承前啓後 5

Jリーグ開幕前年、1992年アジアカップが
広島で開催され、日本チームは優勝しまし
た。Jリーグ開幕に向け大変盛り上がりま
した。
1992(平成4)年10月29日~11月8日
第10回アジアカップサッカー選手権決勝大会
Aグループ 日本、アラブ首長国連邦、イラン
朝鮮民主主義人民共和国
Bグループ サウジアラビア、中華人民共和国
カタール、タイ
グループ1,2位によるトーナメント
日本代表
予選リーグ 0-0アラブ首長国連邦
1-1朝鮮民主主義人民共和国
1-0イラン
準決勝 3-2中華人民共和国
決勝 1-0サウジアラビア 優勝
監督 ハンス・オフト
決勝メンバー
前川和也 堀池巧 ラモス瑠偉 高木琢也
柱谷哲二 北澤豪 三浦知良
井原正巳 福田正博
都並敏史 吉田光範
(勝矢寿延)
〇Jリーグ開始前年の3泊4日の審判研修会
でした。
大会は日本の優勝という素晴らしい結果に
終わり、Jリーグ開幕に向けてとても良い
結果になりました。研修会最後の試合観戦
が日本対イラン戦で、終了間際にカズ(三
浦知良)が得点を取り、日本が勝利。大変
気持ちよく研修会を終えられたのが印象的
でした。
研修は試合観戦、分析、そして、AFC審判
委員長でFIFAの審判委員でもあるファルク
・ブゾーの講義、FIFAの情報伝達などでし
た。
大会にはアジアからのトップレフリーが
12名、その中には日本から参加の小幡
真一郎氏、そしてブゾーの一番弟子、
シリアのジャマル・アルシャリフがい
ました。アルシャリフはすでに1986年
メキシコ、1990年イタリアワールド
カップに審判参加しており、当時の
アジアナンバー1レフェリーで、大会
決勝も笛を吹きましたし、1994年アメ
リカワールドカップへも参加しています。


アルシャリフは運動量が売りで、ボールの近く
にいて正しいを判定することを特徴としていま
した。子犬がボールを追いかけ回すが如く、動
き回っていました。
この研修はJリーグ開幕前年にあり、とても有意
義なものになりました。そのことはこの研修に
参加した審判員が翌年からのJリーグの審判に
中心となって活躍していくことを見ても分かり
ます。


ハンス・オフト(1947年6月27日生まれ)
オランダ協会の育成部門で、ユース年代の指導
や指導者養成にあたっていた1980年、ヨーロッ
パに遠征中の高校日本選抜チームを指導したこ
とが縁となり、1982年7-8月にヤマハ発動機の
コーチとして来日。短期間でチームの再建を図
り、ヤマハを日本サッカーリーグ2部優勝、1部
復帰とともに天皇杯初優勝に導いた。1984-88年
にはマツダを率いてJSL1部昇格、天皇杯準優勝
の結果を残した。
そうした実績が評価され、1992年3月、「日本
を1994年アメリカワールドカップに出場させる
こと」を目標に掲げ、日本代表監督に就任。
「アイコンタクト」「トライアングル」
「コンパクト」などの言葉を用いて、現代サッカ
ーに必要な基礎技術を徹底、日本代表のみならず
日本サッカー界に広く浸透させ、日本のスタイル
の礎を築いた。
日本代表チームは1992年8月には、北京で行われ
た第2回AFCダイナスティカップで優勝し、1930
年、第9回極東選手権(東京開催)以来の公式
国際大会タイトルを獲得。
続く1992年10月には、広島で開催された第10回
AFCアジアカップ決勝でサウジアラビアに1-0で
勝利し優勝、日本代表チームを悲願であった初の
アジア王者へと導いた。
翌、1993年10月のアメリカワールドカップ、アジ
ア最終予選では惜しくも初のワールドカップ本大
会出場を逃した「ドーハの悲劇」が、初の外国人
監督として、1年半足らずで、選手の力を最大限
に引き出し、日本代表チームを確実にレベルアッ
プさせた。それまで日本が乗り越えられなかった
アジアの壁を打破し、日本をアジアの強国に押し
上げ、その地位を強固なものにした功績は計り
知れない。日本代表監督として、38戦/18勝
11分9敗。
また、日本代表の活躍が日本社会に広く認められ
たことが1993年5月のJリーグ開幕への大きなバッ
クアップとなり、人気増大に繋がったことも、
功績の一つである。
日本代表監督退任後は、ジュビロ磐田、京都
パープルサンガ、浦和レッズの監督を務めた。
2013年、日本サッカー殿堂入り。


