15,852㎞かけてピラニアとお風呂に入ってきた。
「いや、ぜったい噛まれるっしょ!!」
日本国土の約18倍。
世界最大の流域面積を誇るアマゾン川。
その大アマゾンを有する、ブラジルの都市「マナウス」で4か月間、人生を取り戻す旅をした。
この経験を思い出すたび、過去のことなのに現実味がまるでない。
東京の5畳の部屋にいた22才と、地球のありのままの姿に全身で対峙した現実が、あまりに高低差がある。
これからの人生、あの4カ月を凌ぐ、
「アレ乗り越えたから大丈夫だろ」
を経験ができるだろうか。
わたしが住む東京からの距離
約15,852キロ。
フライトの時間、
36時間45分。
そんな途方もない場所、ブラジル・アマゾナス州・マナウスという都市での本当の物語。
ーー
9年前の大学4年生の夏。
就職活動真っ盛り!というより終盤になっていた。
が
大学の同期は、人気就職ランキング常連の大企業へと続々と就職を決める中、わたしはというと「就職浪人」の4文字が迫っていた。
いや、やりたい仕事が本当にないんです。。。
大学では、1年中大学公認の部活動で仲間との時間に明け暮れ、未来のキャリアに無計画だった男の本音だった。
大学図書館の周りを包む蝉の賑やかな大合唱を背に、エントリーシートを打つはずのパソコンの手の調子は悪かった。

朝(昼?)10時。
就職浪人間際の大学生らしからぬ起床時間。
実家の冷蔵庫に10本ほどストックしていた果汁100%ぶどうジュースを飲み干している時に母が突然話しかけてきた。
「ねぇ、あんたさ。ブラジルとかどう?」
就職活動につまづく息子に母が持ってきた提案は、過激だった。
というか、具体的すぎないか?
国名まで出てきてるぞ?
斜め200℃くらいから母の提案を最後まで聞いた。
どうやら、知り合いの牧師先生が2,30年前に理事長を務めたブラジルの学校が、「日本文化のボランティア教師を探している」とのことだそうだ。
確かに、わたしは22歳にして今後の未来に行き詰まりを感じていた青年だ。藁にもすがる思いにはなっていた。
なっていたが!
ブラジルにすがる覚悟は毛頭ない。
「いや、絶対行かないけどね。」
と前置きをした上で、わたしはなぜか1日30分ほどパソコンを開けて、その学校や都市の詳細を密かに調べるようになっていた。
窮地に立たされた人間は、藁にもブラジルにもすがるのか。
しかし、ブラジルの学校がある都市を調べると、
まぁ、出てくる情報がこわいことこわいこと。
23位
学校がある都市の名はマナウス。
世界危険都市ランキング23位に堂々ランクインする都市であった。
メキシコのメディアが毎年発表する世界危険都市ランキングは、知る人ぞ知る凶悪犯罪等が多い世界の危険都市を紹介するもので、これを見た瞬間
「いや、これは流石にだよ。
流石に、無理。おしまい!」
そう決めた。
ブラジルへ行くか、行かないかの返答に与えられた猶予は1ヶ月だった。
行かないと決めたあとも、わたしは「なにか重大な間違いをしていないか」と心が落ち着かなかった。
「このまま日本にいたとして、何か変わるのか。」
「人の人生には3回ターニングポイントがあるってたしか本で読んだよな」
「いや、いくらなんでもブラジルは攻めすぎでしょ。」
「現地でなんかあったらどうする?洒落になんないよな。」
一歩ずつでも踏み出そうとする覚悟と日本に居残ろうとするブレーキをへし折る勢いの自分。
この狭間で本気で50回は揺れた。
もう、、、いっそのこと誰か決めてくれっ!!!
脳内格闘に疲れ果てた私は、風呂場で叫んだ。
週2日18時にランニングする公園で「今日も人生上げてます〜??」と絡まれる懸垂マニアのタンクトップ兄さんにサイコロで決めてもらおうか。
何度も夢でうなされ、2週間くらい寝不足な日々が続いた。
母の一言から3ヶ月と10日。
就職活動も、プライベートでさえどん底に落ちたわたしには、もう選択肢がなかった。
わたしはブラジル行きのチケットを右手にもち、成田空港にいた。
人生最大の決断を下した後、約4ヶ月間ブラジル・アマゾナス州・マナウスで過ごした。
その経験を全て記したい。
・1人暮らし小屋の真下は、
ワニの親子やタランチュラの天然動物園。
・恩人が銃で襲撃される!
車丸ごと一台奪われた強烈治安。
・虎の餌食は誰だ!
「命懸けジャンケンポン」in アマゾン
・マナウス名物
”ジェットコースターバス”でコーラ事件。
すべて鮮明に思い出せる。
今日は、その賑やかな思い出たちの中でも印象的だった
ピラニアとのお風呂に入った話
これを記録していきたい。
ブラジル生活での恩人は、間違いなく"義さん"だった。
親子ほど歳が離れた義さんは、生粋の釣り人で、
「お前の人生で、
今後2度と味わえないような経験を
させてやる!」
そう言った。
ある日の深夜3時。
強烈な眠気の中、いつもの迎えの音がした。
バルン!バルン、ルンルンルン!
約束通り、4日分の半袖短パンをリュックサックにパンッパンに詰め込み、"義さん"自慢の謎のエンブレムが刻まれた漆黒の車に飛び乗った。
マナウス市街地から車で半日。
速度制限もあったもんじゃない。
映画のアクションシーンのような速度を出しながら、ようやく着いた先は大アマゾンのジャングルにひっそりと立ったロッジだった。

