オーバカナルで思い出す平成の思い出たち
オーバカナルで妹とランチトークはこちら
オーバカナルで妹とランチをして、97年のロンドンでの三日間を懐かしんでから、今日は時間があるのでコーヒーとケーキの時間に。
私は洋梨のタルト、妹はクレームブリュレをいただきます。
妹「クレームブリュレ頼むと、まだやっちゃうんだよね、あれ」
私「あれね。アメリでしょ、わかる。他のお店ではやらないけど、オーバカナルだとやりたくなるの」
妹「だよね。うちの子も私の真似してやってるけど、まだアメリは見せてない」
私「中学生だと、アメリのことを“変な奴”って思うかもね」
妹「子どもには、あの孤独を楽しむ感性はまだ早いかな。小人の人形で世界中の写真撮るのとか、真似しそう。あと髪型。うちの子が真似たら事故になるよ」
私「あの頃、それっぽく前髪を揃えた人、いたよね。世の中のギャル世界に喧嘩売ってる感じで、私は好きだったな」
ギャルじゃなかった姉妹
妹「私たち、ギャルじゃなかったもんね。パリのアメリの世界観には共感できたけど、東京のギャルは遠かった。ルーズソックスを一回はいて、似合わなくて捨てたら、ママが窓拭きに使ってた」
私「覚えてる。学校から駅のトイレで靴下履き替えて、塾に行くって張り切ってたよね。初心者なのにわりとスーパールーズ買っちゃって」
妹「そうそう。大は小を兼ねる的な考えで、上級編を買ったのよね。でも友だちから“すごく変”って言われて、駿台でまた履き替えたの」
私「思い出がダサいわ。ギャルにかすりもしなかった我々らしいね。大学にはギャルがいなかったけど、山手線でギャルを見ると二度見したな。私には生きられないすごいパワーの世界だと思って、ある種の尊敬があったかも」
妹「たしかに。大学とか自分の周りには生息してなくて、通学中に見る存在だったよね。渋谷には怖くて行がなかったな。ミレニアムの頃の渋谷は、すごいエネルギーがあった。疾走感というか。ハイビスカスプリントとか厚底ブーツとか、安室ちゃんとあゆとか。あとJR渋谷駅の発着音が私の思い出。ミレニアムのエネルギーの象徴だった。私には手が届かない平成の景色だわ」
渋谷の記憶
私「学生の頃、飲み会で千歳会館に行ってたし、社会人になってからは渋谷西武のB館に仕事で行くことがあったから、あと道玄坂界隈での思い出ね 笑
ITで仕事してた友だちも多かったから、渋谷のちょっと離れたところでご飯食べたり。それなりに平成の渋谷の思い出はあるかも。でも、センター街とか渋谷らしい場所には馴染めなかったわ。
たしかに、あの頃の渋谷はすごかったね。若者の群れが湧いてた。97年の9月に、台風でセンター街の看板が壊れて、すごいカオスだったこととか覚えてる」
妹「センター街ね、こわかったわ。チーマー崩れとギャル、まだテレカを売ってそうなイラン人の残党もいて。用事がないから、わざわざ観光しに行ったもん、女子高生が地べたに座ってるーって見に行って。中東の人がやってるケバブをはじめて食べて。それが今じゃ“バスケットボールストリート”でしょ。名付けのセンスが何がなんだかだわ」
私「やっぱりあそこはセンター街だよね。チーマーの時代からギャルの時代になっても、令和の今も“センター街”。土地に染みついた名前だと思う」
野良のように生きたあの子
妹「わかるー。渋谷といえば、お姉ちゃんの友だちでNHKで同時通訳してた子、いたよね」
私「あのぶっ飛んでた子ね。なんで覚えてるの?」
妹「大学生になったばかりの頃、原宿のオーバカナルで初めてお茶してたら、テラス席で昼から飲んで賑やかな外国人の中にあの子がいてさ。目が合ったら声をかけてきて、私は固まったの。だって私、しゃべったことなかったんだよ?予備校の浪人生の中で目立ってたから一方的に知ってただけなのに」
私「あの子、大学に2回落ちて、二十歳くらいまで野良犬みたいに生きてたんだよね。一番“野良風味”が出てた頃よ。浪人中なのにすぐ家出とか放浪するから、お母さんが知り合いに電話しまくって探してたの。そのあとフランスの大学に行ったんだよね」
妹「二浪してフランスの大学って、平成初期には斬新な進路だったじゃない?駿台で現役生も夏期講習とかが一緒だから知ってて、学年が下の私たちの間でも話題になったのよ。タバコをスパスパ吸ってるお嬢様浪人生で有名だった」
