村上龍 龍言飛語
ワインなんてつい最近飲み始めたくせに
SNSなどでは、ほんの一握り、まるで「ガン」のように紛れ込み、場を荒らす輩がいる。
頼んでもいないのに流行りの知識や「正論」「道徳」を振りかざして、必死に他人を見下そうとするごく少数のマウンターたち。
彼らのあの、全能感に満ちた過剰なドヤ顔を見るたび、私の脳裏には村上龍の古いエッセイのタイトルが思い浮かぶ。
『ワインなんてつい最近飲み始めたくせに』
バブル経済の狂騒期、ブームになった途端ににわか仕込みの知識で「ボルドーの何年が~」と語り出した「にわか通」たちを、冷徹に突き放したエッセイである。
ここで著者は、自分が長年静かに愛飲してきた「マッカラン」を引き合いに出している。
時代に左右されない本物の定番を知る人間からすれば、ブームになった途端に群がり、仕入れたての上っ面な知識でツウぶる連中の姿は、滑稽を通り越したただのエンターテイメントに過ぎない。何故なら、彼らが必死に誇示しているのは、その対象への愛ではなく、「他人に遅れたくない」という底の浅い虚栄心だけだからだ。
正論の仮面をかぶった『自信のなさ』このマウンターたちの卑怯な進化系が、「正論」や「道徳」という、反論しづらい記号を借りてマウントを取る手口だ。彼らは「自分が正しいから」あなたを叩いているのではない。その奥底に、「自分には中身が何もない」という致命的な自信のなさがあるから、さも自信があるように絶対正論の武器を必死に探して振り回しているだけ。実に見苦しい。本当に自分の価値観や生き方に自信のある人は、他人の評価や世間のトレンドに依存しない。「マッカラン」のように、世間が何と言おうと「自分が良いと思うもの」を静かに、孤独に楽しんでいればそれで満たされるからだ。
しかし、自分の中に確固たる軸がない人は、それができない。だからこそ、手っ取り早く手に入る「誰も反論できない正論」や「世間の道徳」という鎧を身にまとい、他人にマウントを取ることでしか、自分の存在価値を確認できないのである。
いすみん