そこには釣り人たちの勲章である大きな魚拓が、壁一面に所狭しと飾られていた。
世界の釣り人の憧れ、
「アマゾン川」
に来たのだ。
あいにく釣りに造詣がないわたしは、そのありがたさを知り得なかった。
しかし、この4日間で文字通りもう2度と体験できない、いや2度はもう心も体ももたない経験をさせてもらうこととなった。
頬に傷を持ち、木の幹を宿した筋骨隆々の男がこちらに歩いてきた。
水色の麻シャツを羽織ったその男は、義さんとハグをした。
彼の名前は、
「Paulo(パウロ)」
今回の釣りの案内人兼船長だった。

「肝の座った目」という言葉は知ってたが、初めてそれを生で見た。
生まれも育ちもジャングル出身のパウロは、文字通り生死を何度も彷徨ってきたという。
日本の温室育ちのわたしにも、その凄みを感じられた。
・ドラキュラのモデルとされる血液だけ飲んで生きるmorcego(コウモリ)
・体重100キロを有に超す全長7mの人飲みcobra(大蛇)
・20センチ程の小体で体内に入り内臓を食い散らかすCandiru(肉食淡水魚)
365日、殺気を放つ数多の危険生物たちと、彼は共存してきた。
パウロは、見た目とは裏腹に穏やかな人だった。
しかし、ジャングルの奥地でこれほど頼もしい人は他にいなかった。
元々は黄色であっただろう、薄茶色のくたびれたボートに乗った。
古びたボートの調子は悪く7、8回エンジンコードを引き、ようやく動き出した。
20分間。
霧がかかった不気味で静かなアマゾン川を進むと、、、
目の前に現れた。

200本
いや500本は、ゆうに超える木が乾季で干上がった川から浮き出ている。
あまりに幻想的な風景。
ここが20年間暮らしてきた地球なのか、そう思うほどに美しかった。
普段から妻に
「ねえねえ知ってた?人って楽しければ、笑っていいんだよ。」
と言われるほど、あまり物事に感動できない質のわたしが、
「ótimo、、、」
と無意識に漏らしたほどだった。
※ポルトガル語で「すごい」「最高」などの意味。
大自然がそのままの姿で残っている美しさに、人は本性を取り戻すのか。
17年間暮らした世界的な創造性に富む大都会、東京。
しかし、この日ほど創造的な光景に出会ったことはない。
15匹-10匹-1匹
初日の釣果は散々だった。
上の数字は、義さん・パウロ・わたしの順だ。
釣り歴皆無のわたしが、釣り糸を垂らしても、アマゾン川は見向きもしてくれなかった。
3,000種を超えるアマゾン川に生息する魚は、釣り竿にただの1匹も引っ掛かってはくれなかったのだ。
しかし、

パウロと義さんの釣竿には、面白いようにかかる。
どうやら、魚を誘うスナップ技術が、わたしには足りていないようだ。
なかなか釣れずに落ち込んでいると、パウロ船長が最終兵器を渡してくれた。
「これを使ってみろ、面白い魚が釣れるぞ」
カエルかヘビか分からない生肉を渡された。
鋭利な木の棒で切られた生肉を釣り針につけ、川に入れた。
くくッ!
釣り竿が揺れた!
明らかになにかかかっている!
ようやく訪れた好機!
無我夢中にリールを巻き、両手で空にグイっと竿を引くと、魚が釣り針にかかっていた。
「釣れた!!」
喜びのあまり、その魚を持とうとしたところ、
「待てっ!!」
と声がかかった。
「ソイツの歯をよく見ろ。」
釣竿を少し上げ、口の中を覗き込むと、鋭くも凹凸がバラバラな奇妙で不気味な歯が見えた。
ピラニア(Piranha)だ。
Piranha = 歯(Ranha)を持つ魚(Pira)
という語源通りの出で立ち。
獰猛さが小さな生き物に宿っているようだった。
かくして、アマゾンで初めて釣った記念すべき魚は、ピラニアだった。


