できてるつもりでできていないのが小学校の内容
中学受験を経た親子の中には、「小学校の内容は受験の際にみっちりやり込んだから復習する必要はない、すべて頭に入っている」と思い込んでいる人が少なくない様子。これは、トップレベルでない中高一貫校や塾でもそうした考え方をする指導者が少なくないようで、「小学校の内容はすべて理解できている」前提で授業を組み、膨大な課題を与えてしまうところが多い。でも、それがために、本来なら伸びるはずの学力が伸び悩んでいるケースがかなりあるように思う。
私は小学1年生から学習しなおす作業を、中学生のころに数回、高校に入ってからも2回はこなした。何なら大学に合格してからでも一度通しでやっている。お恥ずかしいことだけれど、そのつど「忘れてた・・・」「あれ?そういう意味だったの?」「こんな難しいこと習っていたんだな」と新たな発見があって驚いた。もしその作業を怠っていたら、京都大学に合格することはあり得なかっただろう。
私は中学2年の終わりまで成績が悪かったから、小学校の内容でもできていない箇所が多い自覚があった。だからやり直す気にもなったし、複数回やり直してもなお「あれ?怪しい気がする・・・」と思って小学1年生からやり直すと「やっぱり、理解があいまいなところがあった、やり直してよかった」とそのつど思うハメになった。
小学校の時に優等生だった同級生は、小学校では100点ばっかり取っていたような子たちだから、「小学校の内容で理解できていないところなんかあるはずがない」と思い込んで、小学校の内容から復習するということがまずなかった。そうした学生は、高校で伸び悩んだ。そりゃそうだ。建物でいえば、基礎固めをしっかりしていない場合、基礎が凸凹になって、上の建造物も歪み、倒壊してしまう。基礎がしっかりしていないと、中高の内容を習得することはできない。小学校の内容を侮って復習しないために高校で伸び悩む同級生が多かった。私との違いは「小中学校の内容を何度も復習したことがあるか」だったと思う。私よりも理解力も応用力もあった同級生たちが、旧帝大レベルの学力にまで引き上げられなかったのは、小中学校の内容まで復習しようとしなかったことが大きかったように思う。
さて、ここで問題が。トップレベルではない中高一貫校の多くは、小学校の内容から総ざらいするヒマを与えない学校が多いらしい。自称「面倒見のいい学校」の多くが、毎日膨大な宿題や課題を与え、それをこなすだけで精一杯にしてしまう。とても過去に習った内容を復習するゆとりを与えない。それが中学1年生から高校2年生の終わりまで続く。そんな環境に置かれると、多くの子どもは次のような状態になってしまう。
・理解しきれない部分をそのままにして次の内容に進んでしまうので、「できない」部分を放置することになる。
・「できない」がそのままになるので、次にそれを高度化した内容に進むと、全く理解できなくなる。
・成績が伸び悩んで自信を喪失する。
・毎日の課題の多さに辟易し、気力を失う。
・高校2年生の終わりのころにはすっかり勉強嫌いとなり、できていないところ、理解できていないところをやり直す気力がどうしても湧いてこない。
・先取り学習ばかりやってきて、知識の穴を埋めるという作業を行う習慣が失われているため、ついつい新しいこと、新奇な知識ばかり求めて、基礎がおろそかとなり、学力向上が頭打ちとなる。
次の記事は、エセ「面倒見のいい学校」が、膨大な課題を子どもに与えることで、かえって子どもの可能性を潰している話がしっかりとまとめられている。
「面倒見のいい学校」という最悪の褒め言葉
https://note.com/hibino_kou/n/nbd1f49587269?sub_rt=share_sb
こうしたエセ「面倒見のいい学校」は、中学受験が終了した途端、大量の宿題を与える。親は「こんなに課題を出してくれて、なんて指導熱心な学校なんだろう!」と勘違いする人が多いようなんだけれど、私はむしろ「課題を大量に出せば仕事をした気になっているサボリーマン」という印象を強くする。それぞれの子どもの課題を見極めようとせずに、大量の課題さえ与えれば仕事した気になるというのは、指導者として私は失格だと思っている。面倒見がいいどころか、面倒見たくないから課題を大量に与え、こなせなければ「自己責任」として見捨てる。いったいこんな指導体制のどこが、面倒見よいといえるのだろう?
