「カリスマこじらせ女子が、自分と仲直りするまでの物語」〜拗らせは、愛すべき私の才能だった〜
はじめまして、カリスマこじらせ女子の しのゆか です♪
カリスマこじらせ女子って肩書バカみたいって思うかもしれませんが、今ではとっても気に入ってる肩書💛 今日は私が、自分のことを“カリスマこじらせ女子”って胸を張って名乗れるようになったストーリーを書きます。
▼目次
1.カリスマこじらせ女子、爆誕
カリスマこじらせ女子なんて言うと、笑われるかもしれないし、バカにされるかもしれない。もしかしたら、冗談に聞こえるかもしれないけど、でも、これは過去の私へのリスペクトでもあります。
人の顔色ばかりを気にして、本当は言いたいことがあっても飲み込んでしまう。 誰かの実績を見ては「私には何もない」と感じ、何もかもが劣っているような気がしてくる。
優しくされても、素直に受け取れない。「どうせ裏があるんでしょう?」と、どこかで相手を疑ってしまう。
一見、しっかりしているようで、心の中はいつも孤独と不安に押しつぶされそうな私がいた。その心の不安定さが怒りという形で、自分でも予期せぬタイミングでドッカンドッカンと爆発するように、いろいろなところで怒りを爆発させて場所や相手をわきまえずにトラブルを巻き起こしてました。
それでも私は、その「こじらせていた自分」を嫌いになれない。
むしろ、健気に誰よりも一生懸命生きてたって胸を張って言える。 本当は誰よりも優しくて、繊細で、愛情深かった。 ただ、それをどういう風に、どこに向けていいのかがわからなかっただけ。
だからこそ、 拗らせこそが、私の魅力だったって思うし あの時の痛みが、誰かに届く言葉になる。 そして、 一人で苦しみぬいたこじらせてた時間が、誰かの孤独にそっと寄り添える強さになったと信じています。
2.夫と娘との関係をこじらせてた日々
今思えば、夫は本当に優しくて穏やかで、いつも私を尊重してくれてた。
なのに当時の私は、心の中がいつもモヤモヤしてて、
ちょっとしたことで理屈をこねくり回して責めてた。
「なんで私ばっかり家事も育児もやってるの?あなたも父親でしょ?もっと自分から動いてくれる?」
「私がどれだけ我慢してるかわかってる?」
「なんでそんなに気が利かないの?」
…そんな“正論”で相手を追い詰めることに快感すら感じてたし、
相手が黙ってた時は、心の中でガッツポーズをして『勝った』とか思ってた。
自分の感情をちゃんと感じる余裕もなくて、
本当は寂しかったり、ただ話を聞いてほしかったし、
疲れてる私を労ってほしかっただけなのに、それを素直に伝えることができなかった。
「甘える=負け」
「弱みを見せたらつけ込まれる」
そう思ってたから、気づけばいつも戦闘モードだった。
その矛先は、娘にも向いてた。
誰からどう見られても“すごい娘”に育てなきゃって、勝手にプレッシャーをかけて、
子どもの同級生と比べては落胆して、
「うちの子、なんでこんなこともできないの?」って焦って、
勉強や習い事を無理やりやらせようとしてた。
比べる対象は、クラスの子どもどころか、世の中の子ども全員。
「この子は〇歳でこれができた。でもうちの子は…」って、
娘の現在を見ずに、理想の未来像だけを追い求めてた。
今ならわかる。
子どもの成長には個人差があるし、全部の分野で一番なんてありえない。
仮にできたとしても、面白みのない人になるだけだし、
そもそも子どもの人生は“母親の自己肯定感の代替品”じゃない。
でも当時の私は、そんなことにまったく気づけなかった。
「ちゃんと育てなきゃ」
「周りからバカにされたくない」
「娘が失敗したら私のせいになる」
そんな恐れと不安に支配されてて、それが“愛”だと思い込んでた。
娘はただ笑って、安心して、のびのび過ごしたかっただけなのにね。
3.再出発のきっかけは”責められた側”の違和感
そんな日々の中で、私が本格的に“自分と向き合う”きっかけになったのは―
娘に、責められた時だった。
ある日、洗い終わったお皿をタオルで拭いてるときに、手がすべって落として割ってしまった。「あ…やっちゃった」って思ってショックで、ちょっと凹んでた。
その時、娘が「ママがちゃんと持ってないから割れちゃったんだよ‼」って怖い顔して言ったんだよね。
その言葉に、胸がズキッとした。
え…なんでこの子は、私を責めるの?
