癒やす
癒やす
癒やされたいと思いながら、 癒やされることを、どこかで拒んでいた。
「もう大丈夫」と言い続けた。
傷ついた。でも、大丈夫だと言った。 しんどかった。でも、立ち直ったふりをした。 まだ痛かった。でも、もう終わったことにした。
癒やされるには、傷を認めなければならない。 傷を認めることは、弱かった自分を認めることだと思っていた。 だから、「もう大丈夫」と言い続けた。
癒えないまま、前に進もうとした。 でも、癒えていない傷は、消えたわけじゃなかった。 形を変えて、別の場所から、顔を出し続けた。
治っていない傷の上を、走り続けていただけだった。
癒やすことは、弱さと向き合うことじゃない。 自分を、もう一度、丁寧に扱うことだ。
癒やしは、どこかへ取りに行くものじゃない。
温泉に行けば、癒やされる。 旅行すれば、リセットできる。 誰かに話を聞いてもらえば、楽になれる。
そう思って、外に癒やしを探し続けた時期があった。
でも、場所が変わっても、自分が変わらなければ、同じだった。 旅先でも、ホテルの部屋で、同じことを考えていた。 温泉の中でも、頭は忙しく動いていた。
癒やしは、場所や出来事が与えてくれるものじゃなかった。
癒やしは、自分の内側に向かう静けさの中にある。 外へ探しに行くものじゃなく、内側へ降りていくことで、見つかるものだ。
癒やしには、時間がかかる。
骨折した足は、一晩では治らない。 深い傷ほど、癒えるのに時間がかかる。 それは、体も、心も、同じだ。
なのに、心の傷だけは、すぐに治ろうとしてしまう。 「いつまでも引きずるな」 「前を向け」 「もう十分、悲しんだだろう」
誰かに言われることもあるし、自分に言い聞かせることもある。
でも、癒やしを急かすことは、 かさぶたを無理やり剥がすことと、同じだ。
癒やしのペースは、自分にしかわからない。 誰かの「もう大丈夫でしょ」に、合わせなくていい。
癒やしてくれたものを、覚えているか。
つらい時期を振り返ると、必ず何かがある。
何気ない友人の一言。 見慣れた部屋の窓から差し込んだ、午後の光。 ずっと聴いていた、あの頃の一曲。 何も言わずに隣にいてくれた、誰かの存在。
癒やしは、大きくなくていい。 劇的じゃなくていい。
小さくて、静かで、気づかないうちに効いていた。 それが本当の癒やしの形だと、後になって思う。
誰かを癒やそうとして、できないとき。
大切な人が苦しんでいるとき、何かしてあげたくなる。 言葉をかけたい。解決してあげたい。早く楽にしてあげたい。
でも、何を言っても届かない夜がある。 何をしても、うまくいかない日がある。
そのとき、自分を責めないでほしい。
癒やしは、与えるものじゃなくて、 そこにいることで、生まれるものだ。
何も言わなくていい。解決しなくていい。 ただ、隣にいる。それだけで、人は癒やされることがある。
存在が、癒やしになる。
自分を癒やすことは、わがままじゃない。
自分より先に、誰かを癒やそうとする人がいる。 自分の傷は後回しにして、相手の痛みに向かっていく。
それは美しいことだ。でも、長くは続かない。
空になった器からは、何も注げない。 自分が癒えていない人が、誰かを癒やし続けると、 やがて、もろくなっていく。
自分を癒やすことは、自己中じゃない。 自分を満たすことが、誰かへの余裕になる。
飛行機の中でも言う。緊急時は、まず自分のマスクを着けてから、と。
癒やされた体は、覚えている。
傷が癒えた場所は、跡が残る。 でもその跡は、弱さの印じゃない。
そこが一度、破れて、また繋がった証だ。
癒えた傷のある人は、同じ場所で痛んでいる誰かに気づける。 自分が癒やされた経験が、誰かを癒やす言葉になる。
傷ついたことは、無駄じゃなかった。 癒やされたことも、あなたの一部になっている。
今日の自分に、やさしくする。
癒やすことは、何か特別なことをすることじゃない。
好きなものを、丁寧に食べる。 ゆっくり、お湯に浸かる。 疲れたと感じたら、早めに横になる。 自分を責める声に、今日だけは従わない。
今日の自分を、少しだけ丁寧に扱う。 それだけで、癒やしは始まる。
今日、まだ痛いところがあるなら。
治っていなくていい。 癒えていなくていい。 まだ時間がかかっていい。
ただ、その傷に、少しだけやさしくしてほしい。 急かさないで、責めないで、ただそっと置いておく。
癒やしは、あなたを見捨てない。 ちゃんと、時間をかけて、来てくれるから。
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