理不尽をいなす力

全国模試でダントツの1番、2番の学生がいた。医学部だろうが法学部だろうが好きなところに入学できるレベル。その2人ともが進学後、不登校になった。2人とも優しい人柄の優等生。それだけに、少しトゲトゲしい人間関係に出会っただけでショックを受けた様子。

どうも、小さい頃から優等生だったものだから大人たちにも同級生からもちやほやされ、トゲトゲしい人間関係にそれまで出会ったことがない様子だった。理不尽を心の中でうまく処理するタフさが全くなくて、そのつまずきをきっかけに2人とも精神の不調を起こしてしまったようだった。

どうも二人とも、優しい友人に恵まれ、先生にも恵まれ、素晴らしい人間にだけ囲まれて過ごしていたらしい。どぎつい人間に出会ったことがなく、耐性がなかった。「恵まれた環境で育つ」のも考えものだな、と思った。
他方、私はお世辞にも恵まれた環境とは言えなかったが、理不尽には慣れていた。

「あ、またか」と、理不尽はいつものように処理をする。それができるかどうかも学習なのだな、と思った。
もちろん、耐えきれない理不尽は子ども時代に味わうべきではない。それで潰れてしまうから。でも、楽しいことの中に多少の理不尽が混じるくらいなら、楽しさで理不尽に打ち勝てる。

社会に出るといろんな人がいる。こちらが理知的に振る舞えば理知的に対してくれる、とは限らない。そんな理不尽に対しても慌てず、「このパターンは前にもあったな。では今度はこのアプローチを試してみるか」と、いろんな挑戦を試してみるタフさが子どもにはほしい。

今は、親が「転ばぬ先の杖」を出しすぎて、子どもが自身で問題を処理するという体験を奪い過ぎではないか、という気がする。子どもが自ら考え、問題に対処するというのも大切な学び。もちろん、子どもが耐えきれない理不尽はあらかじめ避けておく必要はある。しかし潰れる心配がないのなら。

多少の理不尽は経験しておいたほうがよいように思う。大人は、その理不尽をどう子どもが乗り越えるか、よく観察し、潰れずに済むのなら見守る、ということも必要なのかもしれない。

いわば、地植えの苗木のようなものだろうか。根元からばっさり切るような理不尽を浴びせればそのまま枯れてしまうけれど、自然のほどほどな雨風をしのいだ苗木は、地面にしっかりと根を張り、少々の日照りや長雨でも耐えて見せてくれる。少々のストレスは処理できるタフさが身につく。なぜか。

好きなだけ浴びれる太陽の光と、好きなだけ根を張るのことのできる大地の広がりがあるからだろう。だから少々のストレスもしのぐタフさが身につく。 しかし、鉢植えの苗木は水やりを怠ったとたん枯れてしまう。 強すぎる日差しに当てても枯れてしまうことがある。

親はいつまでも子供を守ってやれるわけではない。ならば、親がいなくなった世界でも子供が自ら道を切り開いていくタフさを身につけてもらう必要がある。そのタフさをどうやって身につけてもらうか?ということも、子育てでは考えなければならない 一つの視点なのかなと思う。

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