【休職・転職】社会人1年目、努力の末に燃え尽きた僕が得たもの。~母からの小さくて大きなお小遣い~
「君たちはこの社会人人生を通して、どうなりたいんだ!?」
新卒で入社した上場企業での研修最終日。
エグゼクティブコーチとかいう全くよくわからない職業の人に言われた言葉が、自分の人生を大きく揺るがすこととなった。
私は新卒で人材業界の上場企業グループ会社に入社。
同期は合計で25名ほど。
周りは有名私立大や旧帝大出身や大学院生などFラン大出身の自分からすると、信じられない程の学歴の差も、地頭の差も感じる環境に私は足を踏み入れた。
保育園から大学まで、常に少人数で過ごしてきた自分にとっては人数も環境も、とても息苦しい環境だった。
だが、「凄い良い環境にこれた…!」「ここで頑張って出世するぞ…!」
という期待と高揚感。
そして「周りに絶対に遅れないようにしなければ…!」
という焦りを持ちながら、仕事のできる強い社会人を目指そうと決意を決めていた。
入社してすぐ、新卒は全員で研修を受けることになっていた。
【研修初日】
初日は社会人としての基本となる考え方を教わった。
エグゼクティブコーチからは
「会社は皆さんに投資をしています。」
「一人当たり数100万円かけて採用しています。」
などと口酸っぱく言われ、社会人として仕事をやり切らないといけないと身が震えるような気持ちになった。
【2日目~4日目】
ここでは電話応対や名刺交換、メール対応などのロープレを行った。
この研修ではみんなの前でロープレをすることになっていたのだが、同期はみんな、ものすごい勢いで手を上げる。
それもそうだ。人事部長がその姿勢を見ているのだから。
あの時点で既に社会人人生の勝負が始まっていたのだ。
自分の心は嫌だと思いながらも、負けじと手を上げ必死に追いつこうとしていた。
【研修最終日】
心身ともに疲弊しきった最終日。
最終日は社会人としての意気込みを決める研修だった。
研修の最後の1時間、エグゼクティブコーチからこんな問いを投げかけられた。
「君たちはどのような社会人になりたいんだ?」
「君たちの将来の目標をその紙に書いて、みんなの前で発表しよう!」
と、突然みんなの前で発表するという難題が降ってきた。
その時自分は
「どのような社会人って言われても…」
「まだ先も見えないし、わからないし…」
と紙に書くことを躊躇っていた。
ただ自分が躊躇っている間に、同期はペンをすらすらと走らせて自分の将来の思いを次々と紙に書いていく。
完全に焦っていた自分は
「3年以内に部署のリーダーになる」
と強く大きな字で紙に書いた。
ついに発表がスタート。
これでいいのかと不安を感じながらも、周りの同期は次々と決めたことを発表していく。
そしてついに自分の番。
自分は不安を隠し、威勢よく
「3年以内に部署のリーダーになる!」
と伝えた。
同期のみんなから拍手をもらい、安堵の気持ちと同時に、「言ったからには本気で目指す」と心に誓った。
これが悪かった。すべての物語の始まりだった。
研修が終わると仕事が始まり、自分はカスタマーサクセスのコンサルティング部門に配属された。
最初は人にも恵まれ、仕事も難しい面はありながらも常に成長を感じながらとても楽しく過ごしていた。
そんな毎日が崩れたのは入社してから10ヶ月が経った1月の事。
1年目でも、既にカレンダーのスケジュールは15分の余裕もないほど詰まっていた。
それでも上司は
「この資料も確認したいから、打ち合わせの前に先に見せて。」
「このリストの担当の人に電話かけて、その進捗後で報告して。」
「この問い合わせの回答、午前中にやっておいて」
と、次々とタスクを振ってくる。
1月の中旬。
首の皮一枚繋がっている状況の中で、なんとか毎日仕事をこなす日々。
お客様とのミーティング前。
上司との最終確認ミーティングに資料作成が間に合わず、さらにその日にかけるべき電話のリストもかけきることができなくなってしまった。
仕事ができないダメな奴だと自分を責め、自暴自棄になった。
そして案の定、上司とのミーティングで
「間に合わないのは社会人として最悪」
「言われたことができないと信頼されないよ?」
と詰められる。
既に残業は既に45時間を越えていた。
それでも
「3年以内に部署のリーダーになる!」
