変わっていく景色
ここ数年、自分の中で少しずつ変化しているものがあります。
音楽そのものというより、音楽との向き合い方が変わってきたのかもしれません。
これは連載の方でも書いていますが、僕がドラムを始めたのは15歳の時。それまではバイオリンを小学生の6年間やったり、ピアノを始めたり、ギターを触ってみたり、色々と手を出していました。
そこからアメリカ、ドイツを経て、6年前に日本へ帰ってきたわけなんですが、最近は、これまでとは少し違う景色の中で音楽をやっている感覚があります。
削ぎ落とされていくもの
15歳でドラムを始めてから気がつけば長い時間が経ち、現在42歳になりました。
地元でバンド活動をし、17歳でアメリカへ渡り音楽を学び、20代の最後にドイツへ移住し、ECMを経てヨーロッパで活動し、そして日本へ帰ってきた現在まで、本当に色々な変化がありました。
少し話は逸れますが、僕は昔から大のボクシングファンです。ご存知の方も多いと思いますが、日本が誇るボクサーの中に、井岡一翔選手という偉大な元世界チャンピオンがいます。
井岡選手は現在37歳。10代の頃から注目され、ミニマム級からキャリアをスタートし、現在は5階級目となるバンタム級へ挑戦しています。先日の東京ドームでの井上拓真選手との感動的な試合も、記憶に新しいかと思います。
井岡選手は昔から、単純な破壊力や派手さというより、スピード、距離感、ディフェンス、そして流れの中で相手を崩していくような美しさを持ったボクサーでした。
ですが現在は、そのスタイルがさらに削ぎ落とされ、“受けて流す”ような、まるで居合のような境地へ向かっているように感じます。
もちろんボクサーですから、勝つことが大前提です。でも無理に力を誇示しない。それでいて、芯の強さだけは静かに存在している。単純な勝敗だけではない、「井岡一翔」というボクサーの存在そのものの美しさを、最近は強く感じます。
そしてその姿を見ながら、どこか今の自分自身とも重なる部分があるように感じていました。
20代の頃の自分は、とにかくガムシャラでした。少しでもチャンスがあれば飛び込み、経験を積み、もっと遠くへ行きたい、もっと理想に近づきたい、その一心だった気がします。
そうやって前だけを見て走り続けた結果、ドイツで活動するようになり、ECMから作品をリリースするという大きな夢にも繋がっていきました。
夢というものは、具体的であればあるほど良いと僕は思っています。どんな音を鳴らしたいのか。どんな人生を送りたいのか。どこへ向かいたいのか。それが鮮明であればあるほど、人は強く前へ進める。
実際、あの頃の強い憧れがあったからこそ、今の自分があります。そしてECMという大きな夢を叶えたのですが、その時、自分の中には不思議な感覚がありました。
登った先の景色
これは色々なインタビューでも話していることですが、正直に言うと、少し虚無感のようなものがあったのです。
ECMからデビュー作をリリースするなんて、これ以上ない嬉しい出来事でしたし、長年追い続けてきた夢が叶った瞬間でもありました。ですが同時に、自分の中ではどこか、「達成してしまった」という感覚もありました。高い山を登れば、そこには今まで見たことのない特別な景色が広がっているような気がしていました。
でも実際に辿り着いてみると、それはもちろん素晴らしい景色ではあったのですが、空は空だし、山は山なんです。視点が変わるだけで、そのものや人生そのものが急に変わるわけではない。
当時は、その感覚を自分の中でうまく消化できずにいました。音楽に対して燃え尽きてしまったのか、と悩んだ時期もありましたし、日本に帰ってきてからしばらくの間、音楽を本気で辞めたいと思っていた時期もありました。音楽そのものが嫌になったわけではなく、今振り返ってみると、以前の自分を動かしていた“エンジン”のようなものが、少しずつ変わり始めていたのだと思います。そして、当時の自分は、その変化をまだうまく理解できていませんでした。以前と同じ感覚では進めなくなっているのに、その理由を自分自身でもまだ掴めていなかった。
ですが、むしろそこから、自分の中で少しずつ、“何を達成するか”だけではない価値観が生まれ始めていった気がしています。
流れの中で
僕は若い頃からずっとそうなのですが、実はそこまで計画的な人間というわけではありません。「何歳までにこれをやる」とか、「この順番でキャリアを積む」といった逆算的な考え方は、昔からどちらかというと苦手でした。当時は、とにかく勢いで流れを掴みに行っていた感覚があります。そして明確な「ECMからデビューする」という夢を実現するために動いていました。
そして現在は、以前よりも少しだけ、運命や流れのようなものに身を委ねるようになったと思います。それは決して慢心や諦めではありません。今でも常に試行錯誤していますし、自分の音楽と向き合い続けています。ただ、自分だけの力で全てをコントロールしようとしなくなったのかもしれません。そしてその感覚は、アンサンブルにも少しずつ表れている気がします。
以前は、自分の中にある理想の音楽へ向かって、「こうありたい」という方向へ音楽を導くことが多かった気がします。今でも、ドラマーとしてアンサンブルを導く感覚がなくなったわけではありません。ですが現在は、以前よりも、その場で自然に生まれてくる流れや、共演者との間に流れる空気を信じるようになった気がしています。
自分の理想へ強く引っ張るというより、その瞬間にしか生まれない流れの中で、自然と音楽が形になっていくことに、以前より強く惹かれるようになりました。
またボクシングの話になってしまいますが、いまや世界を代表するボクサーとなった井上尚弥選手や拓真選手の父である真吾トレーナーが、試合中によく「無理に倒しに行かなくていい。流れの中でそうなるなら行けばいい」といった指示を出しているのを聞きます。
最近は、その感覚にとても共感します。言うまでもなく、ボクシングと音楽は全く別のものです。ですがボクシングも、一人だけで成立しているものではありません。相手がいて、その場の流れや空気の中で展開していくものです。
無理に何かを支配しようとするのではなく、その瞬間の流れの中で自然と立ち上がってくるものを信じる。最近の自分は、アンサンブルに対しても、以前よりそういう感覚で向き合っている気がしています。そしてそういった感覚は、自分の音楽活動や生き方そのものにも、少しずつ表れてきた気がしています。
まだ見えていない景色
6年前に日本へ帰ってきたことも、自分のレーベルを始めたことも、自分の中ではとても自然な流れでした。現在はディストリビューションの関係で少し止まってはいますが、自分の信じている音楽を、自分自身の手で育てていきたいという気持ちは今も変わっていません。
そして近年、アジアとの繋がりを深めていることもまた、自分の中ではごく自然な流れの中にあると思っています。
若い頃のように、“自分がどこまで行けるか”だけを追いかけるのではなく、“自分がどんな流れや時間を生み出せるのか”そんなことを、以前より考えるようになったのかなと思います。
だからこそ今の自分は、自分の作品をたくさん残したいとか、ライブをたくさんこなしたい、という感覚ではないのだと思います。作品を作ることも、ライブをすることも間違いなく大好きです。ただ、“数”ではなく、その音が本当に生きているか、その時間にちゃんと意味があるか、そちらの方が重要になってきました。
勝ち負けや結果だけではない、その人自身の“在り方”のようなもの。
長い時間をかけて削ぎ落とされ、最後に残っていくもの。
気がつけば、自分自身も少しずつ、そういう方向へ向かっている気がしています。そして今でも、自分の中に変化していく感覚や、伸び代のようなものを感じています。
だからこそ、この先の自分自身の音楽も、少し楽しみにしている自分がいます。
