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「自分のものさし」心に浮かんできた言葉(003)

 こんにちは「てると大吉」です。早朝、鳥のさえずりが聞こえるようになりました。散歩しているといたるところに春の匂いがします。人間の3,000~10,000倍の嗅覚力を持つという大吉(ダックスフント)はどんなことを感じながら(匂いながら)この春を迎えているのでしょうか。想像してみるだけで楽しくなります。桜もそろそろ咲きはじめました。

愛犬のふと天仰ぐその先に桜の花は咲き初むるなり

流されず自分の目で見るこの世界その方法を友と語らん  (てる)

 さて、今回は「ものの見方」についての話です。

 それは僕が19歳のとき。
 ある先生が教室で「君たちは自分の目でものをみなくてはいけませんよ。自分の頭でものを考えなくてはいけませんよ。」と話されました。
 いわゆる「主体性」の話なのでしょう。

 同じものごとも見方はいろいろある。世間一般ではこうだという見方も、自分はこうだという独断的な見方も、「どちらも君たちの本当の見方ではない」という話でした。なるほどそうだと思いました。

 しかし、「それではどうすれば自分の見方ができるのだろう」と考えて、考えて、考えて、分からなくなっていました。昔から悩むのは得意。

 後日、僕はその先生に「疑問を率直にそのまま」尋ねてみました。
 先生「うーん」と考えて、「ちょつと待っててくれ。次の授業でみんなに話をしよう。」と。

 次の授業での先生の話を、僕は今でもはっきりと覚えている。その時の空気感、先生の声、表情などどともに。
 「なにかに自分が本気で取り組んだ。全身全霊をかけて取り組んだ。そのあとに見えてきたこと、分かったこと、そのことから身についた態度、それらは極めてその人自身のものの見方なのではないでしょうか。」
 
そして「私はこう考えるのですが・・・みなさんはどう思いますか。」と。
 本気・・・全身全霊・・・態度・・・極めてその人自身の・・・いくつかの言葉が僕の心の中で波打っていた。

 あれからどれだけの時間が流れただろう。その先生がご存命かどうかも知らない。しかし、僕の心の中にはあの先生の言葉は消えることなく潜んでいて、判断に迷ったときよみがえる。そして僕は自身に問う「それは本当に自分の見方なのか」と。

 僕はこのことを「自分のものさしの話」と題して話してきた。いろいろな人たちに対して、何度も。それは僕自身、確かに届けたいことをだから。

 そして、うれしいことにこの話は聞いてくれた人へとちゃんと届いていたことを知った。「その人の今」につながっていたのだ。(002-届く-の内容)
 その人は言った。
「言葉で人の心に種をまくことができるのは素敵ですね。」と。

 現場を離れた今、僕はこのnoteでそれができないかなぁと思う。
 誰かにこの種を拾ってもらえたら幸せだなぁと。
   こう書いてしまうと不遜な気がするけど。「心に種をまく」という表現がとても素敵で、少し浮かれてしまったということで。どうぞお許しを。

 今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
 どうぞよい一日を。




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