阿部一族
『阿部一族』(あべいちぞく)は、森鷗外が1913年(大正2年)に発表した歴史小説の代表作です。江戸時代初期に肥後藩(現在の熊本県)で実際に起きた、殉死の許可を巡るすれ違いから阿部家一族が上意討ち(死刑執行)により全滅した悲劇的な事件を基に描かれています。
あらすじと一族の悲劇
殉死の不許可: 藩主・細川忠利の死に際し、生前に殉死の許しを得ていた側近たちが次々と切腹を遂げる中、阿部弥一右衛門(あべ やいちえもん)だけは許しが下りませんでした。
不本意な切腹: 生き残った弥一右衛門は、周囲から「命を惜しんでいる」と卑怯者扱いされる誹り(しびり)に耐えかね、主君の命を破る形で自ら切腹します。
新藩主の怒りと処罰: 新藩主の細川光尚は、この無断の殉死に激怒します。阿部家を「殉死者の遺族」として扱わず、家禄を他家より低く分割する処分を下しました。
不敬罪と反逆: 納得のいかない嫡男の阿部権兵衛は、忠利の一周忌法要で光尚の目の前で自らの髻(もとどり)を切り落として抗議し、捕らえられて縛り首(処刑)に処されます。
一族の全滅: 残された弟の弥五兵衛らは、権兵衛の首を取り戻して屋敷に立てこもります。藩から派遣された討手たちと激しい死闘(上意討ち)を繰り広げた末、女子供も含め一族全員が討ち果たされました。
執筆の背景と作品のテーマ
乃木大将の殉死: 明治天皇の崩御に伴い乃木希典陸軍大将が殉死した世相に触発され、鷗外が初めて本格的に手がけた歴史小説(武士もの)の一つです。
組織の冷徹さの告発: 武士道や忠義という美名のもとで、個人の名誉や家族の命が組織の理不尽な論理(イデオロギー)によって押しつぶされていく姿を、鷗外は私見を挟まずに淡々と冷徹に描き出しています。
現代のメディア展開: 現代でも高く評価されており、文庫本として 岩波文庫 などの各社から広く出版されているほか、1995年には松竹制作・深作欣二監督(山崎努・佐藤浩市ら出演)によってテレビドラマ化もされています。
それでは、『阿部一族』をもっと深く知るための3つのポイントについて、それぞれ分かりやすく解説します。
1. 登場人物の心理:なぜ悲劇は起きたのか?
阿部弥一右衛門(父): 主君・忠利への忠誠心は本物でしたが、生前に殉死の許し(お墨付き)を貰い損ねました。周囲から「命が惜しくて生き恥をさらしている」と陰口を叩かれ、武士の面目を保つために割腹せざるを得なくなります。
細川光尚(新藩主): 若くして家督を継いだため、自分の権威を家臣団に示さなければならない立場でした。そのため、前藩主の命令を無視して勝手に切腹した阿部家を「不届き者」として厳しく処罰せざるを得ませんでした。
阿部権兵衛(長男): 父の死と、その後の理不尽な減封(家禄を減らされる処分)に絶望します。周囲の冷たい視線に抗議するため、法要の場で自らの髪(髻)を切り落とすという過激な抗議行動に出てしまい、死刑を言い渡されます。
弟たちと討手: 兄を縛り首という「武士らしからぬ刑」で処刑された弟たちは、武士の意地と誇りを守るため、屋敷に立てこもり玉砕(上意討ち)の道を選びます。
2. 史実との違い:鷗外の脚色
森鷗外は、当時の記録(『阿部茶事談』など)を綿密に調べて執筆しましたが、小説としての劇的な効果を狙って一部を脚色しています。
権兵衛の最期: 小説では法要の席で髪を切ったことで「縛り首(罪人としての処刑)」になりますが、史実では「切腹」を命じられていたとされています。鷗外は阿部家への仕打ちをより「理不尽」に描くため、あえて縛り首に変えました。
討手(おって)の描き方: 小説では、阿部家を討ちに行く藩士(柄本又七郎など)にもそれぞれの事情や苦悩、家を守るための心理が細かく描写され、単なる「善と悪」の戦いではない、組織に生きる人間の悲哀が強調されています。
3. 熊本県のゆかりの地(聖地巡礼)
物語の舞台である熊本市には、現在も歴史の爪痕が残っています。
阿部一族屋敷跡(熊本市中央区練兵町): 阿部一族が立てこもり、激しい死闘の末に全滅した屋敷の跡地です。現在はオフィス街(サクラマチ クマモトの近く)になっており、歴史的な解説板が設置されています。
