溶けて消えたい
ヘルパンギーナに次いで溶連菌になっていた小さい甥っ子が先日ついに治ったらしい。先日お見舞いのついでに、恐竜図鑑と小さなトミカを持って、会いに行ってきた。
甥っ子は6歳で、とにかく人懐っこく、明るい性格だ。私のことを「デボラちゃん」と呼ぶ。私も、甥っ子のママも、甥っ子のことを「にっく」と呼ぶので、甥っ子も一人称が「にっく」である。
病み上がりとは思えないくらい元気で、
「デボラちゃん、ニックに会いたかった?(^^)」
「デボラちゃん、今日ニックのおうちにずっといったらいいじゃん(泊まってってことらしい)」
「ニックはリザードンが好きなんだよ、」
とずーっと喋っていた。
そうしているうちに甥っ子のお母さんがババロアを出してくれて、甥っ子と一緒に食べることになった。

そうすると、なんと、なんと、「美味しいよ、」と一口分けてくれたのだ。私のお皿にも同じ物があるのに、なんて優しいんだ😭
そのあと、甥っ子に高い高いをせがまれて、途中で少しだけで離したりする高い高いチキンレースをした。
楽しかった、すごく幸せだった。あぁ、溶けて消えたい。
不思議な感覚だなと思った。バイト先できったねぇトイレ掃除をしているときも、必死で勉強してるときも、消えたいとか、死にたいとか、そういうネガティブなことは少しも思わない。なのに、心の底からこのまま消えてしまいたいと思った。
これは私が人間で、表層意識では終わることのない進化を、無意識では停滞を、同時に強く要求しているからに他ならないと思う。
私という人間は本当に面倒くさく、矛盾しているのだなと思った。普段は頭からつま先までイキりたち、高等教育に紛れ込む‼️だの、お酒を飲んで頭がおかしくなって、頭のおかしい友達と「バラモン左翼をぶっ飛ばせ‼️」だのなんだの言っているけど、こう、純粋な幸福に触れたときには、今の己の輪郭が怒りや不満でできているから、溶かされてしまうのだ。
大成すれば、学歴や経済といったイデオロギー的幸福ではなく、こういった人と人との純粋なつながりの優しさやあたたかさに触れたときに、溶けて消えてなくなりたくならなくなるのだろうか。
さぁ。大成してからの、お楽しみである。

