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直す傘、大切な記憶も一緒に。
私が子どものころは、家に定期的に傘屋さんが来た。
折れた骨。
地面について、すり減って穴が開いてしまった石突。
いつの間にか、取れてどこかへ行ってしまった露先。
それらすべてを丁寧に取り換えて、直してくれる。
同じ色がないと、似た色のものを使ってくれる。
壊れた傘を直してくれる器用で武骨な手。
小学生の私はその手元を魔法のように見ていた。
小学校の行き返り、傘の先で地面をたたきながら歩いた。
杖のようについたり、引きずったりした。
傘先の石突は、当然壊れた。
プラスチック製の先がすり減り、穴が開き、中の金属が顔を出す。
雨の日も風の日も歩いて登校した。
晴れの日だって、帰りは雨が降るかもしれない。常にランドセルに傘をひっかけて登校していた。
お気に入りの黄色い傘。小学生の私にとって、安心して登下校するための頼れる相棒だった。
傘屋さんは、いつ来るのかは分からない。
壊れた傘はまとめて、ためておく。
いつ来るとも分からない傘屋さんを待ちながら。
しかし、時代に合わなくなったのか、廃業したのか、いつの間にか来なくなった。私が小学生のころまでは、来ていたように思う。
直すより、買った方が安い時代になって、誰も直すなんて考えなくなった。
壊れたら捨てる。
新しいものに取り替える。
それが当たり前になった。
私は、あの傘屋さんの手元を思い出す。
あの手が直していたのは、傘だけではなかった。
お気に入りを失った小さな喪失感。
そして、それが戻ってきたときの安堵。
子どもの私の心もまた、
あの手によって救われていたのかもしれない。
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