「バリ山行」を読んで、私が見つけた“登らない山”の話
その日家事の合間に、耳がふとキャッチしたのが「田村淳のNewsCLUB」
ゲストに松永K三蔵さんが登場していて、『バリ山行』という作品を知った。
第171回芥川賞受賞作。すぐ本屋に走った私です。

この物語は主人公が登山道を外れて山を行く「バリ」をする先輩妻鹿に憧れ同行する。 山の危険にさらされた、彼の心に去来するのはなにか? 六甲山を舞台に山と日常を対比しながら生きていくことの「ままならしさ」を描く。
私は登山をしたことがないし、会社に勤めたこともない。
登山も実社会も遠いはずの私が 『バリ山行』を読んで、思うこと。
四人娘の子育て中は日々、「ままならない」ことがあり、
「何のために生きているのかな」と、 ふと立ち止まる瞬間が・・多々あった。
子育ても終わりに近づいた今も、思うことがある。
「誰もいない山で、コーヒーを淹れてひとり飲む」
このシーンに、“誰でもない自分でいられる時間”を感じた。
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私の「登らないバリ」
『バリ山行』の「バリ」とは、
誰もいない山道を、自分の感覚で進んでいくという行為。
登山道という決められたルートを外れ、自らの判断で、足元を探りながら
前へと進む。それは、地図には載っていないけれど、確かに
“その人だけの道”なんだと思う。
私は山を登ったことも、登山道を歩いたこともないけど、
それでも、私にも“バリ”はあったと、この物語を読んで気づいた。
深夜、家族が寝静まったあとに、湯気の立つホット梅酒を飲む時間。
洗濯物が洗い上がるまでの待ち時間に読むマンガ。
朝の台所に射す光に「今日もなんとかなるかな」と思う瞬間——。
誰にも見えないけれど、私にとっての「登らないバリ」は、
そんな何気ない日常のすき間に、静かに息づいていた。
それは、母でも妻でもない「ただの私」としての時間。
誰の目も気にせず、誰の期待にも応えなくていい“心の抜け道”。
そんなことに気づけた一冊でした。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
