“おしゃべり”なのに、言葉が足りない人
感情が言葉を
追い越してしまうとき
大人になっても
心が先に動いて
言葉が出てこない人がいる。
ふと、ある人を見てそう思った。
言いたいことはたくさんあるのに、
それを言葉にする手前で
怒りや悲しみが顔を出してしまう。
気持ちのエネルギーが強すぎて
言葉が追いつかない。
でも、その人は
「おしゃべり」な人だった。
話す量は多い。声も大きい。
なのに、なぜか伝わってこない。
言葉が足りない、というより──
“伝える言葉になっていない”。
感情がそのまま流れ出ている。
驚き、怒り、不満。ときに涙。
それは「会話」ではなく
ただの放出に近いものだった。
その姿を見ながら
思い出した場面がある。
ドラマ『舟を編む』で
ある子どもが登場したときのこと。
母親や
辞書を作る出版社の人たちがいるシーン。
そして日本語学者の先生が
こう言った。
「まだ、言葉が
追いついていないだけなのです」
──その言葉には、未来があった。
言葉は育っていく。
今はまだ、途中なのだと。
でも今回私が出会ったのは
もう十分に歳を重ねた大人だった。
周囲の人たちも
きっとこれまで、
「言葉が未熟なだけかも」
「うまく言えないだけかも」
と、心のどこかで
思っていたはずだ。
けれど結局、
本人はそのまま言葉を育てることなく、
「感情を出せばいい」と
思ってきたのかもしれない。
話すことで伝えず、
伝えることで関係を築かず、
そうして「自分のペース」で
生きてきた結果
どこかで成長が
止まっているように見えた。
ある意味、かわいそうだとも思った。
本人は、
自分が放っている
負のエネルギーに気づいていない。
だから、返ってくるものも
負ばかりになる。
誤解され、避けられ、
裏でため息をつかれ、
それを
「またひどい目にあった」と
解釈して、さらに怒る。
きっと、この循環は
変わらないだろう。
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私にも、感情が
言葉を追い越す瞬間はある。
でも、そのまま投げずに
言葉に変える努力をするかどうかで、
相手との関係も、
自分の見え方も、
大きく変わる。
感情は、悪いものではない。
むしろ、
何かを伝えるための
出発点になることもある。
でも、それだけでは、届かない。
誰かとちゃんと向き合いたいなら、
言葉を整える力が必要だ。
それは、年齢とは関係なく
育てていける。
けれど、育てる気がなければ
人はそのまま、
言葉が未熟なまま、
大人になってしまう。
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子どもには、成長の余白がある。
でも、大人には
「成長を止める自由」もある。
その自由の使い方が
人生に静かに表れてくるのだと、
あの人を見て、思った。
