阪神の優勝に違和感がある。
阪神の優勝に違和感がある。
これは阪神の優勝が不正だと言うものではない。
物心のついた時(1994年くらいか)阪神はなんせ弱かった。
男の子はちょうどスポーツに興味を持ち始める年頃である。
ましてや、関西に生まれ育った私は連日、大量に報道されている阪神とはなんぞやと興味津々である。
だが、当時の阪神は何より弱かった。当時メディアリテラシーなど、言葉すらなかった時代。
私は新聞やテレビに踊らされていた。
最後の優勝時の吉田監督が来るから、次は優勝や。
ID野球の野村監督が来るから、次は優勝や。
など。
具体的な選手のレベルなど考えずに踊っていた。
そして、その期待はことごとく裏切られた。
それ以来、阪神は弱いものとして強烈にインプットされている。
一方、当時のオリックスは強かった。
イチロー、田口、谷の最強の外野陣やニール、DJの外国人、超遅球のエース星野などを揃えたチームは私の心をとらえた。
阪急ブレーブスの時代に遡っても強豪球団であることも良かった。
だが、当時は「オリックスが好きや」と言うことは球場のお膝元出身の私ですら、言うことは憚られた。
徐々に人間としてのアイデンティティを確立させる中で自分が関西人だと言うことは大きな拠り所になる。
自分は関西人だからこうや、ああやなどと、自分を関西人へと近づけていく。
特に両親が生粋の関西人の私はその要素が強かった。
そして、関西人だということに強いアイデンティティを持つ男の子は阪神を愛する。いや愛さなければならなかった。
だから、私は阪神を愛した。本当に愛しているオリックスを棄教して。
だが、阪神は弱かった。
新聞を読むときにはイヤイヤ読んでいたし、ニュースも耳に入れたくなかった。
そして、自分のアイデンティティの中の関西人が薄れる中で、私は阪神を棄教した。
関西人との会話ができるよう必要最低限の知識(レギュラー程度とその成績)は頭に入れているが、それ以外のことはさほど気にしなくなった。
今年の試合も優勝決定試合を見たくらいだ。
だが、阪神を信仰していた頃の記憶は残っている。
だから、阪神の優勝に違和感がある。
この違和感が薄れる日は来るのだろうか?
