写真と言語化。(FUJIFILM S5 Pro + Distagon 1.4/35)
こんにちは、写真練習家 兼 フォトパティシエ のきっちん篠山です📷
またの名を 写真美食家 日本橋ペロリ堂😋(←) といいます(?)
人形町の秘密基地に潜伏しています🏢
📷
私はこの #note の記事中で よく「言語化」という言葉を使います。
それは、自身が様々なことをイメージで記憶したり 思い出したり 考えたりしていて、言葉で説明することが苦手だからで…
その手のことを よく書いているはずです。
一方で、馬鹿長い記事を書いていたりすることから、文章を紡ぐ能力はそこそこありそうです。
いや、能力が低いから馬鹿長い記事になってしまうのか…?笑
まあ おそらく、論理的なこと とそうでないこと の差なのでしょうが、そうすると 非論理的なことは言葉で説明しづらくとも自然なような気もしてきます。
本記事では、言葉や文章、言語化、そして それと 特に写真のようなアート(表現)との関係について思考を巡らせてみたいと思います。

とある金曜日。
#川島小鳥 さんの写真集「BABY BABY(復刻版)」が届きました。
川島さんの写真が昔から好きで、写真集も結構所有していたりします。
この「BABY BABY」は、手に入れるチャンスもあったのかも知れませんが、何故かこれまでスルーしていた1冊なのでした。
それは、、改めて拝見してみて分かったのですが、たまに面白いカットはあるものの、冗長で目線カットばかりで(それは まあよいのですが)、構成も洗練されておらず…そんな風に感じたためだと思われます。
でも 世の中(?)の評価は高いのですよね。
私には あの写真集に「友達以上 恋人未満」だとか「たまらない距離感」だとか「被写体に恋しそうになる」だとか、そんな感想を持つことはできなかったのですが、、
この「BABY BABY」については、本記事の中でまた触れたいと思います。

とある土曜日。
上野公園で花見をしている人々を観察しました🌸(?)
上野公園に行ったのは、千駄木にフィルムの現像をお願いしに行く経路にあったからなのですが💦
それで フィルムを預けて、次の目的地に向かいます🚶

千駄木と本駒込の間にある とある神社。

千石付近の とある空き地。

大塚まで歩きまして、 #四文屋 大塚店 でお疲れ生です🍺(キリンラガー中瓶)




レバ🐖/アゴ(辛味噌)🐖

以前書いた話で言うと…
自分は 良い(好きな)写真かどうかを判定はできるけれど、具体的にどこがどのように良い(好み)であるとか悪い(苦手)であるとか 言語化することができない…というものがあります。
故に 人に説明することも、ましてや教えることなどできるはずもなく💦
もちろん、技術的なことであったり 一般的に良しとされていることであれば言えるかも知れませんが、それは必ずしも自分が良い(好き)と感じる方向と一致するものではないのです。
ただ だからと言って それが写真を続けていく上で大きな障害になるかといえば そんなことは無く…
ファインダーにせよ ディスプレイにせよ、目で見て判定して追い込んでいけるわけで、それさえできれば 撮影も調整も自分の好みでアウトプットを出せますし、反復することで学習(成長)も図れるわけです。

本記事の写真は #FUJIFILM の FinePix S5 Pro という 2007年発売のカメラで撮影しています📷
S5 Pro は #Nikon D200 のボディをベースに作られた APS-C機で、特徴は スーパーCCDハニカムSR PRO という ダイナミックレンジと解像感の引き上げを狙って設計されたCCDセンサーを搭載している点。
CCDセンサーならではのコクのある色味(?)もさることながら、何というか生っぽい画になっていると思いませんか?
エロいというか←
現像パラメーターは普段の写真と同じなのですよ。

ごちそうさまでした🙏

ネガを受け取りに行きましょう🚶

言語化能力と文章力、はたまたトーク能力というのは、それぞれ別の才能だと思っています。
トーク能力は特に 頭の回転や引き出しの多さ、反射神経 みたいなものでかなりカバーできるもので、人間って 耳から入ってくる情報は結構適当に流していて、自分の言葉に置き換えて解釈したりしているはずなので、多少甘くてもうまく話されると心地良く聞けてしまうのですよね。
一方で 文字情報としての文章は、一語一句ほぼそのまま解釈されてしまうため、甘いものは 甘いなと感じられてしまうと思うのです。

