役割が人を生かす社会
人は、置かれる役割によって、力を出しやすくなることもあれば、消耗することもある。
同じ人でも、任される仕事や立つ場所によって、見え方は変わる。
よく働ける場所では、努力が自然に積み上がる。
合わない役割の中では、能力があっても力を失っていく。
社会は、役割を細かく分けることで発展してきた。
一人で担うには大きな仕事を、多くの人が分け合うことで、社会は複雑な営みを扱えるようになった。
作る人、運ぶ人、教える人、治す人、整える人が、それぞれの場所を担う。
役割が分かれることで技術は磨かれ、社会全体でできることも増えてきた。
分業は、社会ができることを増やしてきた。
その一方で、分業は多くのずれも生み出してきた。
ある場所では人が足りず、別の場所では人が余る。
ある仕事は高く評価され、別の仕事は低く見られる。
社会を支えるうえで必要な役割であっても、報われにくいものがある。
そのずれは、人の数だけに現れるものではない。
人と役割の関係にも現れる。
向いている人が必要な場所から離れ、力を出せる人が別の場所で消耗する。
社会全体では人手不足が語られ、個人の側では働きにくさや生きづらさが語られる。
その二つは、別々の問題に見えて、人と役割のずれという点でつながっている。
分業が細かくなった社会では、先に役割の形が作られ、そこに人が入っていくことが多い。
会社では、仕事の中身よりも、空いた場所に人を入れることが優先される場面がある。
学校でも、子どもの違いより、同じ進度や同じ評価の形が先に置かれる。
家庭や地域でも、年齢や性別によって、担うものがいつの間にか決まることがある。
どの場所でも、人の違いより、先にある役割の形が強く働いている。
人はみな、それぞれ違っている。
人によって、力を出しやすい場面は異なる。
速く判断することで力を出す人がいる。
時間をかけて整えることで力を出す人もいる。
前に立つ人だけでなく、見えにくい場所で全体を支える人も、社会には必要である。
その違いと役割の形がずれると、個人にも社会にも無理が生じる。
静かに考える人が、速さばかりを求められる。
丁寧に整える人が、大きな声で成果を示すことを求められる。
人を支えることに向いている人が、数字だけで評価される。
前に出て動ける人が、細かな管理の中で力を失うこともある。
大切なのは、それぞれの人が、力を出しやすい役割を担える社会を作っていくことだ。
役割は、人の性質や関心、経験や生活状況に応じて、少しずつ見つけていくものだろう。
社会の側にも、人の違いを受け止めながら、役割の置き方を調整していく力が求められる。
そのためには、人と役割の関係を時間をかけて見ていく必要がある。
自分に向いた場所を、本人が見つけるまでにも時間がかかる。
好きなことと向いていることが重なる人もいれば、別々に現れる人もいる。
若い頃に力を出せた場所が、年齢や生活の変化によって合わなくなることもある。
人の側も変わり、社会の側も変わる。
だからこそ、役割は一度決めた後も、何度も見直される必要がある。
そこには、個人の努力に加えて、社会の仕組みも必要になる。
人が自分の力を出しやすい場所に近づくには、教育、仕事、家庭、地域の側にも、役割を動かせる仕組みが必要になる。
まず試し、役割にずれが出れば調整できる余地がいる。
そうした余地があるほど、人は自分の力を社会の中で使いやすくなる。
分業によって発展してきた社会は、次に、分業によって生まれたずれを整える段階に入っている。
役割を細かく分けた社会には、人を生かすための調整も必要になる。
分けられた役割と、そこに立つ人との間を、どう結び直すか。
その問いに向き合うことが、これからの分業社会の課題である。
人は、役割の中で消耗することもあれば、役割の中で生かされることもある。