1992年3月 ハンス・オフト日本代表監督就任
試合結果
・キリンカップ
1992年5月31日 国立 0-1 アルゼンチン
6月7日 松山 0-1 ウェールズ
・オランダ遠征
1992年7月13日 1-0 デン・ヘルダー
7月15日 2-0 AZアルクマール
7月17日 0-0 トウェンテ
・強化試合
1992年8月14日 神戸 2-2 ユベントス
8月17日 国立 1-1 ユベントス
・ダイナスティカップ
1992年8月22日 北京 0-0 韓国
8月24日 北京 2-0 中国
8月26日 北京 4-1 北朝鮮
8月29日 北京 2-2(PK4-2)韓国
・アジアカップ
1992年10月30日 尾道 0-0 UAE
11月1日 広島 1-1 北朝鮮
11月3日 広島 1-0 イラン
11月6日 広島 3-2 中国
11月8日 広島1-0サウジアラビア
・イタリア遠征
1993年2月16日 1-3 ユベントス
2月20日 0-3インテル・ミラノ
2月23日 1-1 レッチェ
・キリンカップ
1993年3月7日 福岡 0-1 ハンガリー
3月14日 国立 3-1 アメリカ
・ 1994アメリカワールドカップ一次予選
1993年4月8日 神戸 1-0 タイ
4月11日 国立 8-0バングラデシュ
4月15日 国立 5-0 スリランカ
4月18日 国立 2-0 UAE
4月28日 ドバイ 1-0 タイ
4月30日 ドバイ 4-1バングラデシュ
5月5日 ドバイ 6-0 スリランカ
5月7日 アルアイン 1-1 UAE
<1993年5月15日 Jリーグ開幕>
・ スペイン遠征
1993年9月15日 2-3 レアル・ベティス
9月21日 1-2 カディス
9月23日 1-2 へレス
・アジア・アフリカ選手権
1993年10月4日国立1-0コートジボワール
・1994アメリカワールドカップ最終予選
1993年10月15日ドーハ0-0サウジアラビア
10月18日 ドーハ 1-2 イラン
10月21日 ドーハ 3-0 北朝鮮
10月25日 ドーハ 1-0 韓国
10月28日 ドーハ 2-2 イラク
⇒「ドーハの悲劇」
●私が審判現役の40歳半ばから、マッサージにい
っていました。そこが、渡辺文善さんの上大岡に
ある「フォワードスポーツマッサージ」でした。
渡辺さんはハンス・オフトが日本代表監督を
していた期間に、日本代表チームのマッサーと
して仕事をしていたそうです。Jリーグ開幕前の
1992年から「ドーハの悲劇」の1993年までだそ
うです。その後、1994-1998年横浜フリューゲ
ルス、1999年には札幌コンサドーレのマッサー
をして、現在の上大岡での「フォワードスポー
ツマッサージ」開業に至っています。
お店の玄関には上に記載したアジアカップ
優勝写真が掲載されています。私は今でも肩が
凝って、バリバリになると、マッサージをして
もらいに行っています。ぜひ皆さんもサッカー
の話をしながら揉みほぐしてもらって下さい。
先ずは電話で予約をして下さい。「フォワード
スポーツマッサージ」ホームページからも予約
できます。
渡辺文善さん
「フォワードスポーツマッサージ」
〒233-0002
横浜市港南区上大岡西 3-10-4
ドルフウェスト上大岡 101
℡ 045-843-3321