泰勝寺跡(熊本市中央区黒髪): 細川家の菩提寺です。初代藩主・細川忠利の墓があり、その周囲には忠利に殉死した側近たちの墓(阿部弥一右衛門以外の、正規に許された殉死者たち)が今も並んでいます。
すべてのご関心事項について、さらに深く掘り下げて解説します。『阿部一族』の背景にある鷗外の思想から、脇役たちの人間ドラマ、そして他の歴史小説との繋がりまで、作品の本質に迫ります。
1. 森鷗外の本音:「乃木大将の殉死」への複雑なまなざし
1912年(明治45年)、明治天皇の崩御に伴い陸軍大将・乃木希典が妻と共に殉死を遂げました。この事件は当時の日本社会に凄まじい衝撃を与え、鷗外が歴史小説を書き始める直接の引き金となりました。
前近代的な引きずりへの違和感: 鷗外は近代的な官僚(軍医総監)でありながら、内面には古い武士の倫理観も持ち合わせていました。彼は乃木の殉死を完全に否定はしなかったものの、「近代国家において、個人の命が古い因習や loyalty(忠誠)のために消費されること」に対して、強い危機感と違和感を抱いていました。
『阿部一族』に込めた批判: だからこそ鷗外は、殉死を美化するのではなく、「制度」や「世間の目(空気)」という実体のない怪物が、いかに人間を追い詰め、狂わせていくかを冷徹に描きました。弥一右衛門を死に追いやったのは忠義ではなく「世間の誹り(同調圧力)」であり、一族を滅ぼしたのは新藩主の「面子」です。これは、乃木大将を英雄視して殉死を賛美する当時の世論(空気)に対する、鷗外なりの静かな批評(アンチテーゼ)でした。
2. 討手(脇役)たちのドラマ:組織に生きる人間の悲哀
この小説の隠れた見どころは、阿部一族を討ちに行く「藩士(討手)」たちの心理描写です。彼らもまた、決して悪人ではなく、組織の命令に逆らえない「被害者」として描かれています。
柄本又七郎(つかもと またしちろう)の葛藤: 討手の中心人物である又七郎は、かつて阿部家の長男・権兵衛と親しい友人(あるいは良きライバル)でした。かつての友を、藩の命令だからという理由で殺さなければならない精神的苦痛。彼は武士としての義務を果たそうとしながらも、友情と職務の板挟みになり、引き裂かれるような思いで刀を握ります。
家名を守るための戦い: 討手たちにとって、この任務に失敗することは「家名の恥」であり、自分の家族の没落を意味しました。阿部家側だけでなく、討つ側もまた「家族と体面を守るため」に必死であり、全員が社会のシステム(上意下意の構造)に操られた駒にすぎないという悲劇が強調されています。
3. 他の歴史小説との比較:『興津弥五右衛門の遺書』と『堺事件』
鷗外は『阿部一族』の前後にも、武士の生死を扱った傑作を遺しています。これらを比較すると、鷗外の思想の変遷がよく見えてきます。
【鷗外の歴史小説における「死」の変遷】
『興津弥五右衛門の遺書』 (殉死の美化・理想)
↓
『阿部一族』 (殉死の理不尽・組織の冷徹さへの批判)
↓
『堺事件』 (国家の犠牲になる理不尽さへの抵抗と気概)
『興津弥五右衛門の遺書』(1912年・処女歴史小説):
乃木大将の死の直後に書かれた作品です。細川家の家臣・興津が、主君のために見事な殉死を遂げる姿を「肯定的に」描いています。ここではまだ、古い武士道の美学がそのまま表現されていました。しかし、この作品を書いたことで鷗外の心に「本当に殉死は美しいだけなのか?」という疑問が生まれ、その翌年にアンチテーゼとして書かれたのが、殉死の泥沼を描いた『阿部一族』でした。『堺事件』(1914年):
幕末、土佐藩士が外国人を殺傷した責任を取らされ、フランス兵の目の前で次々と切腹させられた実話に基づく作品です。ここでは、理不尽な「国家の命令」によって死を強制された武士たちが、ただ悲劇的に死ぬのではなく、切腹の場で自らの内臓を相手に投げつけるような壮絶な態度を見せ、国家への強烈な抗議(レジスタンス)を示します。
