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場には場の筋がある──合理と道理で考えるコミュニティ

コミュニティという言葉は、家族、職場、地域、趣味の集まり、オンライン上のつながりまで含んでいる。
同じ言葉で呼ばれていても、それぞれの場が何のためにあるかは違う。

人が集まる場には、勝つことを目的にする場もあれば、支えること、成果を出すこと、感情を一時的に外へ出すことを目的にする場もある。
場の目的が違えば、そこで求められる合理と道理も変わる。
それぞれの場には、それぞれの筋がある。
目的にそぐわない行為は、その場の働きを壊す。


1. コミュニティは目的によって変わる

人が集まる場は、集まる理由によって性格が変わる。
職場のチームは仕事を進めるためにあり、スポーツチームは勝つためにある。
地域の集まりは暮らしを支え、友人関係は互いの時間や感情を分け合う。

営利企業、地元の仲間、商店街、家族、趣味の集まり、会社帰りに同僚と立ち寄る居酒屋も、人が集まる場である。
しかし、その成り立ちは同じではない。
そこに集まる人が求めているものも違う。

勝つために集まった人は、勝つための基準を求める。
支え合うために集まった人は、簡単に切り捨てられない関係を求める。
育てるために作られた場では、今の効率だけで人を扱うと、将来の力が育ちにくい。
愚痴をこぼすための場では、正論ばかりを求めると、感情を逃がす場として働きにくくなる。

同じ厳しさでも、勝つための場では必要な規律になる。
同じ優しさでも、競争の場では目的を曖昧にすることがある。
同じ正論でも、会議では必要な確認になり、愚痴の場では感情を逃がす働きを妨げることがある。

コミュニティに同じ姿を求めると、場ごとの目的の違いを扱いにくくなる。
人が集まる場には目的がある。
その目的に沿って、そこで許される行為と、場を壊す行為が分かれていく。


2. 合理は目的を進め、道理は関係を保つ

合理とは、目的に対して筋が通っていることである。
限られた時間、人員、資金、情報を使い、目的に近づくための考え方である。
合理は、目的から見た筋である。

勝つ、稼ぐ、管理する、続けるといった目的がある時、合理は場を前に進める力になる。
合理は、優先順位をつけ、成果に近いものを選び、無駄を減らす。

道理とは、人間関係の中で筋が通っていることである。
世話になった人を大切にし、弱い立場の人にも配慮し、順番を踏み、説明を尽くし、支えてきた人に敬意を払う。
道理は、人と人との間から見た筋である。

そうした筋がある時、道理は場に納得を残す力になる。
合理と道理は、場の目的に応じて配分が変わる。
短期で成果を出す場では合理が強く働き、長く関係を保つ場では道理が強く働く。
人を育てる場では、合理と道理の両方が求められる。

場を壊すのは、合理や道理そのものではなく、場の目的とのずれである。
場の目的に合わない合理も、場の目的に合わない道理も、場を壊す。


3. 目的にそぐわない行為が場を壊す

勝つための場で、仲のよさだけを基準にすれば、勝つために努力している人は離れていく。
成果を出すための場で、貢献の差を見ないようにすれば、成果を出している人ほど不満を持つ。
目的達成のために集まった場では、過度な人情が場の働きを弱めることがある。

支え合うための場で、役に立つ人だけを残そうとすれば、その場は支え合いの場として働きにくくなる。
友人のつながりに損得だけを持ち込めば、関係は早く整理されるが、弱った時に戻る場所は残りにくい。
道理を重んじる場では、過度な合理が居場所としての働きを弱めることがある。

愚痴をこぼすための場で、正論を急げば、そこにいる人は感情を出しにくくなる。
その場では、解決策を探す前に、感情を一度外へ出すことが求められている。
正しいことを言っていても、場の目的にそぐわなければ、場はしらける。

同じ行為でも、場によって意味が変わる。
厳しく選ぶことが必要な場もあれば、待つことが必要な場もある。
説明より判断を急ぐ場もあれば、判断より説明を重んじる場もある。
正論よりも、感情を一度受け流すことが必要な場もある。

