでそれは応援の一つの形であってそうすることが、より応援する気持ちが大きいということではない。


今回の清世さんたちの展覧会も同じだと思う。
アーティスト、クリエイターの活動は一度きりではなく、今後も続いていく。

今回その場に居られたとしても、
どこかではその場にいられないかもしれない。

今回その場に居られなくても、
どこかではその場にいるかもしれない。

私たち親子が今回会場に行けても、以前関西で行われていた清世さんの活動には行けなかったように。

清世さんの展覧会は、私が今まで参加したどの展覧会よりも、来場できない人たちの、「魂組」の想いが詰まった空間だった。

最初からオンラインでの来場も想定していたし、その準備の様子を見ていたからかもしれない。noteという共通の世界の中で、応援しているけれど行けないと言っている声を聞いていたからかもしれない。

個人的に魂を届けている人もいれば、誰かに託した人もいるだろう。その魂ごと清世さんが受け止めて、チームの皆さんも清世さんの想いそのままにそこに存在していたような気がして、会場にいる人数以上のあたたかさを感じた。


おこがましくも…
これからも、清世さんにはそうした魂を背負った画家さんになってほしい。

勝手ながらそう思っております。


最後になりましたが、今回このような場を作ってくださった清世さん、大枝さん、国岡さん、歌原さん、nolyさん。本当にありがとうございました。

これからも、清世さんの活動を応援しています✨


購入した絵本にいただいたサイン
「3割うまい」の意味がわかる方は同志です。笑



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