海と、まだ答えのない問い
先日、千葉県の館山にまで足を伸ばしました。
たまたま休みが取れたので、少しリフレッシュを兼ねたかったのと、将来的な国内ノマドの移住先を下見するのが目的でした。基本的に海の近くで温暖な気候のところが好きなので、都内から日帰りで行けるこの地を選んだというのがあります。
しかし大きな理由としては、少し日常から離れた場所で、考えを整理したいという思いがありました。
直近なかなか気持ちがピリピリしていたところもあり、食事や運動などいろいろ整えていたのですが、うまく解消しませんでした。そこで少し日常から距離を置いて、原因を探ることにしたのです。
波を見ながら気づいたこと
館山に着いて、海を眺めながら考えていたのは、なぜあれだけ整えても気持ちがピリピリと収まらなかったのか、ということでした。
しばらく波を見ているうちに、ふと気づきました。自分が焦っていたのは「体調」でも「仕事」でもなく、「自分らしく生きられていない感覚」そのものだったのではないか、と。食事や運動は、いわば症状への対処でした。しかし根本にあったのは、もっと構造的な違和感——今の生活の枠組みが、自分の”らしさ”とズレ始めているという感覚だったように思います。
館山を選んだのも、単なる移住先の下見という以上に、「自分がどんな環境なら機嫌よくいられるか」を、体で確かめにいく行為だったのかもしれません。海の近くで、温暖な気候で、日常から少し距離がある場所。それは”理想の地の条件”であると同時に、“今の自分に足りていないものの輪郭”でもありました。
ピリピリしていた直接の原因は、はっきり言ってしまうとお金周りのことでした。これから海外に向けて出発するにあたって、お金周りの計算は非常に大事な要素になってきます。特に現地の生活が不確定でなかなか読めない中で、単純にお金の余裕が精神的な余裕に繋がってくるからです。
私の不安がちな性格も相まって、それはとても大事な要素として受け止める必要があります。現地でどのくらい予算が必要なのかを可視化できていないがために、日々のお金の使い方に対してストレスを感じており、それがピリピリが収まらない原因になっていました。
しかし、今回のお金というのは表面的な悩みでしかありません。根っこの悩みは、この先の海外生活で何を求めていくのかということでした。
もともとは5年から10年くらいかけてノマドワークを実現できればいいなと思っていたのですが、思ったよりも状況が進んでおり、向こう数年で叶いそうになっている自分がいます。急に目の前にやってきたので、逆に不安になってきたというのが率直なところです。
本当に現地に馴染めるのか、どのくらい現地での備えが必要なのかという現実的な側面が見えてきたため、しっかりと準備をする必要があると捉えています。
ある意味、ノマドとしての海外生活をゴールに置いてきたところがあるのですが、冷静に問い直せば、ノマドとしての生活やビザの取得はスタートラインにしかすぎません。そのため、現地で何を求めてそこへ行くのかを、改めて整理する必要があると感じていました。
ゴールはスタートラインでしかなかった
「海外ノマドを実現する」——これをここ数年ゴールに置いてきました。しかしそのゴールが急に現実味を帯びてきた瞬間、安堵ではなく不安が先に来ました。
これは奇妙なようで、実は当然のことだったのかもしれません。「ビザが取れる」「ノマドとして生活できる」というのは、実のところ状態の獲得でしかなく、そこで何をするか、何を求めるかという中身が伴っていなければ、ゴールに着いた瞬間に迷子になってしまいます。
自分の中にあった「古いOS」は、“環境を変えれば、自分も変わる”という発想でした。しかし環境はスタートラインを変えるだけで、そこから先に何を求めるかを決めるのは自分自身でしかありません。ピリピリしていた正体は、まさにこの「スタートラインの先」が言語化されないまま、スタートラインだけが近づいてきたことへの焦りだったのだと思います。
裏を返せば、どこに住むかというのは一つの手段でしかありません。私がノマドや海外生活に真に求めるのは、自立して自分らしく生きられることだと考えています。
これまでいくつもの組織に身を置いてきましたが、なかなか帰属意識を持てず、半分社会に適応できない部分も正直あったのが本音です。そんな中で、自分を尊重してくれる環境を求めて海外に行く側面もあります。
言い換えると、自分はソフト面を求めてノマドを目指している分、ハード面ばかりを強く探そうとしても答えは見つからないのだと捉えています。館山もとても良い場所ではありましたが、自分が求めている場所かと言われると、少し違うかなと思った次第です。
ゴール到達後の空白
読者の皆さんの中にも、こんな感覚に心当たりがある方がいらっしゃるかもしれません。
転職、独立、移住——何か大きな環境の変化をゴールに据えて頑張ってきたのに、いざそれが現実味を帯びてきた途端、なぜか安堵より不安が先に立つ。
もしそうだとしたら、疲弊の正体は「環境が変わること」そのものではなく、「変わった先に何を求めるかが言語化されていないこと」かもしれません。
観察していただきたい指標はシンプルです。
「その変化が実現したら、翌日から自分は何を求めて動き出すか」を、一文で言えるかどうか。
言えないとしたら、それは変化そのものが目的化してしまっているサインかもしれません。
状態の先にある動詞
Q. ゴールを”状態”ではなく”中身”で設定するには、具体的にどうすればいいのでしょうか?
A.一つの方法は、「その状態を手に入れた自分」を主語にして、さらにもう一段階先の問いを立てることです。「海外でノマドになる」で止めず、「海外でノマドになった自分は、何に時間を使いたいのか」「誰と、どんな関係を築きたいのか」まで踏み込む。状態は入り口に過ぎず、その先の動詞(何をするか)まで言語化できて初めて、ゴールが目的地として機能し始めるように思います。
PS:まだ答えのない問いのまま
正直に言うと、「自立して自分らしく生きる」の中身は、まだ自分の中でも完全には言語化できていません。
館山の海を見ながら得たのは答えではなく、「今の答えでは足りない」という感覚だけでした。
もしかしたら、これは館山だけの話ではなく、次にどこを訪れても同じ問いにぶつかるのかもしれません。
その問いへの向き合い方も、また次回以降で少しずつ言葉にしていければと思っています。
引き続き、AI×Bio-Dataの実験ログはこちらで更新しています。
Shin’s OS Newsletter vol.15
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