noteの「スキ」に思うこと
noteのスキ数とビュー数その 1/3の差 に思うこと
読まれた数に対して、スキをつけてくれているのはだいたい1/3ほど
「読んだけれどスキは押さない」
そんな人がいることは納得の上
けれどnoteを続けていると必ず出会う現象です
この差いったい何を意味しているのだろう?
そんな疑問から、今日の記事を書こうと思います。
スキを押さない読者の心理を考えてみる
では、読んでくれているのにスキを押さない人は
どんな心境なのでしょうか
たとえば
・そこまで強く心に残らなかった
・ただの読み流し
・足跡を残すことに抵抗がある
・そもそもアカウントを持っていない
理由は本当に様々です
そして スキが少ない=刺さらなかった
と単純に判断できるものでもありません
スキを押す/押さないは
その人のSNS的習慣や性格にも左右されるからです
そうだからこそ
数字だけに自分を振り回す必要はないのだと思うのです。
それでも「読んでくれる誰か」の存在は嬉しい
スキがなくても、ビュー数は増えていく
この事実に、私は最近、不思議な嬉しさを感じています。
スキがつかなくても
その瞬間、誰かが私の文章を読んでくれた
ということだから。
そして、読まれる立場を経験すると、
自然と相手にも興味が出てきます。
「この人はどんな日を生きているんだろう?」
「どんな文章を書くんだろう?」
「どんなことに興味をもっているのだろう」
読んでくれた誰かの存在が気になり
こちらからもその人の記事を読みに行きたくなる。
noteの魅力は実はこの
「ゆるいつながり」 にある気がします
記事を書くことより最近強く感じていることがあります
それは
誰かの記事を読むことで、自分の「書きたい」が育つ
ということ
誰かの言葉に刺激され
思わずスマホを閉じたあとに余韻が残り
自分でも書きたくてうずうずしている
発信する力は、
自分だけで作るものではなく
他の誰かの言葉によって呼び起こされることも
多いのだと思うのです。
今日もどこかで、
まだ出会っていない誰かの記事が
きっと私の背中をそっと押してくれている——
そんな気がしています。
スキはひとつの指標 でもすべてではない
結局のところ、
スキはひとつの 目安 であって
作品の価値を全て決めるものではありません
スキが少なくても、
静かに読んでくれている人がいる
その存在こそが、書き続ける力になります。
これからも私は、数字だけで判断せず、
言葉の向こうにいる“誰かひとり”を思いながら書き続けたいと思っています。
そんなふうに想像すると、こちらからもその人の記事を読みに行きたくなります
noteのゆるやかな連鎖はかけがいのない繋がりです。
最後まで読んでくださりありがとうございます
それあるよねーと思っていただけたら
スキ、フォロー、コメントしてくださると嬉しいです。
そのひと行動が
私の「書きたい」を静かに育ててくれます。
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この気持ちを他の人にも広げていきたいです。