観察し、話を聞き、自らを優れてるとは考えない力
「優秀な人だけ先が見えていて、大多数は見えていない、優れた人が引っ張っていかねばならない」という意見を述べる人がいた。でも私が思うに、そうした人は、他人の意見を聞かずに自分だけが優秀だと勘違いしてる「夜郎自大」な人だと思う。人間って誰もが、何かしら優れた面を持っているもの。
夜郎自大とは、夜郎国という小さな国の王様が、大帝国中国よりも大きい国だと勘違いしていた話から来ている。自分を万人よりも優れた人間だと考えることができるのは、他人の話を聞かず、他人を観察することもせず、自分のほうが優れているかに見える事実のみ拾って自分を慰めてるだけだと思う。
いざ話し込んでみると、皆さん意外と先進的な意見を持っていることに驚かされる。誰も聞かないから言わないだけ。夜郎自大な人に言ってもどうせ自分の意見のほうが優れてるとたかをくくるからムダだと思って話さないだけ。心をこちらから開き、相手の意見に耳を傾けてみると、出てくるわ出てくるわ。
また、自分のほうが優れていると勘違いしてる人は、観察ができていない。観察とは、「自分の知らないこと・気づかなかったことを探す」こと。ところが、自分を優秀と勘違いした人は、自分の優秀さを証明する事実しか見ようとしない。自分の見たいものしか見ようとしない。事実上見えていない。
夜郎自大は、他者を観ようともせず、話を聞こうともしないことから生まれる。自分は万人よりも優れている、というストーリーを補強してくれる事実だけを探し、それを見つけてはホッとする。自ら夜郎自大になりにいってる人、それが「自分は優秀」な人なのだと思う。
一般庶民でしかない、というか、ほぼヤクザでしかなかった劉邦が天下を取れたのは、自分のことを優れているとは考えなかったからだと思う。自分にない才能を他者に見いだし、喜んだ。だから張良、蕭何、叔孫通、樊噲、韓信など、実に多彩な人材が有機的に機能し、天下統一に寄与することになった。
これに対し項羽は、間違いなく万人に優れていた。事実として優れていた。負けることの多かった劉邦軍と違って、戦えば必ず勝った。知力、武力、いずれにおいても項羽は優れていたと言える。ところが項羽は一瞬天下を取ったかに見えたが、結局劉邦にとって代わられた。なぜか。
「自分だけが優秀」だったからだと思う。范増という優秀な軍師もいたにも関わらず、項羽は肝腎なところで意見を聞かなかった。自分の思い通りにした。これでは部下は腐ってしまう。実際、范増は腹を立てて項羽のもとから去ってしまう。「自分は優秀」と考える人のところに人材は残らない。
「自分は優秀」と考えるリーダーのもとには「その通りでございます」と、プライドを捨てて相手にすり寄る人間しか近づかなくなる。「裸の王様」化、「夜郎自大」化がますます進む。「自分は優秀」という認識は、自分を愚かにしていく素晴らしい戦略。
他方、劉邦なんかは、まずい判断をしそうになった時、左右にいた部下二人から足を踏んづけられている。項羽にそんなことしたらあっという間に斬殺されていただろう。しかし劉邦はそれにより自らの愚かさを悟り、方針を転換する。自ら愚かさを知るからこそ、優れた部下が育つ。
ちなみに、その劉邦でさえ、皇帝になると愚かになっていった。唯一無二の存在に変わり、誰もたてつくことができなくなると、愚かになってしまうのかもしれない。
先祖である劉邦のその失敗を学んだからか、子孫の光武帝は、自らの愚かさを忘れないように気をつけた様子。
光武帝は皇帝になってからもお忍びで外出することがあったけれど、部下から「門限です」と、城から閉め出されたことがある。城の外から「入れてくれよ」部下「ダメです、皇帝であろうとルールはルール」とやりとりする滑稽な場面があったらしい。部下の優れた面を認める人物であることを窺わせる。
自分に足りないものを自覚し、自分にない優れた特徴を他者から見いだす。そうした人は、周囲から才能を引き出し、集団としてのパフォーマンスを活性化させる。天下を取るまでの劉邦、光武帝、劉備らは、そうしたリーダーだったのだと思う。
劉備軍の使者として簡雍という人物が敵軍に派遣された。ところがこの簡雍、劉備の悪口を言うばかりでなく、何なら劉備軍の弱点まで話してしまう。敵軍の将は呆れ、「いったいあなたは何をしにきたのか?」と問うと「オレは劉備の友達だが部下ではない、オレの好きにさせてもらう」と言い放った。
呆気に取られてるうちに簡雍は去っていった。敵軍の将は「どう思う?」と、友人の将に尋ねた。「あんなに平気で物言える人間を、劉備はそばに置いてるんだな」と答えた。二人は降伏することにした。そんな懐の深い劉備のもとなら、降伏してもひどい扱いは受けないだろう、と考えたから。
軽口、悪口も平気で言える部下との間柄。だから光武帝や劉備は皇帝になることができたのだろう。リーダーが優れてないから、組織が優れた状態になる。リーダーが自分を優れていると考えるから、組織が愚かになっていく。皮肉な話だが、そういったことがあるということを、頭に入れたほうがよいと思う。
孔子がとある国の宰相のとき、弟子の子皐(しこう)は裁判官として、ある男を足切断の刑に処した。
ところが孔子一行が狙われる事態となり、逃げ道を失い、絶体絶命に。すると足切りの刑を受けた人物が逃亡の手引きをし、孔子一行を国外に逃がしてくれた。
子皐は「私はお前を足切りの刑にしたのに、どうして私たちを助けてくれたのか」と尋ねた。すると男は「私が足切りになったのは、犯した罪が罪ですから逃れられるものではありませんでした。しかしあなたは私の事情をよく聞いて、何とか罪を軽くできないかと悩んでくださった。その返礼です」
話を聞こうとした、理解しようとした、そして努力しようとした。そうした人のためになにができるか、考える。これは人間の本能に染みついた習性だと思う。子皐は自分を「優れた人間」とは思わず、相手が罪人でも「もし自分だったら」と考えることのできる人だったから、他人の力を引き出せたのだろう。
人の話を聞くこと、相手を観察すること。それができている人は、自分を変に「万人に優れている」などとは自認しない。自分にないものを他者から見つけ、それに驚き、感心するだろう。それが他者から力を引き出すのだと思う。