その場の目的と、そこで行われる振る舞いのずれが大きくなるほど、場の筋は失われていく。
そこに集まった人は、自分が求めていた場ではなくなったと感じるようになる。


4. 合理と道理の配分が場を形づくる

コミュニティは、合理と道理のどちらを強めるかによって、集まる人の振る舞いが変わる。
目的達成を優先する場では合理が前に出て、関係を残す場では道理が前に出る。
成果と納得を同時に扱う場では合理と道理の両方が求められ、感情を吐き出すだけの場では合理も道理も中心には置かれない。

この違いは、場の目的の違いを示している。
それぞれの場には、それぞれの目的がある。
場の目的が違えば、そこで求められる合理と道理の配分も変わる。

4.1 合理を強め、道理を薄くする場

合理を強め、道理を薄くする場は、目的達成を優先する。
代表的な例は、営利企業である。
特に、成果主義の強い外資系企業を考えると、この性格が見えやすい。

企業は利益を出し、事業を継続し、市場で競争することを求められる。
そのため、業績が悪くなれば事業を縮小し、人員整理を行うことがある。
成果が出ない人は重要な役割から外され、より成果を出せる人に資源が集中する。

こうした判断は、企業の目的から見れば合理に合っている。
赤字の部門を残し続ければ、企業全体の存続にも影響するため、資金と人員を成果の出る場所へ移すことには理由がある。

一方で、働く人の側には簡単に納得しにくい事情が残る。
長く会社を支えてきた人が、業績悪化を理由に突然整理されることがある。
家庭を抱えた人の生活が、本人の努力だけではどうにもならない経営環境の変化によって大きく変わることもある。

企業の合理と、そこで働く人間の道理は、同じ方向を向くとは限らない。
経営の数字から見れば必要な判断でも、働く人の側から見れば、あまりに割り切られた扱いに見えることがある。
合法的な手続きが取られていても、人の納得まで残るとは限らない。

この場では、成果より在籍年数や情を優先しすぎることも、場の働きを損なう。
企業という場で、成果よりも在籍年数や情だけを優先し続ければ、競争力は落ち、その場は企業として機能しにくくなる。

ただし、合理を強める場にも限度がある。
すべてを役に立つかどうかで扱えば、人は長く働く存在として扱われにくくなる。
企業で必要な合理が、友人関係や地域や家族にまで入り込むと、関係そのものが薄くなる。
合理は、目的に沿って使われる時に力を持つ。

4.2 道理を厚くし、合理を抑える場

道理を厚くし、合理を抑える場は、関係を残すことを優先する。
ステレオタイプとしてのギャル社会、地元の仲間、下町の商店街などが分かりやすい。

友だちが落ち込んでいれば予定を変えて会いに行き、昔の仲間が困っていれば仕事を紹介する。
近所の店が少し高くても顔を出して買い物をし、不器用な人にも時間をかけて付き合う。

合理だけで見れば、こうした振る舞いには手間がかかる。
時間もお金も使い、関係を切った方が楽な場合や、能力のある人だけで進めた方が早い場合もある。

しかし、この場では、人を成果や効率だけで切らないことに意味がある。
ギャル社会のような関係では、正しい助言よりも、来てくれたこと、聞いてくれたこと、味方でいてくれたことが重くなる。
損得や効率だけを持ち込めば、関係は整理されるが、友だちとしての場は失われる。

つらい時にはそばにいる。
世話になった人を大切にする。
弱った時にも居場所を残す。
道理を厚くする場は、人が役に立たない時にも関係を残す。

この場では、効率だけで人を整理し始めた時に、居場所としての働きが損なわれる。
支え合うための場で、役に立つ人だけを残せば、居場所としての働きは弱まる。

もちろん、道理を厚くする場にも限度がある。
義理や空気が強くなりすぎれば、個人の自由を圧迫する。
古い関係を大切にするあまり、新しい人が入りにくくなる。
道理は人を支えるが、過剰になれば関係の負担を増やす。

4.3 合理と道理、両方が求められる場

合理と道理、両方が求められる場では、成果を出すことと、人が納得して残ることの両方が問われる。
分かりやすい例は、よく運営された会社のチームである。

会社のチームでは、成果を出す人が評価される必要がある。
仕事を前に進めるには、誰が結果を出しているかを見なければならない。
一方で、成果に表れにくい調整、後始末、連絡、育成、空気の管理も、場を支えている。

