工藤勇一氏とそれを批判する後継校長について

〈麹町中学校元校長の工藤勇一氏の学校運営を、後継の校長が「荒れている」「無秩序」と批判する著書を出した件について〉

この話、子産と子太叔を思い出す。
https://x.com/i/status/2086098201107710333

子産は非常に寛大な国家運営をうまく行った人で、その後継者となった子太叔も子産の真似をしようと考えていた。しかし、子産は「寛大な政治は難しい、厳しい政治をしないと国を治められないだろう」とアドバイスし、死んだ。

そうは言っても子産の政治の素晴らしさを知っていた子太叔は、子産と同様、寛大な政治を続けようとした。ところが反乱が勃発、寛大な政治では治まらないと思い知り、子太叔は厳しい政治に切り替え、治安を維持したという。

工藤氏の学校運営法は、恐らく後継の校長には荷が重かったのだろう。はっきり言えば「器じゃなかった」のだろう。子太叔は子産ほどの器でなかったため、寛大な政治を行うことができなかった。けれど厳しい政治なら器が小さくても行える。子太叔は早々に自分の器の小ささを自覚し、厳しい政治に切り替えたわけだが、工藤氏の後継の校長も、自分の器の小ささに合わせた学校運営に切り替えたということだろう。

問題は、後継の校長は子太叔のような、自分の器の小ささを認める謙虚さはなく、工藤氏の学校運営を批判したところにあるように思う。子太叔は自分の器の実物大を認めるだけの器の大きさがあったが、後継校長はさらに器が小さかったのだろう。自分が正しく工藤氏が間違っていたと主張することで、自分の器の小ささを否定したかったのだろう。まあ、そんな器の小ささでは、確かに厳しい運営でなければ学校を治めることは不可能だったろう。

出版社が扶桑社ってところが興味深い。この手の人たちは民主主義が大嫌いで、「支配者の思い通りの支配」が大好き。支配者以外の人間が口を利くことは許さないという狭量さ、という特徴がある。私が不思議なのは、昔から帝王学というのは、耳に痛いアドバイス(諫言)を聞き入れるのがリーダーの資格、とされているのに、なぜかこの手の人たちは、耳に痛いことは聞きたくない、自分に忠告する奴は許せない、という心象をお持ちらしい。

なんとなく感じるのは、自己肯定感の低さ。自分の強さ、すごさを認めさせようとする傾向が強い。幼い頃に、ダメな自分、みっともない自分でも愛され、認められた経験が欠如しているのだろうか。いい大人になっても自分の強さ、すごさを他人に認めさせないとナメられる、という気持ちが強い傾向を感じる。

後継校長は、あくまで私の想像に過ぎないのだけれど、「他人を自分の思い通りに動かさないと気がすまない」タチではないだろうか。もしそういうパーソナリティなら、工藤氏の「教師や生徒に委ねる・任せる」という運営手法は、自分のやりたいこと(相手を支配し、思い通りに動かす)が全くできないため、自分の言うことを聞いてもらえない状態を「荒れている」と表現したくなるのも無理はない。だっていうこと聞いてもらえると思えないんだもの。

工藤氏の運営は、現場の教師や生徒が自ら考え、動くのを喜ぶもの。ただし、教師や生徒たちだけでは解決が難しい問題が出てきたら、素早く対応していたはず。工藤氏は問題が起きれば自分が対応する、という姿勢を貫くことで、教師や生徒は安心して自分で考え、行動できたのだろう。問題が起きれば工藤氏が乗り出してくれる。その安心感があるから、教師も生徒も節度ある行動を取れたのだろう。しかし。

後継校長は恐らく、問題が起きたら自分が責任を持って対応するのではなく、「なんでお前らそんな勝手なことをしたんだ!俺のいうことを聞かないからそんなことになるんだ!」と他責するタイプだったのではないか(何の根拠もありません)。工藤氏なら、問題が起きたときこそ校長の出番、と捉えていたろうが、後継校長は「問題が起きて自分のせいにされてはたまらない」と、教師に問責するタイプな気がする。そもそも、工藤氏の業績を否定するような本を書く時点で相当他責的だな、と感じる。

こんな性質だとすれば、工藤氏のやり方をまねられるはずもない。自分の器の小ささに合わせて、厳しい学校運営を取らざるを得なかっただろう。工藤氏と器が違いすぎる。ある意味、同情する。

さて、私の関心は別にある。「どうしたら工藤氏のような器の大きい学校運営を継続できるのか」という点。

工藤氏と同様に評価の高い木村泰子先生は、大阪の大空小学校の校長を勤め、どんな個性の子も受け入れる包摂力の高い学校を実現し、他校の不登校の子らがこの学校に転校してくるという状況まで生まれたことで知られる。しかしこの大空小学校も、木村氏が校長を退任したあと、「普通の小学校」に戻ってしまったという。リーダーが変わってしまうと文化まで変わってしまう。これはいったいどうしたものか?