本郷付近の突き出る豚🐖

私はオカルトが大好物で、例えば #シークエンスはやとも 氏とか、彼は霊視ができる芸人として有名ですが、好きで #YouTube を見たりしていました。
で、彼は芸人さんですし、トーク力は抜群。
きっと面白いだろうと思って 彼の著書の1つを買って読んでみたのです。
…いえ、正確には、買って読もうとしてみたのですが、途中でやめてしまったのです。
それは あまりに内容が眉唾な感じ過ぎて笑、それでいて文調が真面目で、、芸人さんのトークとの乖離が激しくて苦痛になってしまったというか💦
これ本当に彼が書いたの?
少なくとも文章化はライターがしているよな…とか。
もし彼が同じ内容をYouTubeとかで話してくれたなら、面白く見ることができるんじゃないか? と思ったり。
やはり トークと文章は別物なんだな と感じた経験だったのでした。


確か 何でもない道端の桜の木🌸

フィルムを受け取って、帰路に就きます🚶

#蒙古タンメン中本 御徒町店 でお疲れ生です🍺(一番搾り 中瓶)

大塚から千駄木に向かう途中 腹を壊してトイレに飛び込んだくせに、辛いラーメンを投入するという暴挙。

ごちそうさまでした🙏

帰ります。

とある月曜日。
午後に出掛けました🚃

阿佐ヶ谷に行って、 #ぼてふりの四文屋 阿佐ヶ谷北口店 でお疲れ生です🍺(オリハイ)

中おち(350円)の量が戻ってきた気がします。
寒い時期は減るのでしょうか(?)

写真寄りの話で言うと、少し前に 何だか好みの写真を撮られるなーと思った方がおられまして。
その方が写真のハウトゥー本みたいなものを出されたのですよ。
その本が、、
写真はもちろん良いのですが、文章が 小学生の作文か!という思えるレベルの内容で💦
あまりに苦痛過ぎて、そっとページを閉じたのでした。
#Kindle でしたけど←
それで、失礼ながら この人 頭悪そう。。とか思ってしまいまして💧
YouTubeか何かで 喋っておられるのは見たことがありましたが、その時は ちょっとチャラい感じだな笑と思った程度で特に違和感はなく…でも文章はちょっと駄目でしたね。
彼にとって 写真は感覚的なもので、それを言葉にしたり 文章で人に説明するのは難しいものなのかな、、と。
文字なんか書かずに 写真だけ並べてくれれば良いのですけど笑


このカメラで人を撮ったことは ほぼ無いと思います。
記憶にあるのは黒歴史時代(?)
怪しいイベントでタレントさんを撮らせて頂いたことくらい。
当時は #ニコン のカメラをメインで使っていましたが、それでは出せない生々しさを感じたことを覚えています。
やはりこのカメラでは肉を撮らないと笑

ごちそうさまでした🙏

少し阿佐ヶ谷の街をブラブラしましょう🚶

本当は #串打ちくぼ田 という店に梯子で突撃しようと思っていたのですが、、
あいにく月曜日はお休みのようで💦

まあ 光が綺麗な時間帯だからいいか。

そういえば「BABY BABY」の話。
あれの巻末には 川島小鳥氏の師匠とされる写真家さんによるレビュー?あとがき(解説寄稿)?が載っていまして。
そこには、若き日の川島氏とモデルさんの関係性について書かれていたり、モデルさんが写真集(初期バージョン)が書店に並んだ頃に川島氏に送った手紙の内容が明かされていたり、間違いなく川島氏本人から情報を得て記したであろうものになっているのです。
それはずるいよ笑
まあ 解説だと思えば理に適っているし、それを読んだ上で写真集を見返せば また違った感想が出てくる可能性もあるわけですが…
かく言う私は、解説を読んだ後でも あまり感想は変わらず笑
どうにも構成が気になってしまい、深いところが頭(心)に入って来ない💦
いずれにせよ、解説を読まなければ 二人の関係性を想像することすらできなかったわけで、、言葉(解説)というものは強いのだなと思うのです。
…私が鈍いだけかも知れませんが💧


ニットなんかも このカメラは得意な気がします。
今時のCMOSセンサー機で撮ると 季節そのままで 少し寒そうな画になりそうですが、このカメラでは暖かそうに写ります(?)
まあ そういうシーンを狙って撮っているのですけど笑

