自分の存在意義は資本主義の元で成り立っていることが分かった
転勤族の夫と結婚し、新卒から勤めてきた会社を退職し
現在、自分には一番向いてないと思っていた専業主婦をやっています。
退職の際に、周りから一番言われたのは
「今まで一生懸命働いてきたんだから少しゆっくりしてみたら?」
という言葉でした。
とてもありがたい言葉で、その時は素直にそれを受け入れていましたが、実際自分が社会から外れて、家にいるというのはとても居心地の悪いものです。
「ゆっくりする」ということができないのです。
なぜ、自分はゆっくりできないのか。
色々考えていたところ、自分の存在意義は資本主義の元で成り立っているという結論に至ったので、その思考の過程を共有したいと思います。
そもそも資本主義とは

そもそも、資本主義とは簡単にいうと、「労働力を購入する資本家と、労働力を売る労働者が自由な経済活動を行える経済体制」のことと言われています。働いてその対価として賃金を与える人・もらう人。要は会社ですよね。
ずっとこの中にいると、働いたことに対する報酬=賃金という頭になります。また、それによって社会に貢献している、社会生産の一部になっているという考えも自然と生まれるのだと思います。
専業主婦には資本主義の考えは成り立つのか

では専業主婦の仕事である、家事・家庭を守ることはどうなのかを考えてみます。
まず、労働に対する対価の面で考えてみます。
専業主婦は毎日労働をしています。それに対する対価は何になるのでしょうか。
ありがとうの声掛け?日頃の感謝?
家族間で色々と違いがあるかと思いますが、賃金ではないと思います。
では、賃金を渡せばいいのかというとそれは違いますよね。
家事してるんだから!と夫に言って、お金を渡されたらわたしはキレます(笑)
よく、主婦の労働をお金に換算すると年収1000万円程になるというのを見ますが、あれはどうやって計算しているんですかね?そもそも年収1000万円だったとして、それを企業がそのお金を出して雇うのかと言われると、話が変わってきますよね。というか絶対に雇わないですよね。
なぜ資本主義世界では労働に対して賃金が発生するのが当たり前なのに、専業主婦の世界ではそれが成り立たないのか。
これは当たり前ですが資本家と労働者の関係にないとこれは成り立たないのです。夫婦間ではもちろんこの関係は成り立ちません。賃金の発生を快く受け入れることができるのは、資本主義の中にいないと出来ないことだと思います。
では、社会貢献の面からみるとどうですかね。
会社に勤めていて、社会貢献してる!と思ったことは正直ないですが(笑)
でも、社会通念上みんなが共通で理解していることだと思います。
会社というものは、社会に対しての課題解決をするものだと思います。
顧客のニーズに合わせて解決の内容は変化していくものの、物やサービスを提供することによって社会を潤します。課題解決をしなくなった会社はそのうち潰れていきます。
では専業主婦は?
広い意味で言えば社会貢献しているとは思います。
家族を支え、家庭を守る。それによって、会社で働く夫の暮らしを快適にして生産性を上げる。または、将来的に生産性を持つかもしれない子供に対しての貢献。
なんだかとても間接的な社会貢献だなあと思います。
資本主義の中にいると心理的安全性が保障される

こう考えていくと、今まで自分が置かれていた環境は心理的安全が保障されていたんだなと思いました。もちろん、対人関係やコミュニケーションといった面では心理的安全性は確保されていないかもしれません。
しかし、社会的な心理的安全性という面だけで見れば、資本主義社会にいるというだけで完全に保障されています。
一般的に心理的安全性というと、
チームや組織の中で地位や経験に関わらず意見が言える環境
というようなことだと思います。
でもこれって、生産性を上げるために必要なことですよね。
そもそもが資本主義の中で成り立っているわけですよ。
わたしが思う社会的な心理的安全性というのは、
資本主義社会に属するものが圧倒的に強い社会構造ということです。
言い回しが難しいので例えばですが、
家族や親せきの集まりがあった時に、資本主義社会に属している人が仕事があるからと言ったら何故か許される状態ってありますよね。
もし専業主婦のわたしが、家で家事があるからと言ったら同じように許されるとは思いません。
他にも、過去の記事で書きましたが専業主婦というイメージで、周囲から向けられる目線や言葉。営業マンが夫に対してしか話さなかったり、自分の意見を言いにくくする環境。
圧倒的に仕事をしている人が有利世の中なんです。
わたしはこの社会的な心理的安全性が担保されていないことへの不安と焦りがあるのだと思います。
これは、あくまでわたしの考え方なので、資本主義が有利なのは確かですが、別にそれが偉いとは思いません。社会を動かす人を支えているのが資本主義に生きていない人であるというのもまた事実です。
ただ、これは自分がその生き方が好きなのか嫌いなのかという問題ではあると思います。わたしは今の生き方に違和感を抱えています。
その根本は、自分が資本主義社会にいないから。
これが自分の中でモヤモヤとしていることの結論だったんだと思います。
世界のほとんどがこの資本主義社会で回っている。
その中に存在できていない自分。
なぜ、専業主婦になるのが嫌だったのか。
なぜ、ゆっくり過ごすことへの抵抗があるのか。
それが見えた気がします。
資本主義から外れてこれからの生き方を考える

こう考えると、やっぱり専業主婦はどうしても資本主義の中では存在できないことになります。
また、専業主婦だけではなく、定年退職をした人も同じなのでは?と思います。今わたしが抱えている違和感や不安感に似たものを持っているのではないかなと思います。
わたしとは比べ物にならないくらい長い時間を社会の中で過ごしてきた人が、生産性を上げることを求められず残りの人生を生きていく。どういう感覚なのかとても興味があります(笑)
また近年FIREが流行っていますが、経済的自由を果たした人はあえて資本主義から抜け出すのか、それでも資本主義の中に身を置くのか。それもとても興味がありますね。
自分のこれからの生き方を考えた時に、
やっぱり自分は、家庭内ではなく何か外に対しての関わりと価値提供を持っていないと、自分の存在意義を確かめられないのだなと思いました。
ただ、それが今までと同じように会社に属して労働者として賃金をもらいながら社会貢献することなのか。それとも、資本家になってみるのか。それとも、会社には属さずに物やサービスを提供して賃金や社会貢献を得る形があるのか。
選択肢は色々とあると思います。
資本主義から外れてみたことによって、
自分の在りたい姿がとてもクリアになってきたと思います。
安全なところにいると、何も考えなくなりますよね。
考えなくても安全が保障されているというのはある意味恐ろしいことだなと思います。
ここで選ぶ生き方が自分の価値観を大きく反映する。
どの道を選ぶのか自分でもとても楽しみです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
シンバ🦁
