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建築家の休憩室-11|庭はなくても、屋上がある

庭はなくても、屋上がある

韓国で暮らし始めて、友人の家を訪れるたびに小さな違和感があった。窓の外にも玄関先にも、「庭」がない。ベランダはあっても、土に触れる場所がどこにもないのだ。

日本にいた頃、実家には猫の額ほどの坪庭があった。特別広くもなく、手入れも楽ではなかったが、なぜかそこに家族の時間の多くが流れていた。設計の現場でも、施主から「小さくてもいいから庭がほしい」という声を何度も聞いてきた。

韓国では住宅の多くがマンション(アパート)で、庭を持つという発想自体があまり選択肢に上がらない。それでも、どのアパートを訪れても、とりわけ年配の世帯ほど、ベランダに鉢植えが所狭しと並んでいる。庭という「場所」がなくても、緑への欲求は消えていない。それが持ち運びできる鉢植えという形に姿を変えているだけなのだ。

さらに面白いのは屋上だ。韓国のアパートには必ず屋上があり、共有スペースとして機能する。子どもの背丈ほどの植木鉢が並び、箱庭や野菜畑がつくられ、住民同士でバーベキューをする光景も珍しくない。戸建住宅の設計に携わっていると、こうした感覚がそのまま持ち込まれる場面によく出会う。施主の多くはアパート暮らしを経てから家を建てる人たちで、地面の庭よりも「広い屋上がほしい」という要望が、決して珍しくないのだ。

つまり韓国の「庭への欲求」は、消えていたのではない。地面から屋上へと、場所を変えて生き続けていたのだ。もちろんこれは個人差の大きい話で、庭にあまり関心を持たない人もいれば、屋上に強くこだわる人もいる。

こうして並べてみると、日韓の違いは「庭があるかないか」ではなく、外部空間への欲求がどこに転移するか、という話なのだと気づく。韓国は屋上や団地の共有地に、日本は個人の坪庭に。

あなたは、その欲求をどこで満たしているだろうか。


建築のこと、暮らしのこと、そして日韓でふと気づいた小さな違い。

「建築家の休憩室」では、設計の仕事から少し離れて、日々の暮らしの中で見つけたことを気ままに綴っています。

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庭や屋上のような場所には、そこで過ごした時間が少しずつ積み重なっていきます。

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