工藤氏も木村氏も器が常人とは違い、他の人物ではマネできないのだ、というのでは、「優れた人物がリーダーになる」という偶然でしか組織を改善できないことになる。子産は後継者の子太叔に「寛大な政治」を引き継ぐことはできなかった。結局、優れた政治は優れた人物が登場するという偶然に頼るしかないのだろうか?

ここで私は、京都大学の熊野寮を思い出す。実は学生時代は怖くて熊野寮に足を踏み入れたことがなかった。だから熊野寮で講演してくれ、という話が来たとき、普通だったら断っていたと思う。しかし。

熊野寮の「給食のおばちゃん」と自称する女性とのやりとりで、この人は信頼できる、と感じ、その人が「あの子たちは誤解されています、ほんとうに気持ちのよい若者たちなんです」と熱心に説く様子を見て、引き受ける気になった。

で、熊野寮に入って驚いた。学生たちが「自治」してる!しかも1960年代に寮が始まって以来、学生たちだけで寮内の運営を続けている。「大人」の手を一切借りずに。

私は学生に質問した。「ほら、中核派とか、過激な学生運動してる連中も寮にいるでしょ。だから熊野寮のイメージが悪くなる。彼らを排除すれば熊野寮のイメージはガラリと変わるのでは?」と。

すると、寮のリーダーは「熊野寮には、親からの経済的支援を一切受けられずにいる学生もいます。彼らの就学を可能にするためにこの寮はあります。もし政治的な理由で排除し始めれば、何を基準にして排除するのか、歯止めが失われます。貧しい学生の就学機会を守る、という熊野寮の使命を損ないたくないんです」と説明してくれた。

熊野寮の寮費は格段に安い。熊野寮なら、学生であってもアルバイトで学費を稼ぎ、生活していける。その使命を果たし続けるためにも、どんな学生も排除しない、という使命を捨てない、という運営が、リーダーが何十回と入れ替わってもなお続いているという「奇跡」に、私は感銘を覚えた。

麹町中学校も大空小学校も、リーダーが変わったらあっさり文化が変わってしまう。しかし熊野寮は「自治」という、学生たちが徹底議論して決める民主主義的な運営を数十年にわたって継続できている。この違いはいったいどこから来るのだろうか?

熊野寮を例にとるとどうしても学生運動のイメージに引きずられて極端な例と取られかねないのが残念だが、数十年にわたって、リーダーがどれだけ変わっても民主的に組織を維持できるという事例としては、かなり興味深い。

私は、リーダーが変わっても組織の文化が損なわれないようにするにはどうしたらよいか?に強い関心がある。

私の子どもたちがお世話になった育児支援室も、そのリーダーの方がほんとうに素晴らしくて、保育士・幼稚園教諭の実力の高さを思い知ったのだけど、あいにく室長が交代すると文化が変わってしまった。親の不安に寄り添い、子どもたちが楽しく過ごせて、地域の中学生たちも赤ちゃんと触れ合える時間を過ごすなど、もう素晴らしいとしか言えない運営がなされていたのに、リーダーが変わった途端、良くも悪くも「普通」になってしまった。

素晴らしい文化が出来上がったとき、それを組織として維持するにはどうしたらよいだろう?リーダーの「器」に左右されているようでは、器の小さなリーダーに変わった途端に文化が変質してしまう。熊野寮のリーダーが数十年にわたって器の大きい人間ばかりだったとは考え難い。リーダーが変わろうと、組織の文化が失われない「装置」があったはずだ、と思う。

私が思うに、「リーダーの選ばれ方」に大きな理由があるように思う。熊野寮のリーダーはどうやら、熊野寮の使命である「貧しい学生の就学機会を奪わない」、と、「そのために徹底した議論で寮の自治を守る」の2つを全うできる人が選ばれるらしい。

リーダーは、それらの使命を果たせているかどうかを監視し、それが危ういときには「それでよいのだろうか?」と、寮生たちが発言しやすい空気を守る役割を果たせる人が選ばれるらしい。

しかし、学校の校長先生となると話が違う。少なくとも、現場の教師や保護者たちに校長を選ぶ権利はない。校長の任命権は地域にない。そこがおそらく、致命的な欠陥なのだろう。