猫 発見🐈

一生懸命声を掛けたり音を出したりしていたのですが、なかなかこちらを向いてもらえず💦
最後にやっと 面倒臭そうに目線をくれたのでした。
猫って人間の言葉を理解していそうだと言われるじゃないですか(?)
というより、人間が言葉と同時に発している念のようなものを感じ取っているのですかね。
そんな、人間においては退化した(あるいは遺伝子操作で消された)能力が動物には残っているとかいないとか?
…って、オカルトかよ。
いえ、言語化とか言葉とか というテーマで書いているので、そんな能力がもし人間にも残っていたら もっと楽にコミュニケーションがとれるかも知れないのになぁ と思ったりしたのでした。

帰りましょう。

東西線で日本橋まで帰りました🚃
なんだか無限遠が出ていないようで、少し低い階にピントが合ってしまっていますね。

そして #ベローチェ 日本橋一丁目店 で糖質補給🍰

とある火曜日。
新宿に行きました。

雨だと MF撮影はキツいですよね。

この店 前から気になっていたのですが、 #不二家 のペコちゃんに色々なコスプレさせているのですよね。
コロナ禍の時代は 普通に(?)マスクをさせていたり。
でも今は 酒にタバコですか…
不二家さんに怒られるんじゃないかなぁ💦

新宿と言えばの(?) 四文屋 新宿思い出横丁店 でお疲れ生です🍺(オリハイ)

この日のカシラ脂はスジが多かったです。
でも写真はジューシー👍

写真を展示する時、タイトル(キャプション)を付けたり、展示全体のキャプションやステートメントを掲示したりします。
私は鈍いので、人様の展示を見て、その善し悪し(好みかそうでないか)の判定はできても それが意味するもの 意図すること を読み取ることは困難(笑)
そんなこともあり、キャプションやステートメントをしっかり掲示してくださることは有難くて…
そして、私は 自分が展示を行う際は 自分が意図することを理解して欲しいし、でも 人が写真だけでそれを読み取ってくれるとは思えないので笑、必要以上にお節介なキャプションやステートメントをつくってしまうのですよね💦
写真集なんかも、写真だけで想いを汲み取ってもらえる自信がない(というか、人の感性を信用できない笑)から、やたらと文字を入れたくなるし…
なんなら がっつり物語を組みたくなるし💦

写真は 自分にとって表現のためのツールに過ぎない なんて書いたこともありますが、、
それは間違いなくて…私が人に伝えたいのは 自身の思いや考えであって、確実に言語化できるものなのですね。
逆に言えば、写真(画)や映像(動画)でしか伝えられないようなことを題材にすることは基本的にはないのです。
でも一方で、写真や映像だからこそ伝えられるものが存在することも認めます。
そしてそこに言葉は必要ないことも。
私は基本的に狙いはしませんが、例えば 一年に一度しかチャンスのない奇跡の風景だとか(?)、例えば 愛する人にプロポーズされて嬉しさで涙する女性だとか(?)、画でしか正確に表現することが難しいものはあります。
ざっくり括ると、ドキュメンタリー、その中でも 難易度の高い 強ドキュメンタリー(?)とでも言えるものになるでしょうか。


無駄にピン送り。

ごちそうさまでした🙏

帰りましょう。
雨なので電車で🚃

結局 新宿には ただ四文屋で飲むためだけに行ったのか?💦
他に理由があった気もしますが、、きっと 雨の日の写真も少し このカメラで撮っておきたいなと思ったのでしょうね。
おそらく生々しく写るはずだから。
…で、あまり撮っていないという笑

とある水曜日。
午前中から歩き始めました🚶
相変わらず無限遠がズレたビル。
そういえば このビルは随分前から建設していましたが、やっと外観が出来上がってきました。

日本橋一丁目。
昭和通りと永代通りの交差点付近、一等地ですよ。
#成城石井 が閉店とは…
そして、先日行ったばかりのベローチェもすぐ近くなのですが、そこも閉店してしまっていました。
ここら一帯で再開発でもあるのでしょうかね。
ちなみに 上の外観が出来上がってきた新しいビルの すぐ向かいだったりします。

そのまま南下して、東銀座。
CO-COフォトサロンに伺いました。

#平林武彦 写真展
『 #トキノアワイ 』(具象と抽象の境界)
を拝見しました。

ギャラリーの窓から昭和通り沿いの街路樹が見えます。
そして、分かり辛いですが カラスがハンガーで巣を作っています笑
そしてそして、さらに分かり辛いですが カラスはつがいで、メスと思われる個体が巣の上にいます。
オスと思われる個体が何かの木の枝を咥えているのもダンディーで良いですよね(?)