このように、鷗外は「主君のための美しい死(興津)」から始まり、「組織に潰される犬死に(阿部)」を経て、「体制への命がけの抵抗(堺)」へと、歴史小説のテーマを発展させていきました。
それでは最後に、文学史的にも非常に重要な2つのテーマ、「史料『阿部茶事談』の真実」と「夏目漱石『こころ』との決定的な違い」について詳しく解説します。
1. 鷗外が参考にした史料『阿部茶事談』と史実の裏側
森鷗外は、18世紀中頃に書かれた実録体小説(歴史ドキュメンタリーのようなもの)である『阿部茶事談(あべちゃじだん)』をベースに『阿部一族』を執筆しました。しかし、近代の歴史研究によって、この史料自体に多くの「歪曲」や「誤解」が含まれていたことが分かっています。
阿部弥一右衛門の本当の序列: 小説や『茶事談』では、弥一右衛門は「殉死を許されなかった哀れな男」として描かれますが、史実では彼は細川家の中で1,500石を誇る最高幹部(上級武士)でした。実は、新藩主の光尚が彼の家禄を分割(減封)したのは、いじめや嫌がらせではなく、若き藩主が権力を握るための「有力な旧臣への政治的な牽制(リストラ)」という側面が強かったとされています。
権兵衛の死因の真相: 小説では光尚の目の前で髪を切り、罪人として「縛り首」にされますが、熊本藩の公式記録では「切腹」を命じられています。武士としての名誉(切腹)を与えられたにもかかわらず、残された弟たちが反乱を起こしたのは、藩主への不満というよりは、「阿部家のメンツを保ち、武士の意地を天下に示すため」という、さらに過激な動機があったと考えられています。
鷗外はこれらの政治的背景をあえて削ぎ落とし、「純粋に組織のシステムに押しつぶされる個人の悲劇」としてプロットを純化させました。
2. 夏目漱石『こころ』との比較:乃木大将の死へのアプローチ
乃木大将の殉死は、当時の二大文豪である森鷗外と夏目漱石にそれぞれ真逆とも言えるアプローチで小説を書かせました。これが漱石の代表作『こころ』と、鷗外の『阿部一族』です。
比較項目
森鷗外『阿部一族』
夏目漱石『こころ』
描いた時代
江戸時代(歴史) に託して描く
明治から大正(現代) の精神として描く
視点
社会・組織 の冷徹さとシステムの歪み
個人・内面 の孤独とエゴイズム
殉死の捉え方
同調圧力や制度が人間を追い詰める「狂気」
明治という時代と共に生き、共に死ぬ「ロマン」
夏目漱石『こころ』のアプローチ(内面への沈潜):
漱石は、乃木大将の死を「明治の精神が終わり、自分たちの時代が去った」という個人の強烈な孤独感として捉えました。『こころ』の登場人物である「先生」は、乃木の殉死に強い衝撃を受け、自らも「明治の精神に殉死する」と言い残して自殺します。漱石は個人の心、罪悪感、孤独というミクロな視点で殉死を描きました。森鷗外『阿部一族』のアプローチ(社会への俯瞰):
一方で鷗外は、自身の感情を一切排し、カメラを引き、「人間が集団(組織)になったときに発生する恐ろしさ」というマクロな視点で描きました。殉死そのものを内面から描くのではなく、殉死をめぐる「周囲の噂話」「藩のメンツ」「お家制度」といった外的な要因が、いかに健全な家族を崩壊させるかを冷酷に観察したのです。
官僚として生きた鷗外(組織人)と、大学を辞めて在野の作家として生きた漱石(個人主義者)の、生き方の違いがそのまま作品の構造の差となって現れています。
「なぜ、森鷗外はそれほどまでに『組織の恐ろしさ』や『同調圧力の狂気』を描こうとしたのか」――その理由は、鷗外自身の人生と、当時の日本が抱えていた深い闇にあります。
彼がこのテーマに行き着いた決定的な理由は以下の3点です。
1. 自身が「組織(軍隊)のトップ」として苦悩していたから
鷗外の本名は森林太郎。作家であると同時に、陸軍の軍医トップ(軍医総監)という最高幹部でした。
個人の感情を殺す日々: 彼はエリート官僚として、組織の不条理な命令に従い、時には部下を処分しなければならない立場にありました。