では公立の小学校や中学校の校長先生は誰が任命しているかというと、教育委員会。教育委員会のメンバーは誰が任命するかというと、 その自治体の長。市立なら市長が任命することになる。市長はその市に住んでる市民が選ぶから、かろうじて、民主的に教育委員会も校長先生も選ばれている、という格好に、理屈上はなる。しかし仕組みとしては「縄のれん」のようなもので、校長先生とその小中学校の地域住民との関係は、かなり迂回した、迂遠なものと言わざるを得ない。

明治時代に小学校が建設されるようになった時代って、地域の人たちがお金を出し合い、自分たちで校舎を建設したところも多いという。オラが小学校にはできるだけいい先生に来てもらおうと運動もし、先生が来たら歓迎会を開いて親睦を深めたりしたという話も聞いたことがある。昔は、小学校の校長先生と地域住民との距離はとても近しいものだったのかな、と思う。

ところが、今の校長先生は教育委員会が任命したということで、落下傘で降りてくる。そして前校長がどれほど評判が良くても、自分のやり方と違うなら徹底してそれを攻撃し批判し、自分色に学校を染め上げようとしてしまう。

しかもそうした学校運営は「民主的に選ばれた」とする教育委員会と校長先生によってなされる。しかしこの状況を「民主的」と呼んでいいのかどうかは疑問が残る。ほら、伝言ゲームだって、挟まる人数が多ければ多いほど正確に言葉が伝わらないでしょう?自治体の長、そして教育委員会が挟まっている時点で、すでに民主の色は希釈されてしまうし、そもそも市長は教育だけを理由にして選出されていないから、他の利害で相当に教育に関する民意が反映されなくなってしまう。それに、市長は教育に詳しくないのが普通だしね。

それに日本の場合、市長のような自治体の長は権限がそれなりに大きく、その世界では王様として振る舞うことができる。となると、自治体の長は、選挙民の前では腰が低くなるけれど、いざ就任してしまうと独裁者のように振舞ってしまうケースが少なくない。そんな人に任命された教育委員会や校長先生が、独裁者的気質を持ちがちなのは無理もないことだと思う。

つまり、言葉の上、表面的な論理の上での「民主的」とは裏腹に、教育委員会やそこで任命される校長先生は、独裁者的気質を多分に持ち合わせる恐れがあるということになる。理屈上の「民主的」と、実態との間にはかなりの距離が出てしまう可能性が十分にある、ということは、我々が認識する必要があるように思う。

私はスウェーデンの小学校を視察させてもらったことがある。その小学校では、保護者も子ども達も学校の先生も一つの部屋に集まって、学校の現状とこれからの方針について話し合っていた。その場では子どもたちも保護者も先生も自由に発言して意見を述べていた。こんな運営なら、校長先生の一存で独善的な運営することは不可能だろう。理不尽なことをすれば、その空間で袋叩きに会うことは間違いないからだ。

多分だけど、工藤氏が運営していた中学校なら、こうしたクラス会を開催しても不満は少なかったのではなかろうか。他方、後継の校長がこんなクラス会を開いたら子どもたちや保護者たちから大バッシングを受けていたことと思う。なんなら保護者たちや子ども達の声に押されて、教師たちからも文句が出たことだろう。おそらく、後継の校長にとっては、こうした状態を無秩序、荒れている、と表現しているのではないかと思う。

さて、子産の話に戻ると、古代中国は当然ながら封建社会、君主政治。民主主義の存在も知らなかった時代。そんな状況では、リーダーによる資質で左右されてしまうのは無理もなかっただろう。リーダーが誰かによって左右されてしまうという状況は、民主主義ではない一つの兆候かもしれない。

工藤氏によって民主的な運営が実現したとしても、ルールとして、保護者や生徒に発言権がない学校の運営では、独裁者気質の人間が校長になった場合に文化の崩壊を防ぎようがない。

スウェーデンでは、市民が広場に集まり、公務員もその場に居合わせて、地元をどう運営するのか話し合っていた。「民主」は、投票の時だけでは機能せず、選挙が終わったあとの定期的な話し合いによって初めて機能するものなのだろう。

私が思うに、スウェーデンのような民主的な運営は、工藤氏なら可能だし、もしスウェーデンのように保護者も生徒も自由に発言してよい運営なら、工藤氏は校長を続けられるだろうけど、後継の校長では無理だろうな、と思う。

日本の小中学校は、保護者や生徒、現場の教師が一堂に会し、運営を話し合う場を設けるようにしたほうがいいと思う。そうなれば、工藤氏のような校長はもっと増えるだろうし、後継の校長のような人物は、そうした人物を好む地域でもない限り、校長を続けることは難しくなるだろうと思う。

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