「研究テーマの決め方」考
AI技術をロボットに応用するAIロボティクス、あるいはフィジカルAIの実用化困難さについて記事(「AIとロボット」考https://note.com/shinshinohara/n/nf2a9d1fd007d?sub_rt=share_b )を書いたところ、AI技術に詳しい研究者から「研究する人、研究費出す人たちが同じことを10年前から声高に主張して研究そのものをやめてしまった、その間に欧米や中国に完全に水をあけられてしまった」というご意見を頂いた。あ、そうか、政策担当者はそんな判断しちまうのか、と思った次第。
研究者は本来、「できないからこそ研究する」という生き物。ただし、現時点でできてないという厳しい現実は率直に認める必要がある。そして、「研究すればできるようになります」なんて安易なことも言わないのが大切。「できるかどうかわからんけど『できない』を『できる』に一つずつ変えていく」のが研究者の仕事だと思う。
上記の記事でいくと、技術的課題は、機械の「自己治癒」能力と「痛み」に相当するセンサーの開発。これらはきっと、AIロボティクスを画期的に変化させる力になる。ただし現時点でめぼしい技術がない以上、手探りの研究になる。結果が出るかどうかもわからない。できるかどうかもわからない。どこから手をつけたらよいのかも見当つかない。暗中模索のところから始めることになる。いわゆる基盤研究をすることになる。
ものになるかどうかわからない。だから研究する、というのが、本来、研究すべきテーマを決める際の原動力。実用ができるつもりになってはいけないけど、だからこそ研究する。研究とは、実用化できるメドが立たないから研究する、という側面がある。
実用化できるメドが立ってるなら、それは研究するテーマとしては出がらし。研究する意味を既に失いつつある。それはもう研究ではなくて開発ステージに移っている。
「実用化できると思いなさんな、だからこそ研究したほうがいい」という、一般の政治家とは逆の発想が必要。「研究するからには実用できるような結果を出せ」と要求するのは、実は研究する値打ちのないことをやれ、と言ってるようなもので、科学研究の政策決定のスタイルとしては大変まずい。「研究するからには、すぐには結果が出そうもないことをやれ」でないと、画期的な研究はできない。
日本はここ四半世紀、「実用化(社会実装)できるような研究をやれ」ってなことばかり要求した結果、研究ステージをとうに過ぎた出がらしテーマばかり研究するように追い込んできた。その結果、画期的な研究、世界を変えるような研究ができなくなっている。近年、ノーベル賞受賞が日本人で相次いでいるが、これは「できないことをやれ」「まだ誰も手がけてない、それが何の役に立つのかと思われてることをやれ」という、本来の研究が許されていた時代の成果。すぐに実用化できる研究ばかりしてきたこの四半世紀からは、かなりノーベル賞は出にくいように思う。
研究テーマを決める姿勢を大きく変更する必要がある。「実用化のメドが立たないからやる、実用化できそうならそれはもう企業に任せて、研究者は次の、結果が出るかどうかもわからない研究をする」という、基盤研究をしっかり行う必要がある。
もう、競争的資金で研究やらせるの、やめなはれ。交付金を配って好きな研究させなはれ。そっちのほうがよほど画期的な研究生まれると思うよ。
