黙して語る──D’Angeloに宿る“ネオソウル”の本懐
1. “じっくり噛むほど旨味が出る”サウンド
30前後になると、「あれ? 昔有名だったけど深堀りしてないアーティスト、結構あるな…」なんてことに気づく。僕にとってD’Angeloも、その一人だった。名前は頻繁に見かける。R&Bに革命を起こした天才だとか、ネオソウルのパイオニアだとか。じゃあ具体的に何がどう天才なのか?と聞かれると、曖昧だった。
でも、年齢を重ねるとともに「分かってなかったものを分かりたい」欲求がじわじわ湧いてくる。勢いでアルバムを一通り聴いてみたら、そこには“じっくり噛むほど旨味が出る”サウンドが詰まっていて、SNS時代の即席消費に慣れた耳を、バキッと目覚めさせてくれたというわけだ。
2. 「Brown Sugar」が塗り替えたR&Bの常識
まずは1995年リリースのデビュー作『Brown Sugar』だ。21歳の若さで作り上げたこのアルバムは、それまでのR&Bにありがちな“打ち込みでキラキラ”路線を覆すほどアナログ感が強い。
ジャズやファンク、ゴスペルの匂いを色濃く残しながら、一方でヒップホップ的なビート感も盛り込む。その結果、懐かしいはずのソウルが異様に新しく聞こえる、という不思議な仕上がりになっていた。 “レイドバック”という言葉では説明しきれない重さや余韻があり、当時のリスナーにはちょっとしたカルチャーショックだったようだ。
僕も初めて全曲を通して聴いたとき、「あれ、いわゆる90年代R&Bと全然違うな」と思った。もちろんメロウなんだけど、“ちゃんと土臭い”。シンセや派手なストリングスでコーティングされたものではなく、皮膚感覚にぐいっと迫ってくる。要するに「甘さだけじゃない、奥行きある甘苦さ」を提示してきた、まさに“Brown Sugar”そのものだ。
3. Soulquariansと作った、泥深い“Voodoo”の衝撃
そこからさらに踏み込んでみたのが、2000年発表の『Voodoo』。これはD’Angeloが“Soulquarians”という音楽集団の仲間たちと作り上げたアルバムで、The RootsのクエストラブやJ Dilla、Erykah Badu、Commonらとスタジオにこもってセッションを重ねたそうだ。
当時は「機械ビートをあえてズラす」「人力ドラムの微妙なブレを活かす」みたいな手法がヒップホップ界隈でも試され始めていて、Soulquariansはそれをとことん突き詰めた。これは以前、J Dillaを扱った記事でも触れたけど、独特なタイム感に影響を受けたクエストラブの“生演奏ズレドラム”が、『Voodoo』のグルーヴを決定づけている。
聴けばわかるけど、本当に妙な粘度を持っている。普通ならキッチリ合うはずのスネアやハイハットが、わざと遅れたり走ったりする。なのに気持ち悪くない。むしろ“ズレ”が心地よい揺れを生む。この手のリズム感は今でこそローファイ・ヒップホップなどで主流になっているが、当時はまだ驚きの手法だった。
『Voodoo』を家のスピーカーでゆるく流すと、空気が一変する。音量を上げなくても、やたら耳に絡みついてくる。あのスモーキーでダラーっとした中にも、ものすごい緻密さが潜んでいる感じ……これは一歩間違えると“よくわからんダルい音楽”になりかねないのに、D’AngeloとSoulquariansのセンスが噛み合ったからこそ成立したんだろうな、としみじみ思う。
4. 14年の沈黙、“Black Messiah”で再び打ち鳴らす
しかしこのアルバム『Voodoo』が成功を収めた後、D’Angeloは長らく沈黙する(※)。ドラッグの問題やら、周囲の過度な期待やらで、本人はかなりこじれていたという。ファンからは「いつ新作出すんだ」と言われ続けても、何も出ないまま10年以上が過ぎていく。
※“Untitled (How Does It Feel)”という曲のミュージックビデオが、彼をセクシー象徴のように祭り上げた。それ自体は大きな話題を呼び、世間の注目を集めまくったが、どうやら本人は少し困惑していたようだ。「自分は音楽で勝負したいのに、肉体推しで見られてしまう」というジレンマが生じ、それが後の長い沈黙につながった……という説もある。
