見出し画像

出産歴も授乳歴もない私が、21歳で肉芽腫性乳腺炎になった話。#創作大賞2026#エッセイ部門

21歳の夏、私の体にメスが入れられた。それも2回。
1回目は左胸の上の方に1㎝、2回目は左胸の脇側に3㎝。
2年経った今も、3㎝のほうは傷跡としてはっきりと私の体に残っている。
これは、出産歴も授乳歴もない私が、21歳で肉芽腫性乳腺炎と闘うことになった話。

違和感を感じ始めたのは、2年前の7月頃。
突然、左胸がズキズキ痛み始める。
最初は、「生理前によくあることだから大丈夫だろう」と、気にしていなかった。
しかし、生理が終わっても胸の痛みは続き、痛む箇所を押してみると、小さな塊が複数できていることも分かった。

「さすがにこれはマズい」と思った私は、インターネットでどのような病気の可能性があるのか、病院はどの診療科へ行くべきなのかを調べた。
「……乳腺炎?……乳腺外科?」
初めて聞いた病名と診療科。さらに調べると、乳腺炎は出産歴や授乳歴がある方がなるものらしい。
「出産歴も授乳歴もない私がなぜ乳腺炎に……?」
疑問を持っても、痛みは増していくだけなので、街中にある乳腺外科のクリニックの予約を取った。

受診当日。
私は、不安を抱えながらクリニックへ向かった。
クリニックは、新しくできたというのもあって、綺麗なところだった。
受付を済ませて、看護師からカウンセリングを受ける。
7月頃から左胸が痛いこと、触ったら塊を感じること、加えて左胸だけ熱をもっていることも伝えた。
その結果、詳しく検査を受けることになる。
検査は、超音波とマンモグラフィ。
超音波検査は、検査する部位は違うものの、消化器内科で何度か受けていたため恐怖心はなかった。

問題は、マンモグラフィだ。
母親から話は聞いていたが、すごく痛いらしい。
それに、「21歳でマンモグラフィを受けるのは早すぎないか?」と一瞬思ったが、同年に胃カメラと大腸内視鏡を受けていたので、「必要なら仕方ない」というマインドへ変わっていった。
ただ、母親から聞いていた通り、マンモグラフィは激痛であった。
私の胸を潰す勢いで挟み、様々な方向へ引っ張られるので、内心胸が取れるんじゃないかと思った。

地獄の検査が終わり、診察を受ける。
診察は、優しい男性の先生が担当だった。
「超音波とマンモグラフィを見る限り、小さな塊があって炎症を起こしています。抗生物質を出しておくので、また1週間後に来てください」
そう言われ、私は1週間抗生物質を飲んだ。
すると、痛みも塊もなくなり、先生も治ったと判断して受診が終わった。

しかし、2週間後の7月末。
また左胸がズキズキ痛むようになる。
私は、この前のクリニックに行こうと思ったが、ちょうど大学の授業が入っており県外にいたため受診できず、そのままお盆も始まり、漸く受診できたのがお盆明け。
その頃には、左胸が大きく腫れ、塊も大きくなっていた。
先生は、抗生物質で収まるだろうと薬を処方する。
しかし、抗生物質は一切効かず、腫れと塊は大きくなり、さらには左胸が黄色く変色し始めた。
このことを先生に伝えると、急遽切開排膿を行うことになった。
切開排膿は、胸をメスで切開し、圧迫して膿を出す手術である。
私は、左胸の上部分を1㎝切開され、胸を思いっきり圧迫される。
これも激痛であった。
切開するときに、局所麻酔を注射でするのだが、何度も刺しながら麻酔を入れていくため、これもまた痛い。局所麻酔用の麻酔をくださいというくらいに。
結果、切開排膿をしても膿はほとんど出ず、抗生物質をもう数日続ける形になった。
ちなみに、切開排膿をするとお風呂に入れないらしく、当面はシャワー浴をするようにと指示された。

数日後、またクリニックを受診する。
正直、抗生物質を飲んでも何も変化がなかった。
先生は、私の胸の状態を見て、「これは、大きな病院で診てもらった方がいいです。今から紹介状を書くので、明日には病院へ受診してください」と言う。
加えて、「このまま放置していると、膿が血管に入って敗血症を起こして死にますよ」と強めに言われる。
「そこまで重大なことなのか」と、私は実感が湧かないまま不安になった。
なぜなら、医者に「このままだとあなた死にますよ」なんて言われたことがなかったから。

次の日。
私は、クリニックから紹介された、大きな総合病院へ向かう。
受付の方に案内され、乳腺外科の待合室に入る。
待合室に入ると、中高年の方やお年寄りの方でいっぱいだった。
みんなが私を珍しい目で見る。
どうやら、私の年齢で総合病院に来るのは異例のことらしい。

2時間待って、やっと私の名前が呼ばれて診察室に入る。
主治医は若い女性の先生だった。
診察室に入るや否や、
「早速、胸の状態を診せてください」
と、主治医が言う。
私は、服を脱いで診察台に横になり、胸を見せる。
このとき、左胸の脇腹側は完全に黄色く変色し、大きく腫れあがって熱も持っていた。
先生が、エコーを使って腫れあがっているところを診る。
「これは、切開排膿をする必要がありますね」
またか。また、あの激痛を味わうのか……
最初は単純に嫌だと思っていたが、今回の切開排膿は激痛どころではないことに、この時の私はまだ気づいていなかった……

