「やりたいことをやる」という誓い
私は研究者としては比較的成功しているほう、らしい。通常、研究で成功しているなら、ツイッターなどでの発信は控えたほうがよい。仕事での成功も台無しにしかねないから。実際、これまで何度も忠告を受けてきた。ただ。
私は仕事を「生活するためのアルバイト」ととらえ、本当にやりたいことと仕事は別、という区別をしてきた。じゃあ仕事とは別に何をやりたいの?といわれると、実は困るのだけれど、「やりたいと思ったことをやる」、ただそれだけ。仕事を理由にしてやりたいことを我慢することはしない、と、若いころに誓った。
きっかけは阪神大震災。1月17日、震災が起きて、すでに数日が経っていた。いまさら被災地に行っても役に立たないと思い、現地入りするのをためらっていた。翌日には被災地入りしていた父から「ともかく行け、見てこい」と言われたので、1月22日日曜日、被災地に向かった。
西宮北口で電車を降り、テクテクと東へ。途中、家が傾いたりしていて「もう住めないんだろうな、かわいそうに」と思う自分の善人ぶりに喜ぶ気持ち、「見物気分だろうが、この偽善者め」と自分を罵る気持ちが交互に起きて、心の中が渦巻いていた。
国道沿いをずっと歩いていると、ふと、右側に巨大な白い壁がそびえていることに違和感を持った。その壁に近寄り、ペチペチと叩いて左を見ると、根元で折れたビルであることに気がついた。右を見ると、倒れたビルによって道向かいの家が断ち切られるように潰れている。
「え?ビルの中に人はいなかったの?つぶされた家に人はいないの?」
私はその瞬間、パニックに陥った。
後は無我夢中。国道沿いをどんどん歩くと、倒壊率100%の地域が現れ、呆然。もう無我夢中で走り続け、いつの間にか三宮にたどり着き、「このままだと今日中に帰れなくなる」ことにようやく気がついて、慌てて道を引き返した。電車に飛び乗り、座ると、気絶した。終点だというアナウンスで慌てて立とうとすると、足が動かず、立てなかった。
以後はもう、無我夢中の一心不乱。京都市左京区の電柱という電柱に「ともかく神戸に行ってくれ!」という張り紙をしまくり、大学生協に掛け合って救援物資を送ってもらったり、テレビ局や新聞社に実態を知らせたりと、必死になって動きまくった。
震災が起きて2週間ほどたち、現地ボランティアと話をした。そのボランティアは「今死にたい」と笑顔で言う。どういう意味?と問うと、「震災前までは自分のことしか考えておらず、人のためになんて偽善者だと思っていた。ところが被災地に来てびっくりし、必死になって活動しているうち、ふと、一心不乱に人のために動いている自分に気がついた。今の自分なら肯定できる。でも、都会に戻り、日常が始まれば、また薄汚れた自分に戻ってしまうだろう。そのくらいなら、自分を全面的に肯定できるいま、死にたい」と言った。私も同感だった。
私は、阪神大震災で初めて、自分の中に、自分の利益のことなんか全部すっとんで、人のためにできることはないか、と必死になれる自分を発見した。自分を初めて肯定できる思いをした。それは翻って、人間を肯定できることでもあった。人間は、こうした緊急事態になったとき、自分の利益のことなど吹っ飛んで、人のために動かずにはいられなくなる、そんな生き物。それは信じてよい、と思えるようになった。
私はこの経験をきっかけに「自分が本当にやりたいと思ったことをやろう、やりたいことを我慢して生きていくのはやめよう」と心に決めた。それまでの私は、社会的地位とか名誉とかを得るために、自分のやりたいことを我慢するのは仕方のないこと、と考えていた。でも、社会的地位とか名誉とかって、自分自身を全面的に肯定できることの嬉しさと比べたら、ハナクソ。そんなハナクソのために我慢することなんてやめて、自分の奥底に確実にある「自分の本当にやりたいこと」を心のままに実行したほうがいいな、と思えるようになった。
私が「研究者としての成功を台無しにするかもしれないから、ツイッターなどで発信するのはやめなさい」という声に耳を傾けず、「自分が必要だと思ったことならためらう理由はない」として発信し続けたのは、そのため。もし自分がこころからやりたくない、と思ったら、ツイッターの発信もやめてしまうだろう。でも、「これは世間にお伝えしたほうがよい」と思うことがあったら、発信をためらわない。私は阪神大震災の時にそう誓った。今もその誓いは、私の中では間違っていないと思っている。