だからこそ2014年、彼が『Black Messiah』で電撃的にカムバックした時の衝撃は大きかった。14年もの空白を経て、いきなり高密度の作品を投下してくるあたり、やっぱり只者じゃない。
しかも『Black Messiah』は単に“久々のD’Angelo”というだけじゃなく、タイトル通り相当なメッセージ性を帯びていた。当時アメリカでは人種差別や警察暴力への抗議運動が盛り上がっていて、D’Angeloもその社会的ムーブメントに呼応するかのようにリリースを早めたと言われる。
実際に聴いてみると、ファンクの濃厚さやゴスペル由来のスピリチュアルさを軸に、さらにロックのエッセンスも加わっている。あのズレたグルーヴや粘着質のボーカルは変わらないけど、そこに“怒り”や“願い”の熱量が注がれているから、ひときわ生々しい。
5. “時代に急かされない”という贅沢
D’Angeloのキャリアを俯瞰すると、とにかく気まぐれだ。立て続けに作品を出すわけでもないし、メディア露出もほとんどしない。アルバム制作中に何をしてるのかサッパリわからない。
でも、だからこそ彼の音楽は“無理なスケジュール”の臭いがしない。時間をかけて発酵させている感じがある。いわば“時代に急かされない贅沢”を享受しているのかもしれない。
それだけに、一度音を出せばファンは狂喜乱舞するし、アルバムのクオリティも軒並み高い。ある意味、現代音楽の中で超レアな存在で、なおかつ成功を収めている不思議なアーティストだと思う。
6. 彼の音がもたらす“粘り"
R&Bやソウルといえばメジャーの王道ジャンルだが、D’Angeloはそこを逆手にとって、“アンダーグラウンドなヒップホップ感覚”や“ジャズの即興性”を混ぜることで独自の領域を築いた。
普通に「ラブソングを届けるR&Bシンガー」と思っていたら、実はインディーズ精神ばりばりの実験をやってるじゃないか、と。しかも、そのアナログ志向や即興セッションの面倒くささもろとも、時代に大きな衝撃を与えてしまうのだから、かっこいい以外の言葉が浮かばない。
Erykah BaduやMaxwell、Lauryn Hillらと並んで“ネオソウル”を切り拓いたと言われるが、その中でもD’Angeloは特に“粘り”にこだわったイメージが強い。聴く側としても、ちょっと姿勢を正して向き合わないといけないような雰囲気がある。
7. 最後に──“ゆるやかに沈み込む”音楽を味わう
D’Angeloをしっかり聴いてみると、表面的な派手さやポップなキャッチーさとは無縁なサウンドが待っている。それはまるで、ゆっくりと深いところへ沈んでいくような体験だ。
ヒップホップを経由しつつゴスペルやファンクの遺伝子も宿し、Soulquariansのズレたビートで味付けされている。その上、社会的メッセージを秘めた“Black Messiah”まで踏み込めば、「ここまで濃い音楽を作るのに、なぜ自分は触れてこなかったんだ……!」と悔しくなるかもしれない。
ただ、遅れて触れたって全然いい。D’Angeloの音は時間に縛られないし、リリースサイクルも気まぐれだ。“今からでも遅くない”どころか、“いつ聴くかはあなたの自由”というスタンスを堂々ととっている気がする。
要は、急かされず、馴れ合わず、濃厚なものをじっくり仕込み、タイミングが来たら世界に投げつける。そんなスタイルこそD’Angeloの本質なのではないだろうか。僕らはその“ゆっくりでも最高の一発”に魅了され続け、振り回され続ける。だけどこの時代、そういう存在がいてくれるのはむしろ心強いじゃないか。
だから、もしまだD’Angeloを聴いたことがないなら、ぜひ一度時間を取って聴いてみてほしい。ビートのすき間から湧き立つ空気の震えに、きっとやられるはずだ。タイミングを見計らって、落ち着いた夜にでも。D’Angeloは、その“待っている時間ごと”楽しませてくれる、そんな類い稀なアーティストだと思うから。