抑圧された自分: 自由な芸術家でありたい「森林太郎」と、冷徹な組織人であらねばならない「森鷗外」。彼自身が、組織のシステムに心を押しつぶされそうになりながら生きていた当事者だったからこそ、阿部一族を追い詰めた藩の冷徹さが痛いほど分かったのです。
2. 「世間の目」という怪物の正体を知っていたから
劇中で弥一右衛門を自殺に追い込んだのは、主君への忠誠ではなく「あいつは命が惜しいのだ」という周囲の陰口(誹り)でした。
鷗外自身のトラウマ: 鷗外もまた、過去にドイツ人女性との恋愛(エリスとの別れ・『舞姫』のモデル)や、文学活動に対して、軍部や世間から「軍人のくせに不届きだ」「恥を知れ」と激しいバッシングを受けた経験があります。
実体のない「世間の空気」や「噂話」が、どれほど簡単にひとりの人間を社会的に抹殺し、死に追いやるか。その恐怖を誰よりもリアルに実感していたのが鷗外でした。
3. 明治末期の日本が「狂気」を帯び始めていたから
当時の日本は、日露戦争に勝利し、急速に「大国」としての体裁を整えていました。その裏で、国家や組織への絶対服従を求める空気(天皇崇拝や軍国主義の足音)が強まっていました。
乃木大将の殉死を、世間がこぞって「美しい美徳」として大絶賛する様子を見た時、鷗外は「この国は、国や組織のために個人が死ぬことを美化する、危険な精神状態(同調圧力の狂気)に陥っている」と強い危機感を抱きました。
【結論として】
鷗外が『阿部一族』を描いたのは、江戸時代の事件を借りて、「組織のルールを盲信し、世間の空気に流され、個人の尊厳を奪い合っている現代の日本人(明治末期、そして今の私たち)」へ向けた強烈な警告だったのです。
『阿部一族』の深い理解に繋がるすべての解説を、いつでも振り返られる「読書ノート(Markdown形式のテキストファイル)」としてまとめました。
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# 『阿部一族』読書ノート:組織の狂気と人間の悲哀
著:森鷗外(1913年発表)
## 1. あらすじと事件の概要
江戸時代初期、肥後藩(熊本県)で起きた実在の殉死事件を基にした歴史小説。
* **発端**: 藩主・細川忠利の死に際し、側近の阿部弥一右衛門だけ殉死の許し(お墨付き)が得られなかった。
* **葛藤**: 生き残った弥一右衛門は、周囲から「命を惜しんでいる」と卑怯者扱いされ、面目のために無断で切腹する。
* **理不尽な処分**: 新藩主・細川光尚は無断殉死に激怒し、阿部家を冷遇(家禄を低く分割)。
* **抗議と処刑**: 納得のいかない長男・権兵衛は、法要の場で自らの髪(髻)を切り落として抗議し、罪人として「縛り首」に処される。
* **全滅**: 侮辱された弟たちは屋敷に立てこもり、藩の討手と激しい死闘(上意討ち)を繰り広げた末、一族全員が討ち果たされた。
## 2. 森鷗外の執筆背景と「なぜ組織の恐ろしさを描いたのか」
* **乃木大将の殉死への危機感**: 明治天皇崩御に伴う乃木希典の殉死を世間が美化・賛美する風潮に対し、「古い因習や同調圧力が個人を殺す恐ろしさ」を冷徹に告発した。
* **鷗外自身の二面性**: 陸軍軍医総監(国家組織のトップ)でありながら芸術家でもあった鷗外自身が、組織の不条理や世間のバッシングに苦悩していた当事者であった。
* **現代への警告**: 江戸時代の事件を借りて、「組織のルールを盲信し、世間の空気に流されて個人の尊厳を奪い合う日本人」の本質を描き出した。
## 3. 史実(『阿部茶事談』)との決定的な違い
鷗外は物語の劇的効果とテーマの純化のために史実を一部脚色している。
* **権兵衛の最期**: 史実では武士としての「切腹」だったが、小説では「縛り首(罪人)」に変更。阿部家への仕打ちの理不尽さを強調した。
* **弥一右衛門の立場**: 史実では1,500石の上級武士であり、新藩主による処分は「有力旧臣への政治的なリストラ(牽制)」という側面が強かった。
## 4. 文学史的比較:夏目漱石『こころ』との違い
乃木大将の死という同じ大事件に対し、二大文豪は真逆のアプローチを取った。