私「さすが、駿台でも現役生にまで有名だったとは。
あの子の進路は、お父さんの仕事で長くフランスに住んでた帰国子女だったから、まあ納得だったけどね。びっくりしたのは、日本に帰ってしばらくして、NHKで同時通訳の仕事してたこと」
妹「あれは衝撃だった。私もフランス語学科卒業してるから、通訳で身を立てる難しさがわかるつもりでさ。同時通訳は、ほんと特殊能力だからね。
だから、あの子が通訳って。しかもNHKのニュースで! “あの子がNHK?すごいけど、どんなコネ?”って思ったの」
六ヶ国協議の誤訳事件
私「でもそのNHKの仕事、わりとすぐ呼ばれなくなったんだけど、理由知ってる?」
妹「え、そうなの? 何かやらかしたの?」
私「同時通訳してる時に、“6カ国の首脳クラスが集まる六ヶ国協議”のSix-Party Talksを“6人で会議”って繰り返し訳しちゃって、それ以来呼ばれなくなったらしいの。
“クビになっちゃったのー”って、30歳くらいのミニクラス会の時にあっけらかんと言ってたよ」
妹「やりそう。北朝鮮関連の時事ネタだよね。6人で会議になると、なんかいきなり親密なかんじだね、軽くなる。NHKに抗議が殺到したんじゃない?
あの子、思い切り常識ないタイプだったもんね。駿台でも破天荒な浪人生として有名だった。
政治の通訳にもNHKにも一番向いてない」
私「そう。子どもの頃から常識の外に生きる“野良子ども”だったから」
アルゼンチンへ行ったらしい彼女
妹「今は元気にしてるの?」
私「あれ以来、会ってない。
コロナ前には“アルゼンチン人と結婚して南米に住んでるらしい”って風の噂を聞いたけど、その後はわからない」
妹「グローバルな生き方。もはやフランス語圏じゃないのね。日本じゃどこでも収まらない強烈キャラだもん、世界規格になったのね。S字の体型してたから、ランバダとか似合うね」
私「“タンゴ”じゃなくて“ランバダ”が出てくるあたり、80年代中学生の発想だね。おもしろい。
方向性は違うけど、あの子の型にはまらなさは、アメリ的かもしれない。世界規格というか、世界共通のふしぎちゃん」
オーバカナルと記憶のリンク
妹「わかるような、ぜんぜんちがうような。
でも、原宿のオーバカナルを思い出すと、あの子が外国人たちと騒いでたテラス席が蘇る。オーバカナルとあの子はセット。アメリもセット」
私「変なセットだけど、平成の青春が交差してる感じでいいんじゃない?」
妹「そうね。まあ私は覚えてるけど、あの子は絶対覚えてないだろうな。
あの子にはたぶん日常だったけど、私にはすごく引っかかる瞬間だった」
私「なんか故人を偲んでるモードに入ってない? たぶんどこかでぜんぜんしぶとく生きてるよ」
妹「ほんと。故人を偲ぶ気持ちになってたわ。私のオーバカナル95年5月、平成の思い出の一つだわ」
30年推しのメモリー装置
私「30周年、オーバカナルのはじまりからお世話になってるから、思い出もいろいろよ」
妹「ね。いろいろ思い出すわ。そろそろ帰りましょうか。パン買ってく?」
私「もちろん。お勘定してもらいましょう」
妹「私、現金ちょっとしか持ってないからカードで払うね。精算して」
私「私なんてお財布持ってきてない。PayPayする」
妹「了解。PayPayでピッと送金できるなんて、時代は進んだね」
私「昔は支払いが大変だったよね。手書きの伝票は、自分の頼んだものが見つからない呪いの書に見えた。あの頃は細かく計算してたよね。今はきっちり半分。ピするね」
妹「あ、スマホの壁紙がオーバカナル30周年だ」
私「ロイヤリティを感じるでしょ。公式からダウンロードできるのよ」
妹「粘着気味な顧客 笑」
アラフィフ姉妹は、パンを買って永田町まで歩いて別れました。
その間もずっとおしゃべりをして。
オーバカナルは、アラフィフの私たちの“メモリーの装置”みたいです。
30年推し続けていると、人生のいろいろが記憶されているものですね。
つづく
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