主治医と看護師は、切開排膿の準備を始める。
私の周りに、手術器具と大量のガーゼが取り囲む。
「じゃあ、まず局所麻酔からしていきますね」
と、主治医は私の腫れた左胸に何度も刺しながら麻酔を入れていく。
数日前に体験した痛みのはずなのに、初めて体験するレベルで痛い。
本当に、麻酔の麻酔をくださいと思った。
しかし、本番はここから。
麻酔が終わると、メスで患部を切開していく。
これは麻酔のおかげなのか、痛くない。
メスで切開すると、はさみの形をした器具で切開したところを奥深くに広げる。
激痛だった。これまでにないほど。
「痛かったら麻酔を追加するので言ってくださいね」
と、言われて、私は麻酔の力に頼ることにした。
しかし、麻酔を追加しても、まだ激痛。
局所麻酔は表面上には効くが、深い部分には効かないことに私は気づく。
私は強く目を瞑って、激痛に耐える。早く終わってくれと思いながら。

しかし、今回の切開排膿では、いろんな病気の可能性を消すために細胞診と針生検が行われた。
というのもあり、今回の切開排膿は長い。
細胞診では、膿が出ないと検査に出せないから、膿が出るまでひたすら胸を圧迫される。激痛。
針生検では、傷口から銃みたいな形をした針を差し込んで組織を取る。これはそこまで痛くなかったが、患部まで針を進める時に、電動ドリルみたいな音を立てるので、電動ドリルで体の内側がどんどん抉られていく感覚があり、恐怖でしかなかった。

どれほど時間が経ったのか分からない。
主治医の、
「終わりましたよ」
の一言で私は、
「やっと終わった」
と、少し安堵する。痛みはまだまだ健在だけれど。
しかし、また膿が出る可能性を考慮して、今回は切開したところを縫合していないらしい。
そのため、お風呂の時は浴槽禁止に加え、左胸に水がかかるのも一切ダメという指示が出た。
また、これから2日に1回は受診してくださいと主治医から言われる。
どうやら、本当の闘いはこれかららしい。

2日後、私は再び病院に向かう。
今日は何をされるのだろうか……という不安を抱えながら、私は診察室に入る。
まずは、診察で検査の結果を聞かされた。
「細胞診も、針生検も、異常はありませんでした。そのため、細菌による乳腺炎でも、乳がんでもありません。東雲さんは、肉芽腫性乳腺炎の可能性が最も高いです」
「肉芽腫性乳腺炎……」
初めて聞いた病名だった。
主治医曰く、肉芽腫性乳腺炎は原因不明で治療法が確立されていない病気で、罹る人が少ないため珍しい乳腺炎と位置づけられているとのこと。加えて、私みたいに出産歴も授乳歴もなく、21歳という若さで罹るのは、さらに珍しいことらしい。
これからの治療方針としては、胸のなかを洗浄する処置を行い、必要に応じて切開排膿をするとのこと。
また、ステロイドや免疫抑制剤といった薬物療法もあるが、効果が確立されておらず副作用のリスクの方が高いため極力使いたくないと、主治医は説明した。

診察後、私は説明を受けた胸のなかを洗浄する処置を行った。
これは、200mlの水が入った注射器を、先日切開した傷口に刺して水を注入しながら、胸のなかを洗浄していく処置。
このとき、局所麻酔を使わないため、傷口に注射針が刺されていくたび、切開排膿ほどではないが結構痛い。
しかも、200ml1本で終わるのかと思いきや、どんどん追加され、結果600mlの水を胸に入れられることになった。
この、地獄みたいな処置がしばらく続く。

処置のあとは、絶対胸がズキズキ痛むので、ロキソニンが手放せなくなった。
処置を受けてはロキソニンを飲む日々を繰り返し2週間が経った頃の診察で、主治医がエコーで私の胸の状態を診る。
「膿もほとんどないし、腫れも引いてきたから、これからは経過観察になります。診察の間隔も2週間に1回へ延ばしましょう。ただし、傷口はまだ縫合してないので、ガーゼの貼り替えを今までは看護師がしていましたが、今度からは東雲さんに毎日していただくことになります。あと、浴槽に入るのは引き続き禁止でお願いします。シャワー浴はOKです」
やっと地獄の処置が終わった。制限はまだまだ多いけど、良い方へ一歩踏み出せたことに、私は嬉しさを覚えた。

それから看護師にガーゼの貼り替え方を教えてもらい、処方された軟膏を傷口に塗ってガーゼを自分で貼り替える日々が続く。
その間も、エコーで塊や膿がないか、毎回診察で確認される。
経過は順調らしく、次第に診察の間隔は延びていき、1か月に1回の診察になった。

肉芽腫性乳腺炎になって半年が経った頃、
「膿も塊もないし、そろそろ傷口を縫合しようと思います。縫合した後に、もう1回受診してもらって抜糸ができたら、治療は終了になります」
と、主治医から言われた。
その話を聞いたとき、私は治療が終わることに実感が湧かなかった。
私にとって、この半年間は終わりの見えない闘いだった。
それが、やっと終わる。あと1回痛みに耐えれば、終わる。

私は、局所麻酔の痛みに耐え、傷口を縫合してもらった。
この痛みが、最後になることを願いながら。

数日後、再度受診し、何の問題もなく抜糸ができた。
切開排膿の頃からお世話になった主治医や看護師に、
「今まで、よく頑張ったね」
と、言葉をかけられる。
私は、ただ単純に嬉しかった。
今まで、終わりのない病気ばかり罹っている自分が、1つの病気の治療を終わらせることができたから。
勿論、再発のリスクはある。
でも、もう受診をしなくていいこと、これ以上痛い思いをしなくていいこと。
一時の喜びかもしれないが、今はその喜びをただ噛み締めたいと感じた。

21歳で珍しい病気に罹り、左胸にできた1㎝と3㎝の傷跡。
この傷跡たちが消えることは、恐らく一生ないだろう。
でも、私はこの傷跡たちを消したいとは思わない。
私が、肉芽腫性乳腺炎という病気と闘った証だから。


いいなと思ったら応援しよう!