私の塾には、高校生にもなって分数もできない子が来た。で、分数からスタートさせようとすると親御さんから「小学校の内容はいいから、高校の授業についていけるように指導してほしい」と依頼された。私はその親御さんに「小学校の内容をおろそかにして高校の内容を理解できるはずがないし、点数を取れるはずもありません。小学校の内容が土台となって中学の内容が理解でき、小中学校の内容が理解できて初めて高校の内容が理解できます。」と説明したが、高校の成績が赤点ばかりで2年生に進学できるかどうかも危うい中、小学校の内容からやり直して間に合うのか?と親御さんは焦っていた。
「焦っても仕方ないです。基礎がダメになっている建物は、基礎からやり直す必要があります」と言っても、まだ納得いかなさそう。で、「何より、私自身が中学生、高校生になっても、小学校の内容をやり直していました。小学校の内容って、私でも難しかったんですよ」と言って、初めて納得してくれた。京大生でも小学校の内容からやり直すのか、と知って、ようやく「そういうものなのか」と思ってくれたらしい。
その子は、小学3年生で習う分数と、中学生で習う因数分解でひどく苦しんだけれど、小学1年生から中学3年生までの内容を9か月くらいで終えることができた。すると面白いことに、中学校までの学習内容をやり終える少し前くらいから、高校の授業もよく理解できるようになり、高校の成績はグンと上がった。急がば回れ、とはこのこと。
私の塾には、公立中学で偏差値が50に届かない(30台の子もいた)子どもが多く来ていたけれども、小学校で躓き始めた内容にまでさかのぼって学習しなおす、ということをしたら、どの子も平均以上の成績に向上させることができた。この経験から、私は、多くの子どもが勉強で躓いているのは、習得不足の部分を小学校や中学校の内容で残したままだからだ、と考えている。私の考えでは、公立中学校で当時偏差値64未満なら、小学校で習った内容のどこかで「わからない・できない」部分が残っている。つまり、ほとんどの子が小学校の内容で積み重ね損ねた部分を残していると私は考えている。
入塾した子どもに「小学校の内容をやり直すよ」というと、たいがいうんざりした顔をする。そうでなくても勉強しろと親から言われ続けて辟易しているし、それなのに6年もかけて習った内容をやり直すなんて、もう一度6年かけて勉強しろって言われた気分で、気が遠くなってしまうらしい。
でも試しに小学1年生の算数の教科書を読ませてみると「あれ?当時はすごく難しいと思っていたけど、簡単?」と気がつく。2年生の算数も苦労せずに読み通せる。分数の苦手な子は、3年生のあたりから少し立ち止まるのだけれど、それでも1年生から読み通していくと、流れが理解できて、次に何を教えようとしているのかがわかるようになる。そうして復習をしていくと、6年かけて習ったはずなのに、数か月で一通り復習を終えることができてしまったことに驚く。「それだけ君が成長していたってことなんだよ。小さい頃は難しくて理解できなかったかもしれないけど、年を取って経験を重ねて、理解力が増しているんだよ」と伝えると、嬉しそうにうなづく。「できる」と「できない」の境界線にまでさかのぼって学習しなおせば、自分でも理解できる、という自信がつく。
実際、中学生になってから小学校の内容を復習しなおすのは、かなり早くに終えることができる。6年かけて習ったこととはいえ、一応はすでに習ったことではあるし、何より、経験の蓄積が理解力を高めているから、小学生だったころとは理解のスピードが違う。「うわ、1年生から6年生まで、6冊も教科書がある・・・」とうんざりしていたはずなのに、「比較的短期間に、6冊もの内容を復習し終えることができた!」というのは自信になるようで、以後の学習意欲が全然違ってくる。何より、それまでちんぷんかんぷんだった中学校の学習内容についていけるようになる。
私はそうした指導体験から、先回り学習よりも、「できる」と「できない」の境界線にまでさかのぼり、穴のないようにみっちり固める学習をお勧めしている。この方法は、結果的に旧帝大クラスの学力を身に着けるのに近道だと私は考えている。けれど、エセ「面倒見のいい学校」はそのゆとりを与えず、膨大な宿題・課題を与えることで時間を奪ってしまう。結果、伸びるはずの力も伸ばせずに終わらせてしまっているケースが少なくないように感じている。こんな状況を継続している学校が、果たして「面倒見のいい学校」といえるだろうか?
私が考える、真の意味で「面倒見のいい学校」は、むやみに膨大な宿題・課題を出すように迫ることなどなく、その子が苦手としているところ、理解がアヤフヤな部分を突き止め、その穴を埋めるゆとりを十分確保し、その作業をするように上手に生徒に勧めることで、着実に学力向上へと導く学校のことだと思う。でもエセ「面倒見のいい学校」は、課題を大量に与え、生徒の理解など置いてけぼりで授業をどんどん進行させてしまう。これ、トップクラスのごく一握りの生徒を除いて、多くの生徒には害悪の進め方だと思う。
上記で紹介した記事を参考に、本当に「面倒見のいい学校」を見極め、エセ「面倒見のいい学校」を避けたほうがいい。課題を大量に出す学校がいい学校、だとは、私にはとても思えない。
