「戦略的兼業農家」の創設を
クマ被害が止まらない。最近は、東京都心にもクマが現れかねないのでは、という記事まで出るようになった。実際、東北では都市部にまでクマが出没するようになり、被害も出ている。今までは山間部の田舎だけだったと思われていた獣害が、いよいよ都市部も襲うようになってきた。
都市部にまでクマ被害が及ぶようになった背景には、中山間地の崩壊があるように思う。これまで中山間地域の人々は、山を管理し、河川や水路を管理し、草刈りしたりしてきた。しかしいよいよ少子高齢化が進み、過疎化も進んで、中山間地を維持するのが困難になってきた。
草刈りが不十分で、木々が生い茂るようになると、クマをはじめとする獣たちが身を隠せるため、自由に動き回れるようになる。斜面にある段々畑や棚田を放棄し、山に戻っていっているため、そこに残された栗や柿などの果樹がクマなどのエサになる。人の住まない人家への出入りにも慣れてしまう。
中山間地の崩壊が、都市部へのクマ被害の「橋渡し」になっている気がする。中山間地は、いわば人の生きる生活圏と、獣たちの生きる自然界との境界線、前線に位置し、獣たちが人の住む生活圏に入ってこないよう、防波堤になってくれていたが、いよいよ防波堤が決壊し始めている。
中山間地が崩壊する原因の一つは、収入を得る方法に乏しいから。農業以外に仕事がない。なのにここ20年程、農産物の価格は低迷し続け、特にコメは赤字が慢性化するほど低価格が続いてきた。中山間地で生きていくことが困難になっていた。若者たちは仕事がないから、都会に出るしかなかった。
ヨーロッパは、農家に「所得補償」を行っている。その理由の一つに「国境を守る」ことがあるという。ヨーロッパのほとんどの国は地続きで、とても長い国境線で接している。こうした場所は田舎で、農業地域であることがほとんど。もし農家が田舎を嫌がって都会にばかり出て行ったら、国境が守れない。
そこで農家に十分な所得補償を行い、国境近くの少々不便な場所でも農業を続けてもらい、国境で何か異変があったら伝えてもらえる体制を築いているのだという。その点、日本は島国なので、国境すなわち「海」なので、国境線の意識が弱い。けれど、ヨーロッパとはまた別の「国境」が日本にはある。
それが、自然界と人間の住む生活圏との境界線。その境界線たる中山間地に農家がいたから、獣害も水害も未然に防ぐことができた。しかしいよいよ、中山間地での農業を維持できなくなってきた。というか、人がいなさ過ぎて住むにも不便になり過ぎてしまった。
人界と自然界の「国境」が崩壊し、「獣の王国」たる自然界が領土を拡大しつつある。実際、中山間地に行くと、畑や田んぼ、人家が網に囲まれるようになっている。獣害を防ぐためだけれど、見ようによっては「人間が動物園の檻に入れられている」ようにも見える景色となっている。立場逆転。
しかも近年、「コンパクトシティ」という政策が進められている。少ない人口が広く分散していると、道路や橋、上下水道などのインフラ維持が大変だから、一つの場所に人を集めて、他の場所はもう放棄してしまいましょう、という考え方。これなら管理コストを大幅に安くすることができる。ところが。
コンパクトシティを推し進めると、人界がその分狭まり、獣界の領土が拡大することになる。それこそ、コンパクトシティは、金網を周囲に張り巡らし、獣害から身を守るようにしなければ生活できなくなるかもしれない。人間が檻の中に入る「逆動物園」状態になるかもしれない。
しかも、「逆動物園」状態となれば、平地の農業も維持できなくなるだろう。中山間地の境界線まででとどまってくれていた獣害が平野部にも広がり、農家は怖くて農作業に出ることができず、コンパクトシティの中に閉じこもるしかないかも。農地が放棄され、日本は食料を作れない国になるかも。
コンパクトシティは、あくまでインフラ整備のコストを引き下げることしか考えていない思想。しかし、国土の67%が山林である日本は、自然界(獣界)が7割近く、残り3割の平地で人が暮らす特殊事情があることを忘れるわけにいかない。中山間地が失われれば、平地も無事では済まない。
中山間地という「国境」を守る人を増やす必要があるように思う。しかし、中山間地を農家だけで守ってもらうことには限界がある。農業は大規模化が進められており、中山間地のように斜面ばかりの土地では、田んぼを大規模化させることは困難。コスト面で平地の大規模農業に勝てない。
では、コメ以外の付加価値の高い農産物で、と考えても、平地の人たちだって儲けたいから、付加価値の高い作物を育てようとする。そうなると競争なので、中山間地は運賃が余分にかかるから、不利になる。中山間地は、農業の一本足打法では立ち行かない立地だと言える。
私は、「戦略的兼業農家の再構築」が、中山間地維持には必要ではないか、と思う。その参考になるのが、江戸時代の能登半島。記録によると、能登半島には「水呑百姓」が大変多かった様子。水呑百姓とは、コメを食えず水を飲むしかないような貧しい農家、というイメージがあったけれど。