とエグゼクティブコーチからの問いに対してみんなの前で意気込んだこの言葉を元に、意地でもなんとか上司を見返してやろうと毎日会社に出社し、懸命に仕事に取り組んだ。
2週間連続で、オフィスが閉まる22時まで残業する毎日。
同期は定時で帰っている。
既に心身は限界。
それでも理想の自分になるというモチベーションだけで出社していた。
そんな1月末。
残業しながらも自分的には上出来だと思った資料を上司に見せた。
自信のデキだった。
上司からのフィードバックは全て盛り込んだ。
これでやっと少しは認めてもらえるだろうと思った。
上司からの返事はこうだった。
「これでお客様の前に見せられる?」
「これしかできていないの?」
「同期はもっとできているよ?できないの?」
ついに張りつめていた一本の糸が「ぷつん」と切れるのを感じた。
もう限界だった。
リーダーになる理想の自分を追いかけて、毎日朝の8時から22時まで誰よりも必死にもがき苦しみながら送った毎日。
それでも報われない。
「こんなにやって、なんでこんなに報われないんだ。」
「できないからと思って毎日誰よりも量だけはやろうとこなしていたのに、なんでこんなに自分だけ。」
「諦めずに理想だけ追ってきたのに、このざまか。」
「限界だ。」
週明けの月曜日。
頭で考える前にはもう、即日で診断書を出してもらえる精神科に駆け込んでいた。
個人的には休みたい思いで入ったものの、医師から告げられた診断結果はこうだった。
「適応障害です。休職してください。」
医師にそう告げられた瞬間に、不思議な感情に襲われた。
あの日々から抜け出せると胸をなでおろす気持ちと、本当に自分が適応障害になったのかという疑念の気持ちが交互に訪れ、自分自身の心情を整理することができなかった。
結局自分は休職という選択をして、約3か月ほど休んだ。
【休職~退職まで】
最初の1か月はゴルフの打ちっぱなしにいったりお世話になった大学の部活に参加したりと、好きなことをして楽しく過ごしていた。
しかし、日が経つにつれて
「次の仕事を探さなければ。」
「けど、またあの地獄に戻るのか?」
と頭を悩ます毎日。
仕事中も苦しかったのに、休職中も苦しいまま。
収入もないし、社会にも貢献できていない。
自分の存在価値を疑い始め、朝日が昇っても動けず、暗いカーテンの中で過ごす毎日が続いていた。
そんなある日、自分は母におつかいを頼まれた。
「ちょっとイトーヨーカドーでカニカマ買ってきてくれない?」
布団からも、部屋からも動けていない自分にとってはなかなか腰が重かった。
それでも重い腰を上げ、なんとか買い物に行き、カニカマを買ってきた。
おつりは200円。
おつりを返そうとすると母にこう言われた。
「おつりあげる。」「お使いありがとう。」
この瞬間、自分の目から涙が止まらなくなった。
社会は動き続けているのに自分は何もできていない苦しさと、それでも頼んでくれる家族がいる温かさと、久しぶりに自分の手でお金をいただいたような気がして、自分でもよくわからない涙が落ちていた。
さすがに母の前では恥ずかしかったので、自分の部屋に戻った。
それでもなぜか涙は止まらなかった。
「お金をいただくってこんなに尊いものだったっけ。」
泣き止むころには、こんな気持ちで胸がいっぱいだった。
母からもらった200円はとても小さいものかもしれない。
だけど、あの時の自分にとってはとても大きな200円だった。
あの200円は第二の自分の人生で、間違いなくはじめてのお金だった。
現在は退職して、転職先を探している毎日。
今ではnoteも本気で取り組めるくらい元気になった。
noteを本気で取り組んでいるからこそ100円をいただく偉大さがよくわかる。
そして、会社から毎月25万円いただいていた凄さもよくわかる。
こんな経験をできたからこそ休職して良かったと、会社を辞めて良かったと心から思う。
この先の人生はどうなるかわからないが、母からの小さくて大きな200円も、noteでお金をいただくことの尊さも、会社からお金をいただくことへの感謝も忘れずに生きていきたいと思う。
自分の第二の人生は、このnoteからスタートです。
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