写真を撮っていたら オスと思われる個体が寄ってきて、ガン見されました💦

『トキノアワイ』は、
「写真から撮影者の作為を排除することはできないだろうか?」
をテーマにした展示。
人それぞれかと思いますが、私には、撮影時の作為を排除することにより キュレーション(セレクトや構成、展示に関わる諸々)が一層引き立つものになっているのかなと感じられました。
もちろん 全体として しっかりまとまっており、統一感のあるトーン、整った構成等々から、一切の邪念が払われ 内容に集中できる展示になっていたこともあります。
同展は 東銀座 CO-COフォトサロン にて 4/9(木)まで!(日曜休廊)
ごちそうさまでした😋(ペロリ)

『トキノアワイ』に存在する言葉は そのタイトルそのものと、テーマである「写真から撮影者の作為を排除することはできないだろうか?」のみ。
それ以上でもなく 以下でもなく。
写真に作為が無いのだから、言葉も存在するはずが無いのです。
もっとも 写真に作為が無いと言えど、撮影から後の工程(セレクト、構成、用紙、プリント、展示)は 逆に作為の塊となっています。
ただ 作為の塊となっていると言っても、そこには、個々の写真の画としての品質を高いものにするとか、全体のバランスを整えるとか、存在するのは そういった要素のみであり、言語に翻訳し得るものではありません。
一方で 展示にはステートメントと呼ぶべき文章は掲示されており、そこにはこうあります:
「カメラが捉えた現実の断片に、具象と抽象の境界に漂う、微かなゆらぎを見出す瞬間があります。」
※「あわい」: 曖昧でぼんやりとした境界を意味する古語
これは解説と言ってよい文であり、タイトルにも繋がるところかと思いますが、意地悪な私は その揺らぎの中に僅かなほころびを見い出してしまったりもしました笑
本展に向けた撮影では、テーマの実現のため 撮影者(作家本人)は 動く電車の車窓からノーファインダーでシャッターを機械的に切ることを繰り返したと言います。
絵画の世界では 具象にも抽象にも作為は存在するわけですが、本展の場合 作為は存在しないと言いつつ 実は 作為と無作為の境界を見せられているのではないかという感覚にもなったのです。
つまり、ぼんやりと「こんな写真が撮れるといいな」という期待のもとシャッターを切った(切り始めた)のではないかと見える写真が存在した ということですね。
実際はどうなのか、いずれにせよ オーディエンスは そんな視点でも楽しめる展示になっていると言えるでしょう笑

日本橋に戻るかと思えば、雨も酷くなかったので 逆方向に歩き、新橋に辿り着きました。
ということで、 #へそ新橋0号店 でお疲れ生です🍺(酎ハイ)

このタグを付けるためにオーダーしているのかも知れません笑

キクアブラ🐖/カシラ🐖

かすうどん。
ごちそうさまでした🙏

川島小鳥氏は好きな作家さんではあるのですが、あまりご本人のキャラクターを認識したことはありませんでした。
ですが 先日「BABY BABY」を購入した際に、気になって彼の講演?やら座談会?みたいなものをYouTubeで見てみたのです。
そして そこに映る川島氏は、実に言語化のできない人だったのでした笑
ふわふわとしたイメージのみで制作に取り掛かり、意志や意図もはっきりと言葉にされない(できない)。
この人は真の天才なのだなぁと思わされたのでした。

帰ったのかと思いきや、一旦(?)新橋のネカフェで休憩。

そして、同じ構図ですが これは帰宅後で笑
この日届いた超小型フラッシュを自慢(?)
#Ulanzi の SL03 ですね。

これは LEDライトも内蔵していますが、、
普通にフラッシュを焚いて撮ったり。

バウンス撮影をしてみたり。

スローシャッターで後幕シンクロさせたり。

ということで 以上です。
#対戦ありがとうございました 🙏(?)
ロケ地: 日本橋/上野/千駄木/千石/大塚/本郷/根津/御徒町/秋葉原/神田/阿佐ヶ谷/新宿/東銀座/新橋
機材: FUJIFILM FinePix S5 Pro + #Distagon 1.4/35
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