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復讐してやりたいとおもうのはーーー悪いことじゃない

──それでも人は「やり返したく」なってしまう

追い抜かれたら、追い返せ。
やられたら、やり返せ。
傷つけられた分、同じだけ
――いや、それ以上に。

この考え方が、どこかで正しいような気がしてしまう。
というより、感情としては自然だ。

理不尽な扱いを受けたとき。
努力を踏みにじられたとき。
尊厳を壊されたと感じたとき。

「なかったことにされるくらいなら、
同じ痛みを味わわせたい」
そう思うのは、人間としておかしくない。

でも、復讐は本当に 釣り合う のか?


たとえば、殺人を犯した人は即、死刑でいいのか。
この問いに、私たちは簡単には答えられない。

なぜなら、苦痛は数値化できないからだ。

・どれほどの恐怖だったのか
・どれほどの絶望だったのか
・どれほど人生が壊れたのか

それを「◯年」「◯倍」「同じだけ」で測ることはできない。

それなのに復讐を考えるとき、
人はこう考えてしまう。
「自分が受けた苦しみより、もっと重い苦しみを与えたい」

ここですでに、基準は完全に自分側に傾いている。

自分基準の世界に、終わりはない


自分がどれだけ苦しかったか。
それを一番よく知っているのは、
自分だけ。

だから復讐は、必ずこうなる。
「まだ足りない」
「これでも足りない」
「もっとやりたい」

そう キリがないのである。

そして気づくと、相手の人生を縛り苦しめるつもりで始めたはずが、
自分の人生が、相手の価値観に縛られることになる。

復讐のゴールは、勝利ではない。
本当のゴールは、相手の価値観から離脱することなのに。

それでも復讐劇が好まれる理由


ではなぜ、物語の中の復讐は、
あんなにも人気なのか。

スカッとするから。
悪い奴に損をさせてやりたいから。
自分がやってる気になるから。

でもそれだけじゃない。

復讐譚の多くは、
・主人公が成長し
・苦しみを意味に変え
・大義名分を得る

「報われる物語」になっているからだ。

現実では得られないカタルシスを、
物語が代わりに叶えてくれている。

復讐は「お土産交換」に似ている


復讐し合う関係は、どこか奇妙だ。

相手が傷をくれたから、こちらも傷を返す。
すると相手は、さらに大きな傷を持ってくる。

まるで、
誰も欲しくないお土産を、延々と交換しているみたいだ。

しかもその準備には、
怒り、執着、想像、計画……
膨大な精神エネルギーを使うことになる。

復讐しようとした瞬間から
もうそのエネルギーは、自分に返ってきている。

復讐を企てるなら墓穴二つ掘れと言葉があるくらい
「人を呪わば穴二つ」というじゃない。


人間的な結末とは何か


復讐をしない選択は、
「相手を許す」こととは少し違う。

忘れなくていい。
許せなくてもいい。

ただ、
自分の人生を、相手の続編にしないという選択なのだ。

傷ついたままでもいい。
怒っていてもいい。

それでも、
「私は、私の時間を生きる」
そう決めること。

それはきれいごとじゃない。
むしろ、とても人間的で、勇気のいる選択だと思う。

復讐は、一瞬スカッとする。
でも本当に自由になるのは、復讐をやめたあとなのだから。


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