【体験談】炎上したXから考える発信するということ。
こんにちは。
突然ですが、みなさんは「炎上」を経験したことはありますか?
私は、数年前に一度だけ経験したことがあります。
それ以来、SNSから距離を置いていました。
けれど今は、こうしてnoteに言葉を置くことができています。
不思議ですが、noteなら続けられそう。
そんな感覚があります。
今回は、ずっと書くのを悩んでいた話です。
それでも、noteのこのあたたかい場所なら、きっとそっと読んでくれる人が多いのではないかと思い、思い切って書いてみることにしました。
そして、ゆきさんの企画を見つけて、後押ししてもらうことにしました☺️
ゆきさん、ありがとうございます!
短文のSNSで、言葉は簡単に独り歩きする
当時はTwitterと呼ばれていたXで、私は、何気なく思ったことを短い文章で投稿していました。
ツイート(現在のポスト)は短文です。
背景や意図を丁寧に説明する余地は、ほとんどありません。
それでも、同じような価値観を持ったフォロワーさんたちとの何気ないやりとりを楽しんでいました。
その日も、そんな感覚で投稿した短い文章でした。
ところが、その投稿は瞬く間に拡散され、
さまざまな批判を集めることになりました。
いわゆる「炎上」です。
私の言葉は、私が思ってもいなかった方向へ歩き出し、読み手それぞれの想像する背景をまとって広がっていきました。
文章だけでは、どれだけ慎重に言葉を選んだとしても、読み手の立場や心の景色によって、まったく違う意味に受け取られてしまうことがあります。
(当時のツイートは、正直に言うと、そこまで慎重に書いたものでもありませんでした。)
あのときの私は、その現実を真正面から浴びることになりました。
もちろん、すべてが批判的な反応だったわけではありません。
でも、不思議なことに、どうしても批判の言葉ばかりが目に入りました。
SNSから離れてみたら、驚くほど平和だった
最終的に、その投稿は削除しました。
「消したら、認めたことになる気がする」
そんな気持ちもあり、最初は残すつもりでした。
今思えば、少し意地を張っていたのだと思います。
でも、なんでもないときに涙が出る自分に気づき、そこまで我慢して残さなくてもいいのでは、と思いました。
投稿を削除しても、心からSNSを楽しむことができずにいました。
夫も、何のために続けているの?と心配してくれました。
そして私は、SNSから距離を置きました。
離れてみると、とても平和でした。
言葉を投げることがなくなると、心は静かで、穏やかな暮らしがありました。
それでも「言葉で誰かとつながる喜び」は、
やっぱり心のどこかに残っていました。
そんなときに出会ったのが、noteです。
noteは、ゆっくり話せる場所だと感じています。
背景も、気持ちも、迷いも含めて伝えられる。
短文のSNSで起こりやすい誤読のスピード感が、ここにはありません。
読んでくれる人も、落ち着いて文章を受け取ってくれているように感じます。
みんなに好かれる文章は、たぶん書けない
炎上を経験してから、はっきり分かったことがあります。
それは、
「すべての読み手に好かれる文章を書くのは、たぶん無理」
ということです。
読み手の数だけ、価値観があり、背景があり、タイミングがあります。
文章は、誰かに寄り添うことはできても、誰かを完全に傷つけない保証はできません。
noteを書いていても、
「誰のために、何を書いたらいいんだろう」
と悩む日があります。
フォローしてくれる方が増えるほど、
「どんなことを期待されているのかな」
と考えてしまい、手が止まることもあります。
今回、この炎上の経験を改めて思い返して、
「みんなのための文章」は書けないのだと、もう一度気づきました。
だからこれからは、自分の正直な気持ちと、書きたいことを、丁寧に言葉にしていきたいと思っています。
誰かに合わせて、
自分の気持ちではないものを書くことはしません。
もし、合わないと思う方がいたらnoteだったらそっと離れてくれると思っています。
寂しいけど、仕方ないですよね。
ここから先は、
なぜあの投稿が炎上したのか、
そして、その出来事から私が何を学んだのかについて書きます。
私にとっては今でも少し繊細な記憶です。そのため、あたたかく受け止めてくださる方へそっと届くよう、ここから先は有料とさせていただきました。
自分自身の心を守るための「境界線」としての設定ですが、もしよろしければ、この先もゆっくり読み進めていただけると嬉しいです。
なぜ炎上したのか、そして私が学んだこと
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