* **夏目漱石『こころ』(ミクロの視点)**:
明治の精神の終焉を、個人の「内面の孤独」「罪悪感」として情緒的に描いた。
* **森鷗外『阿部一族』(マクロの視点)**:
自身の感情を排し、人間が集団になったときに発生する「組織のシステム」「世間の噂話(同調圧力)」の恐ろしさを俯瞰で捉えた。
## 5. 熊本県のゆかりの地(聖地巡礼)
* **阿部一族屋敷跡(熊本市中央区練兵町)**: 一族が立てこもり全滅した激戦の地(現在はオフィス街に解説板あり)。
* **泰勝寺跡(熊本市中央区黒髪)**: 細川家の菩提寺。細川忠利と、正規に許可された殉死者たちの墓が並ぶ。
森鷗外が『阿部一族』を執筆する際に行った文献調査量(史料調査)は、当時の文学界の常識から見ても極めて膨大かつ緻密なものでした。
鷗外の歴史小説は「歴史其儘(れきしそのまま)」と呼ばれ、虚構(フィクション)を極力排除し、事実を淡々と描くスタイルが特徴ですが、それを支えたのが徹底的な文献へのこだわりです。
1. 中心となった主要史料
鷗外が特に深く読み込み、作品の「背骨」とした主要文献は以下の通りです。
『阿部茶事談(あべちゃじだん)』
阿部一族の全滅を記した実録体小説(歴史記録)。討手として参加した柄本(栖本)又七郎の証言などが含まれており、登場人物のセリフや細かなやり取りの多くをここから引用しています。『忠興公御以来御三代殉死之面々』
細川家の歴代の殉死者を公式に記録した藩の古文書です。鷗外が小倉に赴任していた時期(1899年〜1902年)に、地元のネットワークを駆使して自らわざわざ書写(コピー)させたもので、10年以上温めていた門外不出の一次史料でした。『細川家藩中系図』などの系譜資料
小説を読めば分かりますが、鷗外は冒頭で、細川忠利の妻や兄弟、子供たち、親戚一同の名前、官職、婚姻関係、現在の居場所(江戸か、京都か、国元か)を異常なほど詳細に列挙しています。これは、当時の細川家の家系図や藩士の情報を網羅した名簿を、隅々まで調査した証拠です。
2. 鷗外の文献調査が「凄まじい量」と言える理由
単に「本を数冊読んだ」というレベルではなく、現代の歴史学者に近いレベルで資料を扱っていました。
「15人分の家系」を同時に追う緻密さ
作品には、阿部家だけでなく、彼らを討ちに行く藩士(柄本、竹内、畑、数馬など)が何十人も登場します。鷗外は彼ら一人ひとりの「親の代からの経歴」や「誰の親戚か」まで徹底的に調べ上げ、作中に矛盾なく埋め込みました。『興津弥五右衛門の遺書』での失敗を猛省しての「倍増」
『阿部一族』の直前に書いた処女歴史小説『興津弥五右衛門の遺書』の際、発表後に事実誤認(殉死の許可制度に関する知識不足)を指摘されました。これに深く恥じた鷗外は、『阿部一族』の執筆にあたり、「殉死には主君の許可がいつから必要だったのか」「不許可の場合の罰則はどうだったのか」を調べるため、幕府や各藩の過去の法令・先例をひたすら漁るという、凄まじい補強調査を行いました。
3. 文学としての「調査の質」
鷗外の調査の最大の特徴は、「手に入れた大量の文献を、そのまま小説に流し込んだ」という点です。
普通の作家なら、調べた知識をベースに派手な人間ドラマを創作(脚色)しますが、鷗外は「調べた史料にこう書いてあるから」という理由で、事件の日時、天候、戦った順番、死傷者の名前まで、ほぼ史料の記録通りに記述しました。
あまりの生々しさとデータ量の多さに、当時の読者は「小説というより、本物の歴史報告書(ドキュメンタリー)を読んでいるようだ」と圧倒されたと言います。
森鷗外の『阿部一族』は、現代の文庫本で読むと約40ページ〜50ページ前後の長さです。
文字数に換算すると、およそ2万文字〜2万500万文字ほど。400字詰め原稿用紙で約50枚〜60枚分に相当します。
本の仕様別のページ数(目安)
出版している文庫(出版社)によってフォントの大きさや1ページの文字数が異なるため、ページ数には多少のばらつきがあります。