歴史家の網野善彦氏の調査により、どうやら「水呑百姓」とは、兼業農家のことであったらしいことが明らかに。能登半島は船運が盛んな土地柄で、水呑百姓に分類されていた人たちの少なからずが、船大工などの船運に関する仕事をしていて、それで生活を営んでいたらしいことを明らかにしている。
能登半島は山だらけの場所で、農地はどうしても狭くなる。そこで、船大工とか輪島塗などの加工品を作ったりして、農業外の仕事で収入を得て、田んぼや畑は自給用として耕していたらしい。こうした兼業農家は、当時、耕す面積が狭いから「水呑百姓」に分類されていたが、貧しいわけではなかった。
ならば、現代においても、中山間地において「戦略的兼業農家」を増やすことは、一つの方法ではないか、と考える。農業人口だけでは中山間地は人が少なすぎて、小学校はなくなる、病院はなくなる、スーパーはなくなり、ガソリンスタンドもない、などで、生活できない空間になりつつある。
だから、農業を主業としない人であっても構わないから、中山間地に住んでくれる人口を増やしたほうがいいと思う。自給用の田んぼや畑はもつけど、無理して農産物を販売し、それで儲けようとは思わない人たち。別の仕事を持っていて、それで食べていける「兼業農家」を戦略的に増やす。
そうした「戦略的兼業農家」には、中山間地での草刈りや水路管理、河川の見回りなど、従来、農家が無料で行ってきた仕事を義務として課す代わり、生活の足しになるよう補助金を出す。そうすることで、農業を主業としないけれど、獣界との国境を警備してくれる人たちを戦略的に増やしてはどうか。
農家の中にも、昨年までは「今後は農地に『通勤』すればいい」という人が出ていた。田舎は買い物もできず、子どもを小学校にも通わせられないので都市部にすみ、自動車で自分の田畑に『通勤』すればいい、という人が出てきていた。しかし。
しかし農地の周りには住人がおらず、人気がない、となれば、獣たちは自由に農地をうろつき、農作物を好きなだけ食べるようになるだろう。通勤してきた農家も、クマが怖くて農業生産が続けられなくなる恐れがある。農家が都市部に住んで農地に通勤、ということが難しくなるかも。となると。
やはり、人界と獣界の境界線である中山間地に、一定数の人が住む状況を作りだす必要があるだろう。「国境」で獣界の拡大を食い止めないと、平地まで獣界は領土を広げていくだろう。中山間地維持は、平地を守るための「必要なコスト」としてとらえ直す必要があるように思う。
しかし、すでに述べたように、中山間地で農業だけで食べていくことは難しい。中山間地は、現代の農業システムでは、低コスト化も、高付加価値化も不利な面がある。農業以外の力も導入して、中山間地維持の戦略を立て直す必要がある。それが「戦略的兼業農家」というアイディア。
たとえば、必ずしも都会に住まなければならないわけでもないIT技術者・会社を中山間地に誘致し、そこで生活してもらうと同時に、獣界の拡大を防ぐための草刈りや水路の点検などを一緒にやってもらう。その義務を果たしてくれるなら、生活の足しになる補助を出す仕組みを作る。
また、そうした人たちには、有利な条件で自給用の田畑も支給し、耕してもらう。そうして農地が荒れることを防ぎ、ひいては獣界の拡大を防ぐ前線とする。農業で身を立てなくても、兼業で生活できるから、農地は自給用で十分。それでも。
自給自足で食料を調達できる人口が増えれば、その分、国の食料安全保障も高まる。実際、これまでの古いタイプの兼業農家でも、親戚に送る分のコメは作っていたりして、その分、食料安全保障に貢献してきた。しかし近年、状況が変わりつつある。
兼業農家だった人もその兼業を定年退職し、いよいよ農業もトシで続けられなくなり、農業をやめる人が続出。すると、親戚からコメを送ってもらっていた人たちまで、都会でコメを買わなければならなくなり始めた。コメ不足の原因の一つに、兼業農家の減少があると思う。
兼業農家も、食料供給の重要な一翼を担っていた。親戚に安く売る、という、商売とは違う形態だったかもしれないけれど、安全確実に食料を供給する一つのルートになっていた。これが今や崩壊しつつあり、大規模農家が作るコメを都会の人は買わざるを得ない、という状況になりつつある。
しかし、すでに述べたように、中山間地が崩壊すれば、平地で大規模農業を営む農家をも、獣害が襲うようになりかねない。そう考えると、やはり何とか中山間地を維持できる態勢を整える必要がある。ならば、「戦略的兼業農家」が、一つの手ではないか。
「戦略的兼業農家」が増えれば、場合によっては小学校やガソリンスタンド、病院、スーパーなども経営が成り立ち、維持できるようになるかもしれない。既に回復不能なところも多いかもしれないが、立て直し可能なところからこの「戦略的兼業農家」を増やすようにしてみてはどうだろうか。
「戦略的兼業農家」を中山間地で増やすために、以下の手を打ってはどうだろう。
・中山間地でのインターネット環境の充実。
・中山間地への企業の誘致。
・草刈りなどの中山間地での行事に参加する義務を課す代わり、所得補償などの補助。
中山間地で、農業以外の生活の手段が増えれば、中山間地の維持は可能だし、獣界との「国境」も維持できる。「国境」を維持してもらうための必要経費を、平地の人々は提供する必要がある時代に、もはや変わってきたように思う。
