美しき緑の星への道程——崩壊の後を、誰が耕すのか
はじめに
貨幣社会をどう変えていくことが出来るか?まだ具体的な結果には繋がっていないけれど日々奮闘している。
そんな中で、2年前に記した「貨幣社会の終焉に向けて」という一篇を振り返って今と対比させ想いを巡らせてみた。
あの頃はまだ、それはひとつの願望的な直観に過ぎなかったように思う。しかしこの2年を眺めてみると、世界のあちこちで、想像していた以上に速く「亀裂」が可視化されてきているとわたしは感じている。
信頼は内向きに閉じ、格差はかつてない速度で広がり、ネパールやバングラデシュ、マダガスカルでは若い世代が実際に政権を倒した。日本でも「政治とカネ」の問題は露呈したが、結局は「禊は済んだ」として押し流されてしまった。
この現象を見ながらわたしが思うのは、「美しき緑の星」で描かれていた転機もまた、静かな覚醒としてではなく、大衆の反旗というかたちで訪れていたということである。だとすれば、問うべきはもはや「終わるかどうか」ではなく、「終わったあとに、何が残るか」ではないかと考えている。
なぜ「反旗」だけでは足りないのか
政権が倒れても、貨幣システムそのものは倒れない。ここに大きな盲点があるとわたしは思う。
AI企業の経営者たち自身が「AI配当」「ユニバーサル・ベーシック・キャピタル」を語り始めている。これは表面的には希望に見える。しかし実態を追うと、その多くは法的な強制力を伴わない、企業の裁量——いわば「善意」に委ねられた仕組みに留まっている。一方で億万長者の資産はこの1年で加速度的に積み上がり続けている。
つまり、いくら大衆が既存の政権や制度に反旗を翻しても、その先に「公平な分配の仕組み」が自動的に用意されているわけではない。反旗が倒すのは体制であって、貨幣という装置そのものではないのである。
ここに、わたしが「フェーズ2」と呼んでいる段階——反旗のあとに、実際に何によって社会を再編していくのかという段階——の重みがあるように思う。
そもそもの全体像——4つのフェーズ
美しき緑の星への道程を、わたしは大きく4つのフェーズに分けて考えている。
フェーズ1|亀裂期(〜2040年頃) 格差・AI失業・政治不信がさらに先鋭化する。既存の国民国家・法定通貨システムへの信頼は部分的に崩壊するが、まだ代替システムは実験段階(地域通貨、タイムバンク、DAO、ベーシックインカム実証)に留まる。
フェーズ2|並走期(2040〜2070年頃) AIとロボティクスが生産コストを劇的に下げ、一部の財・サービスが「事実上無償」に近づく(エネルギー・食料・情報)。これにより、貨幣が必須な領域が縮小し、贈与・相互扶助ベースの小規模コミュニティ経済と法定通貨経済が並存する「二重経済」が広がる。
フェーズ3|縮退・分散期(2070〜2150年頃) 国民国家的な統治が弱まり、ダンバー数規模の地域コミュニティが生活の基本単位になる。域内はギフト経済、域外決済のみ貨幣的な仕組みが残るという、グラデーション構造に移行していく。
フェーズ4|完全移行(早くて22世紀後半〜23世紀) エネルギーが実質無尽蔵化し、AIが労働の大半を代替した先に、初めて「お金という概念自体が不要」な社会が成立しうる。ただし作品内の星は地球文明より3000年先という設定であり、これは科学技術の高度化に対して強い倫理的節度を社会全体が内面化していることが前提になっている。この「節度」の獲得こそが最大のボトルネックであり、技術進歩よりずっと遅く進むはずだとわたしは考えている。
崩壊の起点は、たぶん日本ではない
世界を見渡すと、崩壊の「起点」になりやすい場所には、ある共通した条件があるとわたしは見ている。
若年人口の比率が高く、街頭に出る担い手が厚いこと
汚職や格差がSNS上で瞬時に可視化されること
国家の統制力が、噴出する不満に対して相対的に弱いこと
この条件に照らすと、起点になり得るのはむしろ、若年失業と債務問題を抱えながら統制力の強い大国(中国のような)、あるいはAIによる雇用喪失が中間層にまで及び始めた基軸通貨国(米国のような)ではないかとわたしは考えている。そこで亀裂が走ったとき、初めて「貨幣システムそのもの」への疑義が世界規模で噴き出すはずである。
日本は、高齢化が進み、若年人口の比率が低く、街頭に出る担い手が構造的に乏しい。したがって日本が「起点」になる可能性は、この2年のデータを見る限りかなり低いとわたしは感じている。
それでも、日本には別の役割があるのではないか
ここでわたしが考えたいのは、日本の役割を「起点」ではなく「再建のひな型を先に用意しておく場所」として捉え直すことである。
日本はすでに、人口減少という「縮む未来」を世界のどの国よりも先に経験しつつある。里山や地域コミュニティという、ダンバー数規模の地縁的なつながりの記憶も、まだかろうじて残っている。そして何より、すでに各地で、地域通貨・タイムバンク・ギフトエコノミー的な実践を、静かに、地道に運営し続けている人たちがいる。
大きな崩壊が中心国のどこかで起きたとき、世界は「次にどう組み替えるか」というひな型を必要とするはずである。そのとき、すでに10年、20年と実践知を積み上げてきたコミュニティ通貨の運営者たちこそが、「種」として機能するのではないかとわたしは考えている。
フェーズ2は、どのように起こり得るか
わたしなりに、そのプロセスを4段階に分けて考えてみたい。
Stage A|種の段階(現在進行中) 各地の地域通貨・タイムバンク・ギフト経済の実践コミュニティは、まだ互いに孤立し、社会全体から見ればごく小さな存在に留まっている。しかしここで蓄積される「顔の見える経済」の運営ノウハウそのものが、後のひな型の原型になるとわたしは思う。
Stage B|中心国の亀裂(時期は不確定) 米国か中国、あるいはその両方で、AI失業や債務、格差をめぐる亀裂が本格化し、既存の貨幣・金融システムへの信頼が世界的に揺らぎ始める。
Stage C|ひな型としての参照 その揺らぎのただ中で、すでに実践知を積んでいた日本の地域コミュニティ通貨的なモデルが、「輸出可能なひな型」として世界から参照され始めるのではないかと考えている。ここで重要なのは、日本が主導するというより、すでに用意されていたものが「たまたま使える形で存在していた」という位置づけになるだろうという点である。
Stage D|緩やかなネットワーク化 複数の地域モデルが国境を越えてゆるやかにつながり、国民国家単位ではなく、コミュニティ連合的な単位で経済と信頼を再構築していく。ここに至って、ようやく「美しき緑の星」的な社会像に、部分的にではあるが近づいていくのではないかと思う。
結びに
まだ「種」でしかないものを、今のうちに育てておくことに意味があるとわたしは信じている。美しき緑の星への道程は、一足飛びに訪れるものではなく、衰退を先取りしてしまった国が、静かな実験場として機能することから始まるのかもしれない。
そう考えると、今、各地で地道にコミュニティ通貨やギフト経済を運営している人たちの営みは、まだ小さくとも、決して無意味なものではないとわたしは思う。
