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夜次元クジラは金魚鉢を飲む #24


24.父親

 民家が立ち並ぶ路地の先にシェ・マキムラの看板が見えた。建物を通り過ぎたところにある駐車場に車を乗り入れると、店と反対側に敷地を接して二階建ての家がある。ポーチライトに照らされて、表札の「槇村」の文字が見えた。

 波留は車を降りてあたりを見回したけれど、当然ながらシンの自転車はなかった。裏路地にある昔ながらの住宅地といった風情で、日はすっかり暮れて外灯と民家の明かりが路地を照らしていた。薄暗い道の先に自転車が見え、緩い坂道を二台がじゃれあうように近づいたり離れたりしながら上ってくる。

「波留、予約してあるんだから早く」

 路地から数メートル入ったところにある店の入り口で、那波がドアを片手で支えて手招きしていた。

「うん」

 店の正面は全面ガラス張りでエントランスの様子が筒抜けに見え、先に入った叔父は物珍しそうにあたりを見回し、田辺は店員と何か話していた。波留が小走りにドアまで駆け寄ると、「砂見さんの紹介で」と中から聞こえてくる。那波は当たり前のように田辺の隣に並び、店員の案内について行った。

「波留ちゃん?」

 閉まりかかったドアの外から声がして、波留は足を止めた。ガラス越しに見えたのは自転車に跨がる海斗とシン。海斗は彼らしい何にも考えていなさそうな笑顔でヒラヒラと手を振り、波留がつられて片手をあげると、シンがためらいがちに手を振り返してくる。満足したのか海斗はシンに何か声をかけて自転車のペダルを踏み、シンは海斗の背中をチラッとうかがったあともう一度手を振って海斗を追いかけていった。

 振り向くと那波たち三人と案内係が立ち止まって待っていた。

「誰かいたの?」

 追い付いた波留に那波が聞き、男たちは素知らぬふりで聞き耳を立てている。

「ここの店の息子の槇村君。クラスメイトなんだ。それと海斗君」

「波留、槇村君と仲良いの?」

「別にふつう」

「この前の男の子とは違うの? ほら、家の前に来てた子」

「ああ、うん。あの子」

 波留が素っ気なく答えると、那波は「そう」とうなずいたあと「素敵な店内ね」と話題をそらした。田辺があの夜の波留とシンのことをどんなふうに那波に話したのか、少しわかった気がした。
 
 店内は漆喰の壁に黒塗りの梁が渡され、波留が想像していたフレンチレストランとは違っていたけれど堅苦しくなく落ち着いた雰囲気だった。一方、食事をしている客は旅行客が多いのかどこか浮かれている。

 料理は地元の食材をふんだんに使ったコース料理だった。田辺も克樹もやたらと食材の新鮮さを褒め、波留は大人たちが時々思い出したように話しかけてくるのに合わせて相槌をうつ程度で、黙々と料理を口に運び、猪肉の赤ワイン煮も四人の中で一番に食べ終わった。運転手の那波はお酒を飲んでいないけれど、男二人はワインを一本空けて顔を赤くしている。

 皿が空になると、波留はシンと海斗のことを考えた。自転車を家の前に停めて、狭苦しい部屋に男二人、いったい何をしているのだろう。それとも、シンの母親も一緒に三人で和気あいあいと過ごしているのだろうか。どちらにしろ、明日が休みなのをいいことに仲良くやっているのだ。

 不意に一人になりたい衝動に駆られ、波留が席を立とうとした時だった。

「本日はありがとうございます」

 知らぬ間に波留のそばにコックコートの男性が立っていて、彼は恭しく頭を下げると、親しみのこもった笑みで「槇村と申します」と名乗った。くっきりした二重瞼の目元がシンに似ていた。

CONAコナの砂見さんにはうちの息子がずいぶん世話になってるんです。お隣に引っ越していらしたとか?」

「この春に」と那波が答えた。シェフは「そうですか」とうなずくと、目を細めて波留に微笑みかける。

「息子と同じクラスだそうですね。海のことしか頭にないバカ息子ですが、どうぞよろしくお願いします」

 波留の隣には叔父がいて、向かいに那波と田辺が座っていた。シェフは叔父の克樹を父親と思い込んでいるらしく、波留と叔父に向かって頭を下げたあと、那波と田辺に軽く会釈した。

 誤解を解こうとしたのか「あの」と叔父が口を開いたけれど、店の奥から「シェフ」と呼ぶ声が聞こえる。

「また何かの機会にゆっくりお話できれば。では、ごゆっくり」

 シェフはスタッフと何か喋りながら厨房に姿を消し、叔父と田辺は赤らんだ顔でグラスに口をつけ、那波が取り繕うように「前にもこういうことあったよね」と笑った。波留は胃のあたりに重苦しさを感じて席を立った。

「トイレ行ってくる」

「波留、トイレそっちじゃないよ」

「知ってる」

 那波はため息をつくと、デザートまでには戻って来なさい、と男たちと顔を見合わせる。誰も波留を引き止めようとはしなかった。

 店を出る前に波留がテーブルを振り返ると、三人は顔を寄せて話し込んでいた。今まであの中にいたことが不思議で、ドアを押し開けると逃げるように路地に駆け出した。


次回/25.デザートタイム

#小説 #長編小説 #ファンタジー #夜次元クジラ #創作大賞2022

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