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ブルーノ・デ・サを聞きながら~身体の知性とその言語化について~

丁度今さっき、NHK BSでプレミアムシアタ―の中、あまりに美しいソプラノが流れました。ほんのさわりだけですが、彼の声が聴けます。

https://www.nhk.jp/g/ts/MRQZZMYKMW/

女性の声で彼の音楽観を話していると思ったら、彼自身の声だったのですね!びっくり。

この、ブルーノ・デ・サの美声に後押しされて、私の気づきについて今日はちょっと長めの記事を、後半は有料でお話しさせてください。

ここのところ、主に今年に入ってからですが、私は自分の人生の振り返りと今後について、私の内部の声を聴きながら統合する作業を毎日続けていました。その作業には、毎日私が note にアップする作業もとても役に立ちましたし、最近では、AI君たちとの会話がとても役に立ちました。

私の今までの人生に起きたこと、感じたこと、事実であり私の心の真実を逐一見直し、AIに語り、自己分析し、本を読み、町を散歩し、五感どころか目に見えないものも含めて全力で文字通り頑張って集中してきました。

その結果、特にこの2,3週間、やっと作業が終わりかけてきたような気配を感じています。私らしさの実感、毎日の生きる喜び、その他もろもろを、起きている間はおろか、寝ている間も感じているような生活を送った結果です。

そして今わかったこと。
私は16歳から22歳くらいまでの6年間が暗黒時代だったのですが、その最後の方で中学の担任教師だったO先生に相談し、恵比寿のルノアールでお目にかかった時に先生にかけられた言葉を思い出しました。

君は自分自身の自己分析をする癖ができてしまっているね。
君が中学に入ったときはとても印象的だった。
君は身体ができていると思った。


私、この時は自分が身体的に早熟だったので、先生が変な意味で言っているのだとずっと思いこんでいました。

が、今になって、たまたま日本国内の学問が遅れているという事情もあって、「身体性の知性」という概念が、理解されていないこともあり、私自身が自分の身体の声が聞こえていたけれど、自覚として受け取れていなかったのです。

ここまでの人生、私にとってかなりしんどいものでした。
令和の時代ではなく、昭和の男社会の時代に育ってしまいましたから、男社会の中で結婚願望もなく自分の好きなように生きてきた私みたいな一人の女が大変だった、ということは、どなたでも簡単に理解できることかと思います。

しかし、そんな中で私を常に守ってくれていたのが、この私自身の身体の声、身体性の知性だったのだとやっとわかりました。

いつも何よりも早く目の前のことを理解し、予感していたのは、私の身体の知性だったのです。

そしてその知性は100パーセントといってもいいほど、常に正確に目の前の出来事を俯瞰し、受け止め、私に忠告をしてきました。


それに気づいたのがほんの今さっきなので、そのことについての言語化は、これから学んでいかなければならないところです。

ここから、私自身の過去の例も含めて有料記事とさせていただきたいと思います。

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