日も落ち、夕凪のように風が落ち着いた頃。
その日の釣りを終え、今晩われわれが泊まる小さな島にボートをつけた。
痛っ!!!
1日中アマゾンの日差しに晒され、上裸で釣りをしていた体は、真っ赤に日焼けしていた。
お腹を空かした人間3人は、26匹の夜ごはんの準備を始めた。
食器やカトラリーのような洒落たものはない。
お皿は木に登ってとった大きな葉っぱだ。お箸は右手だった。
アマゾン飯っ!!
ジャングルで食すご飯は格別で、ピラニアは淡白な味ながら密林の中でのご馳走だった。

高さ20m程の木々、葉と葉がぶつかる音、密林を住処とする動物の気配だけが五感を刺激する世界は、どこよりも透き通っていた。
日本にいた時、徒歩5分のコンビニにも携帯を忘れると退屈していたのに、
4日間 約90時間
携帯電話を触っていなかった。むしろその存在さえ忘れていた。
この地球にもっと浸っていたい、そう思った。
夕食を終えて、寝そべりながらどこまでも高い空をみていると船長パウロが大声で叫んできた。
「お~い、ジャポネース!
ピラニアと風呂に入るぞ~。かさぶたはないよなー?」
「かさぶたはないよ。え?」
パウロと義さんは豪快に服を脱ぎ、真っ裸で川に飛び込んだ。
お二人は、飛び込んだ川でピラニアを釣ったのをお忘れなのだろうか。
「ótimo(最高)!! ótimo(最高)!!」
とそう言いながら、大の大人いや巨漢の男2人が楽しそうに騒いでいる。
確かに、夏に川でお風呂は最高だ。異論はない。
むしろ、そういう青春の一幕はわたしも好きだ。
しかし、それは"安全な川"に限る。
あの2人が入っている川は、きっと違う。
いやぜったい、ちがう。
「おい、早く来い!」
大自然の中、特異な環境とおかしな大人たちに囲まれた22才の青年は感覚が狂い、土でドロドロに汚れた短パンを投げ捨てて、川に飛び込んだ。
感想はというと、
少年時代、田舎に住む友達を訪ね川遊びにいった、あの爽快感と得体の知れない"なにか"が足や背中に触れるたびに、我に返る
爽快と”存在”に怯えるSHOWTIME
だった。

今、振り返っても背筋が凍る。
もうあんなことは一生できる気がしない。
4ヶ月間
ブラジルでの「人生の夏休み」がわたしを変えてくれた。
何不自由ない大都会で、一人暮らしもしたことない22歳の若者。
そんな若者が、15,852キロ離れた地球の裏側で教えてもらった。
地球は、
人生は、
自分は、
思ったより小さくない。
そう知ることができた。
あの日、
嫌になるほど、迷っていたあの日。
ブラジル行きのチケットを握った自分の決断が、わたしを10年後の今日へ連れてきてくれた。
地球に
人生に
自分に
もっと、もっと体当たりしていい。
それらは、わたしたちを受け入れて、あまりある。
あの夏を思い出す度にそう思える。
徒歩2分のスーパーに30分かけて布団から出る出不精。
ラーメン屋さんは、チェーン店しか行けないド安定志向。
友達100人できるかな。より5人の親友と生涯遊ぶ非社会性。
そんな男が、知り得る限りの非日常のフルパッケージを味わってしったことは、人生には歓迎していないモノに遭遇する瞬間があるということだ。
そして、その招かざる瞬間は、大抵避けられない。
ピラニアの川で何を掴んだのか。
度胸?恐怖?達成感?
少し違う気がした。
川底で”ヌジョリ”と独特な砂と土の感触を受け止めた時、「アマゾンと一緒だ。人生は諦め尽くせるほど小さくねえぞ。」
174㎝の身長ギリギリの水位に両手を忙しなく鳩のように動かしながら、その実感を出来るだけ真正面から受け止めようとした。

