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浪人が決まった甥っ子と寿司をつまみながら慰労会

大学受験に落ちた甥に、慰労と称して昼食をご馳走した。場所は近所の寿司屋。カウンターに並んで座り、いくつか握りをつまみながら、ぽつぽつと話をした。

甥は、もう割り切ったような顔をしていた。小規模な塾で浪人することを決めていて、「毎日、塾に最初に来て最後まで残る」「もう言い訳できない」など、いかにも浪人生らしい決意を語っていた。元気そうではあるのだが、その様子を見ていて、少し心配になった。

「やった気になって、満足しなければいいが」と思ったのだ。

30年以上前だが、自分も大学受験浪人した。「やった気」というのはなかなか厄介なものだ。勉強時間を積み上げると、気分は良くなる。難問を解いて、実力が上がった気になる。自分は努力している、自分は大丈夫だと信じられる気になる。だが、その感覚がそのまま得点の伸びに結びつくかというと、そう単純でもない。

入試本番の問題は、当たり前だが初見の問題である。見たことのない問題を前にして、冷静に分解し、しなやかに解く力が求められる。サッカー元日本代表監督の岡田武史氏が、「細部に神は宿る」と言っていたが、受験にも似たところがあるように思う。小さな理解の差や、問題の読み方、判断の積み重ねが、結果を分ける。

若い人には若い人なりの時間の進み方がある。
自分の話がどこまで通じているかわからない。
それでも、話を続けた。

勉強だけに視野を狭めるのではなく、生活の中に少しずつ勉強の要素を入れてみてはどうか、と。例えば朝のNHKニュースを見るとか、AIに自分のわからないことを聞いてみるとか、古典に出てくる作品を漫画で読んでみるとか。『三国志』や『あさきゆめみし』などは、歴史や古典の世界に触れる良い入口になる。勉強と生活を完全に切り離すよりも、世界の広がりの中に学びがある方が、案外長続きするものだ。

人の意見は、最初から否定してしまうともったいない。必要だと思えば取り入れればいいし、必要なければ退ければいい。ただ、アンテナだけは広く立てておくといい。

自分の浪人時代の話も少しだけした。英語の成績が伸びて、模試で全国の成績優秀者に名前が載ったことがあった。あれは嬉しかった。今は個人情報保護の関係でそういう掲示はあまりしないらしいが、当時はそれがちょっとしたモチベーションになった。

浪人の一年は、苦しいだけの時間ではなかった。むしろ、自分が伸びていく感覚を初めてはっきりと感じた時期でもあった。

甥はどこまで理解してくれただろう。正直、よくわからない。ただ、今日の話が、少しだけでも頭のどこかに残ってくれればいいと思う。

甥は頑固で、負けず嫌いで、少し不器用だ。そういうところは、どこか自分に似ている。一年に何度も会うわけではないが、亡くなった母がとても可愛がっていた子でもある。だから、せめて人生の道筋を立てる手伝いくらいはできればと思う。

来年の今ごろ、また甥と一緒に寿司を食べに行こうと思う。志望大学に合格していたら、お酒を飲みながら泣いてしまうかもしれない。そんなことを、少し楽しみにしている。

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