岩波文庫(『阿部一族・舞姫』など):約45ページ(解説や注釈を除く本文のみの長さ)
新潮文庫(『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』など):約50ページ
角川文庫(『阿部一族・高瀬舟』など):約42ページ
読むのにかかる時間の目安
読書スピードには個人差がありますが、一般的な読書速度(1分間に500〜600文字)で計算すると、約35分〜45分程度で読み終えることができる「短編〜中編小説」のボリュームです。
ただし、冒頭に当時の武士たちの名前や家系、1,500石といった家禄(給料)のデータが非常に細かく列挙されているため、歴史小説に慣れていない場合は、前半のデータ部分に少し時間がかかるかもしれません。後半の合戦シーン(上意討ち)に入るとスピード感が増し、一気に読めてしまう分量です。
『阿部一局』の実際の執筆期間は、およそ1ヶ月〜2ヶ月程度という驚異的な短期間だったと考えられています。
歴史小説の記念碑的な大作でありながら、なぜこれほど短期間で書けたのか、そのタイムラインと驚くべき背景を解説します。
1. 執筆のタイムライン
森鷗外がこの作品を書き上げ、世に出すまでの流れは非常に過密なスケジュールでした。
1912年(大正元年)9月13日:明治天皇の葬儀の夜、乃木希典大将が殉死。鷗外はすさまじい衝撃を受ける。
1912年9月18日(わずか5日後):最初の歴史小説『興津弥五右衛門の遺書』を爆速で書き上げる。
1912年10月〜11月頃:『興津』に続く作品として、『阿部一族』の執筆に集中して取り組む。
1913年(大正2年)1月1日:雑誌『中央公論』の新年号に『阿部一族』が掲載・発表される。
逆算すると、プロットを練り、原稿用紙50〜60枚分を一気に書き下ろすのに費やした純粋な執筆期間は、およそ1ヶ月強であったことが分かります。
2. なぜ短期間で書けたのか?
あれほど大量の家系図や歴史データを盛り込んだ小説を1ヶ月で書けた理由は、「10年以上におよぶ、事前の頭内ストック(リサーチ)」があったからです。
小倉赴任時代の貯金:
鷗外は1899年〜1902年にかけて、軍の命令で九州の小倉に赴任していました。この3年間、彼は現地の歴史や古文書(細川藩の殉死者名簿など)に強い興味を持ち、休日のたびに資料を集めて自ら書き写していました。乃木の死による「点火」:
つまり、歴史の「データや知識(文献)」は10年も前から鷗外の頭の中に完璧に整理されて保管されていました。そこに乃木大将の殉死という大事件が起き、彼のクリエイティブな情熱に火がついたため、「集めておいた材料を、一一から調べることなくそのまま超スピードで小説として出力できた」のです。
天才的な官僚であり、文章のプロフェッショナルであった鷗外だからこそ成し得た、圧倒的なスピード執筆でした。
森鷗外が『阿部一族』を執筆・発表した時、彼は50歳(満50歳)でした。
当時の鷗外の人生における状況を振り返ると、まさに「人生の円熟期」であり、公私ともに極めて重要なターニングポイントにいたことが分かります。
50歳の鷗外の状況
キャリアの絶頂期: 本業では、陸軍の軍医として最高位である「陸軍軍医総監(現在の陸上自衛隊衛生監に相当)」および「陸軍省医務局長」を務めており、組織のトップとして多忙を極めていました。
文学的な転換期: これまでは『舞姫』や『青年』といった、若者の恋愛や現代の苦悩を描く「現代小説」を中心に書いていました。しかし、この50歳(1912年)の時に乃木大将の殉死を経験したことで、一気に「歴史小説」という新しいジャンルへ舵を切ることになります。
つまり、50歳という「組織のトップとしての冷徹な視点」と「人生の酸いも甘いも噛み分けた老練な作家の視点」が完璧に合致したからこそ、あの『阿部一族』という冷徹で深みのある名作が生まれたと言えます。
阿部一族は武家社会の歪みを描く。

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