成果を出す人だけを見れば、支えている人が離れていく。
支えている人だけを見れば、成果を出す人の納得が失われる。
この場では、合理と道理のどちらかが足りない時ではなく、どちらかしか見なくなった時に壊れ始める。

新人を育てる時にも、合理と道理の両方が求められる。
今の効率だけを見れば、できる人に任せた方が早い。
しかし、未熟な人に教える時間を削りすぎれば、次の担い手は育たない。
今の効率を少し落として、将来の合理を作る場面がある。

この場は、合理と道理の両方を掲げるだけでは保てない。
成果を見る場面と、人を残す場面を取り違えた時に、場は静かに崩れ始める。
そこには、仕組み、説明、役割の調整が必要になる。
不満を早めに受け止める人や、誰が何を支えているかを見ようとする目もいる。

4.4 合理も道理も不要の場

合理も道理も中心に置かれない場がある。
たとえば、会社帰りに同僚と居酒屋へ寄り、上司への愚痴をこぼす場である。

その場の目的は、問題の解決よりも、不満を一度外へ出すことにある。
正しい判断や公平な整理よりも、同じ立場の人と疲れを共有することが優先される。

その場にいる人は、一日の不満を吐き出している。
理不尽に感じたことを言葉にし、職場では言えなかった感情を職場の外で逃がしている。
その時間によって、翌日また会社に行けることもある。

ここに合理を持ち込むと、場はしらける。
「それを言っても何も変わらない」「もっと建設的に考えた方がいい」「会社全体で見れば仕方がない」という言葉は、たしかに正しい場合がある。
しかし、その場は正しい解決策を出すための場ではなく、不満を一度外へ出すための場である。

ここに道理を持ち込んでも、場はしらける。
「上司にも事情がある」「君にも悪いところがある」「一方的に言うのはよくない」という言葉は、たしかに筋が通っている場合がある。
しかし、その場は公平に責任を分けるための場ではなく、抑えていた感情を外へ出すための場である。

合理も道理も不要の場では、解決や公平さよりも、感情を一度外へ出すことが優先される。
愚痴は、整えられた意見とは違う。
しかし、愚痴を言える場があることで、人は表の場で踏みとどまれることがある。

その場にも、越えてはならない線はある。
愚痴をこぼすことと、特定の人を追い詰めることは違う。
くだらない話で時間をつぶすことと、誰かを排除することで結束することも違う。
その場にいない誰かを攻撃し続け、排除し、傷つけるところまで進めば、愚痴の場は別の問題を生む。

会社帰りの居酒屋の愚痴は、合理でも道理でも扱いにくい。
それでも、その場には役割がある。
正論を持ち込めば壊れる場も、社会の中には存在している。

合理を強める場では、成果を妨げる情が場の筋を乱す。
道理を厚くする場では、人を整理しすぎる合理が居場所としての働きを損なう。
合理と道理の両方が求められる場では、どちらか一方しか見ないことが場を傾ける。
合理も道理も中心に置かれない場では、正論を急ぐことが空気をしらけさせる。


結び

コミュニティには、それぞれ目的がある。
勝つための場では合理が前に出て、支え合うための場では道理が重んじられる。
成果と納得を扱う場では合理と道理の両方が求められ、愚痴を吐き出す場ではそのどちらも中心には置かれない。

場を壊すのは、合理や道理そのものではなく、場の目的とのずれである。
勝つための場に過度な人情を持ち込めば、勝つための基準が揺らぐ。
支えるための場に過度な合理を持ち込めば、居場所としての働きが弱まる。
愚痴を吐き出す場に正論を持ち込めば、感情を逃がす場はしらける。

目的に合う合理は、場を前に進める。
目的に合う道理は、場に人を残す。
目的に合わない合理と道理は、どちらも場を壊す。

一つの場の作法は、その場の目的と結びついている。
場が違えば、守るものも、進めるものも、許される振る舞いも変わる。

場には場の筋がある。
その筋を外れた時、合理も道理も、場を支える力ではなくなる。

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