月夜に舞う
「こちらが今日のお召し物でございます」
河童が持ってきた着物は緑色に菊の花が入ったものだった。色も柄も気に入らなかったが、文句を言うのも面倒なので何も言わなかった。
「キュウビ様、よく似合っておいでです」と河童は言った。感情のこもってないいつもの事務的なセリフだった。
こんな生活がいつまで続くのだろう、とキュウビは思った。私はいつまで踊り続けなければならないのだろう。
「どうだろう。今日の舞はちょっと休みってことにするのは」とキュウビは河童に言ってみた。
「それは困ります、キュウビ様。キュウビ様に踊っていただかなければ、私たちはシシオに食われてしまいます」河童は縋るように言った。
「大丈夫だよ。今日くらいシシオも気づかないよ、きっと」
河童は涙を浮かべて首を振った。
キュウビはため息をついた。
キュウビは重い腰を上げて舞台へと続く階段を上った。華やかな朱色に染め上げられた階段を見るとキュウビは憂鬱な気持ちになった。そして後ろをピタリとついてくる河童にも腹が立った。しかし、憂鬱になろうが腹を立てようがキュウビにはどうすることもできなかった。キュウビはこの町から出ることができないのだ。理由は話せば長い話になる。そして何より退屈な話だ。結局キュウビはこの趣味の悪い朱色の舞台の上で町の民のために踊るしかなかった。
キュウビが所定の位置につくと、どこからともなく音楽が流れ始めた。笛や太鼓やなんやかやの音だ。いったいどこで誰が演奏しているのか、姿は見えない。この町の者はみんな臆病なのだ。シシオや夜の闇や自分が何かを間違うことや、いろんなことにいつも怯えているのだ。
そんな町の民たちにキュウビは心底うんざりしていた。むしろシシオの方が幾分マシだと思うほどだった。第一シシオには会ったこともないし、直接何か迷惑をかけられたわけでもない。そんなシシオに比べれば、町の民どもの方がよっぽどキュウビにとって邪悪だった。
前奏も終わったので仕方なくキュウビは踊り始めた。正直に言えば、キュウビは踊るのが得意だったし、好きだった。踊ることで誰かの役に立てるならそれ以上のことはないという思いもあった。しかし、この状況での舞はキュウビの心を曇らせた。何がそんなに嫌なのか、言葉にするのは難しい。でもきっと、それはキュウビのポリシーみたいな問題なのだ。キュウビにとって踊ることは唯一の大事なことだった。だから、いつ踊るのか、何を踊るのか、どのように踊るのか、誰のために踊るのか。そういうことは大切にしたいのだ。キュウビが毎夜やらされているのは望まぬ場における望まぬ踊りだった。
しかし、いざ踊り出してしまうとそれなりに真剣にやってしまうものだった。キュウビは思った。私は踊ることを愛しているのだ、と。キュウビの本能が手を抜くことを許さないのだ。
そんなキュウビの舞を河童は羨望の眼差しで見ていた。今まで飽きるほど見ているはずなのに、毎度涙を流してもいた。そんな反応をされることに悪い気はしないものの、お前に私の舞の何がわかるのだ、とも思った。
踊りながらキュウビはふと夜空を見上げた。そこには少しだけ欠けた月が静かに浮かんでいた。月だけだ、とキュウビは思った。月だけが私を、私の舞を理解していくれている。信じてくれている。そう思った。
気づけば舞も佳境に入っていた。キュウビはその場で回ったり跳ねたり、手で風を切ったり撫でたりした。その場の空気や風や月明かりとキュウビの身体が呼応していくのを感じた。これだけでいい。私の舞と風と月明かり。この世にはそれさえあればいい。キュウビはそう思った。
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