一番ショックを受けてるのは、私のはずなのに…。
その瞬間、ダメだししてくる娘が自分に見えて、「あ、私だっ。」って思った次の瞬間、もしかしたら、娘がいつもオドオドしてるのは、私のせいなのかもしれないって思った。
そう思ったら、なんかもう、膝から崩れ落ちそうになった。
このままじゃダメだ。
私は、自分を変えなきゃって、心から思った。
4.「失敗から学ぶ」その一言が教えてくれたこと
子育て本、自己啓発本、誰かのエッセイ…ひたすら本を読みまくった。
最初は「うんうん、いいこと書いてる!」って思うんだけど、途中からなんか心がスッと離れてく感じがして。
「あー、またキレイごとね」「それができないから困ってんのよ」って、勝手に線を引いてた。
今思えば、書いてあることは全部“本質”だった。でも当時の私は、その本質を受け取れるほど自分の器が育ってなかった。こじらせレベルMAXで、どんなに正しい言葉も、フィルターかけてねじ曲げて受け取ってた。
だから「この人の本好き!」って思っても、数冊読む頃にはお腹いっぱい。
読むだけで“変われた気”にはなるけど、現実は全然変わらなかった。
そんな私にとって、希望の光になったのが…イギリスで子育てを終えた先輩ママたちとの出会い。
当時娘は7歳くらい。
でも彼女たちの娘さんたちは、すでに成人して社会人になってて、「子育てって、こういう視点で見られるようになるんだ…!」って思わせてくれる余裕と、リアルな体験談に裏打ちされたアドバイスをくれた。
その頃の私は娘が自分の言うことを全然聞かないことに悩みまくってた。どんな風に声をかけても、いくら私が怒ろうとも全く娘は自ら勉強しようともしなかった。
「なんで言うこと聞かないの。私はアナタのことを思って言ってるのよ‼」って気持ちをそのまま先輩ママに伝えて返ってきた言葉に衝撃を受けた。
「子どもって、親がどれだけ頑張っても、結局は自分で失敗して、痛い経験をして学ぶしかないんだよ」
「えー、どういうこと‼私が何を言ってもムダってこと?将来のことを案じて伝えてあげてるのにー」って思ったんだけど、「それも一理あるよなー。経験しないことはわからんもんなー」とも思った。
私はいつも娘に口出しばかりしてた。
「宿題したの?」「明日の準備は?」「ちゃんと練習したの?」
言いたくないのに、気づいたら口から飛び出してる。頭ではわかってる。
子どもは失敗しながら学ぶんだって。
でも、言わずにはいられない。
…なんで私はこんなにも娘に口出しをしたいんだろう?
そう考えて、やっとわかった。
私は、娘には自分と同じ苦労をさせたくなかったんだ。
“同じ痛みを味わってほしくない”って、本気で思ってた。
でも、ふと問いが湧いた。
「私と同じような人生を娘が歩んだとして、それって本当に“不幸”なことなの?」
そう思った瞬間、不思議と涙があふれてきた。
だって、私はその時すでに幸せだったから。
誰かに自慢できるような肩書も、特別な才能もないかもしれない。
でも、心から安心できる家があって、愛する家族がいて。
5.自分と向き合い始めた日々とかわっていく現実
娘との長い長い格闘の日々が落ち着いたとき、自分の経験を書き残しておきたいと思うようになってブログを始めた。まだ“内観”なんて言葉も知らなかったし、
「感情に向き合う」なんて概念もなかった。ただ、あの頃の苦しかった出来事や胸の内を、ありのまま書いた。
何があって、どう感じたのか。
それだけ。
そしたら不思議と、少しずつ気持ちが軽くなっていくのを感じた。でももちろん、そんなことで人生が劇的に変わるわけじゃない。だから、私はプロのコーチの力を借りることにした。
6.自分の感情を人生のナビにして生き直す
そこで教えてもらったのが、
**「感情こそが人生の道しるべ」**ってこと。
頭じゃなくて、心。
正しさじゃなくて、感情。
そこから、私はひたすら自分の感情と向き合っていった。
イライラしてる時は、「私は何を感じてるの?」「それはなんで?」って、感情を分解して、言葉にして、感じて、書き出した。
当時はとにかく怒りに支配されてた。一日中、何かにイライラしてて、
“怒りに取り憑かれてる自分”のことを、自分でも「頭おかしいかも」って思ってたくらい。
でもね、怒りは、自分を守るために湧いてくる感情だって教えてもらって、私はやっと、自分が怒ってることを許せるようになった。
怒ってる自分を否定せず、
「この怒りは、私の中のどんな声を守ってくれてるんだろう?」って、丁寧に見つめていった。
それを何度も何度も繰り返していくうちに、
あんなにイライラしてた毎日が、嘘みたいに穏やかになっていった。
夫とも、思春期に入った娘とも、
たわいもない会話でゲラゲラ笑えるようになった。
会社の人間関係も、自然とラクになった。
「誰がすごい」とか「誰が正しい」とかじゃなくて、
**“すべての役割の人がちゃんと必要とされている”**って思えるようになって、自分の仕事に集中できるようになったんだよね。
7.こじらせは、愛すべき私の才能だった
書き続けてたブログやSNSで”こじらせてる思考”を全開で開示してる中で、「めっちゃわかるー自分のことみたいだった」、「こんな風に考えればいいんだねー」ってコメントを次々ともらうようになって
**「あれ? 私、もしかして“こじらせてた過去”があったからこそ、今こんなに人の気持ちがわかるようになったんじゃない?」**って思うようになった。
だからこそ、“こじらせてた私”は、私のダメな過去じゃなくて、
“今の私をつくってくれてる大事な私の一部”だと思えたんだよね。
そして、そんな過去を持つ自分をむしろ誇らしく語れるようになってた。それって、もはや“カリスマ”じゃない?って思ったの(笑)
誰かの理想をなぞった生き方じゃなく、ちゃんと自分のドロドロを味わって、自分だけの答えにたどり着いたから私は、「カリスマこじらせ女子」って名乗ることにしたの💛
